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どこまでじぶんの「正しくなさ」を残すべきか。それよって、関係無い誰かを傷付けてしまってるなら。

あ〜ダメだ。𝕏でルックバックというか藤本タツキに異を唱えるってのは完全に負け戦にしかならん。徒労徒労。

"杉咲:つねに軸としてあったのは、「一人でも多くの観客が居場所を感じられる作品であってほしい」ということでした。これまでの映像作品において多くの痛みを背負わされてきた歴史を持つ当事者がいるなかで、やっぱりその表象は変わっていかなければいけないという思いが私の根底にあって。

例えば、性的マイノリティの悲劇的な物語を見ながら涙してしまうとき、それは自分のジェンダーやセクシュアリティについて悩んだり、世間の偏見や差別に傷ついたり、生死を脅かされるような経験をしたことがない安全圏にたまたまいたということからきているのかもしれないと思うんです。私はそれを容易に感動と呼んではいけないと思っていて。当事者たちの境遇を“消費”してしまっているかもしれないという恐れを抱いています。"

cinra.net/article/202403-52hz_

「私はこれまでの映画やドラマの中で、物語の展開をドラマティックにするために性的マイノリティの方を登場させてきた歴史があると思っています。本作への出演にあたって、その過去や現状、社会の現在地を今まで以上に学んでいく必要があると考えていました。現実では誰にも言えない“秘密”を抱え、差別や暴力にさらされながら、物語では多数派の人々を楽しませるために笑い物やモンスター、または、ただ可哀想な人のように描かれることもある。」

gqjapan.jp/article/20240203-ha

徹底できない義憤は開き直る露悪よりタチが悪いものかもしれない。俺みたいなのが今一番醜い人としての在り方なのかもな。

ブルスコが鬱日記になってしまうのもどうかと思うし、𝕏でアメリカ映画の話題を出せばパレスチナ人が殺されてるのに呑気なもんだと言われるし、私は今こそ貝になるべきなのかもしれない。そもそもが無趣味な人間なので、それが身の丈に合ってるのかもな。今まさに民族浄化が行われているのに、映画なんか観てていいのか。サッカーなんか観てていいのか。もっと何万分の一の苦しみや生きづらさを抱え続けるべきなのでは? 目が覚めた瞬間から「俺は生きててごめんなさい」となるのが、正しい心の在り方なのでは?

俺はもっと、平和を享受する特権を自分を罰する為に使うべきなのではないか? という日曜日でした。

未来は真っ暗だ。この先生きてて何になる

生きてて何になる。無能感と罪悪感が積み重なってくだけだ。俺が生きてるうちに極右が駆逐されてリベラルな日本なんて出来やしないだろう。どこに向かって歩いてるんだ。
この先も失望だけが無限に連なっているのに。

しかし、今、死にたいのは確かだ。

イスラエル支援をしているアメリカ製品を使ってアメリカ映画を観てよく反戦だの反差別だの言ってられるな恥ずかしくないのか、という内容の質問が幾つか来てて、俺の欺瞞を責めたいのか、本当は自責の念への答えを欲してるのか、俺には判断しかねる。欲しい答えがあげられなくて申し訳ないという気持ちです。

あなたの悩みや苦しみと共に俺もあるし、俺のいい加減さを許してくれとは言わないから、自分への甘さも許容してあげてください。

とにかく、死なないで。

さっさと死んでこの世の煩わしさ全てから解放されたい。

ドイツではユダヤ人差別は他の人種差別より〝高い罪〟として設定され、それが強く根を張っているという話。強い加害者意識が概念レベルではむしろ公平さを歪ませてしまう危険性があるという意味では全く他人事ではないよな。

open.spotify.com/episode/229oe

青葉真司の死刑が確定し、その直後にルックバックが劇場アニメ化が発表される2024年となりました。

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