サルトルの「後継者 ディアドコイ」、フーコー、デリダ、ブルデューと書いたが、これは日本の読者には補足が必要だろう。(おそらく英・独・伊の読者にも)。
というのも、「フランス現代思想」のスター、仏以外では通常「フーコー、ドゥルーズ、デリダ」となるからだ。
これには理由がある。仏では1930年生のデリダとブルデューくらいまでは、ENS(高等師範学校、ベルクソン、デュルケーム、ジョレス、近年ではピケティ)卒業生、しかも哲学の大学教授資格合格者が知的世界で圧倒的な権威をもっていたからだ。デリダ世代までの哲学専攻の「ノルマリアン」の知的権威は日本だけでなく、仏以外の欧米でもちょっと想像できない。ちなみにブルデューもアグレガシオン(大学教授資格)は哲学である。
ドゥルーズはノルマルアンではなく、大学の哲学科に進んで、
リセで教えながら、地道に論文を積み重ね、博士論文(『差異と反復』)を書いた。逆に、デリダとブルデューは博論を書いていない。またフーコーは地方のリセで教えるのを嫌い、またアルジェリア戦争に巻き込まれるのを避けてスウェーデンでジャガーを乗り回していた。
従ってドゥルーズは「王位継承 ディアドコイ」戦争に参加する立場になく、その分サルトルからの影響を隠してはいない。