劉慈欣『円』
時の流れが止まりかけているようなノスタルジックな農村から、銀河系すら砂粒扱いの大宇宙まで、視点のジャンプ率がここまで大きな物語を読んだのは初めてで度肝を抜かれた。現代社会への批判や皮肉がかなりぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、短編とはいえ1話1話を読むのもなかなか骨が折れたが、評判通り面白かった。
アイデアとしてはやはり表題作『円』の「国家プロジェクト」が秀逸だった。『円円のシャボン玉』はわりと明るいトーンで読みやすく、『郷村教師』『詩雲』はスケールの大きさにくらくらするが、文化や学問が世界を変えるかも、という希望を感じさせてくれるのが良い。
山尾悠子『飛ぶ孔雀』
様々な人の物語が入り乱れ混じり合い、これは誰の物語だったかと思っていると、誰かと誰かの姿が二重身のように重なって、これは鏡の表裏であったのかもと合点しかけるとまた離れていく。
よく分からない。形が定まらない。しかしだからこそ何かを捉えようとして読むのが止まらなくなる。読みやすくはないが、何故かするする進む。何とも表現し難いが、自分はこの小説がとても好きだな。もう一度読み直さねば。
宮田登『弥勒』
弥勒仏といっても、遠い未来に現れて衆生を救う菩薩であるという程度の認識しかなかったので、民間信仰としてかなり多彩な姿を持っていたことに驚いた。
印象に残ったのは、阿弥陀仏の浄土信仰との違い。阿弥陀浄土は往生によってたどり着く(浄土に上る=上生)のに対し、弥勒仏の兜率天は弥勒(救世主)が現れるのを待つと、しかるべき時には現世が浄土になる(浄土が下る=下生)という考え方で、下層民に支持されたという。
古来、資源の乏しい日本では寄り物(漂着物)が生活の糧として重要だったせいなのだろうが、外から来たものをありがたくいただく日本人の性質は、他力本願とか救世主願望(凄い人が現れて状況を打破してくれる)に寄りやすいのだろう。だから今でも、組織が腐りかけても内部から変革の動きは起こりにくく、上からくだってくるものを無批判に受け入れがちな国民性なのだろうな…
一穂ミチ『スモールワールズ』
わりとありふれた設定や関係性の話かと思いきや、途中にめちゃくちゃ急なカーブがあって先の予測がつかないし、たどり着いた先がわりととんでもない場所で呆然とした。登場人物のキャラクターも文章自体もどっちかというとクールでドライだけど、時々マグマが顔を出したみたいなセリフや描写が出てきてひえっとなる。爽快な読後感ではないが、後に残る苦さに旨味がある。
物語は部屋、水槽、教室、バスなど、閉じられた空間で展開し、あまり外に出て行かない。しかし社会的には「普通」という箱に収まらない人々の物語なので、人目にはつかないけれどその世界はそれぞれに凄絶で、読後は確かに「小さな」「世界たち」というタイトルであるべきだと腹落ちする短編集であった。
P.V.グロブ『甦る古代人 デンマークの湿地埋葬』
湿地遺体について軽く知りたかったんだが、鮮明な写真だらけでなかなか読むのがきつかった。数千年前なら化石のようなものとも思うんだが、なにしろ「殺された」と考えられる人間のご遺体…
前半は個々の湿地遺体の発見状況や保存、調査について。後半はなぜ湿地に遺体が(故意に)沈められたのかの考察。時代や地域によって遺体の状況が異なり、あるものは地母神への人身御供、あるものは処刑された捕虜や犯罪者、あるいは神の加護を願っての埋葬…状況証拠から推測するしかなく真実は分からないながらも、ミステリーの趣がある。北欧の神話や歴史をもう少し勉強してから読めば良かった。
最近読んで面白かった漫画
『クイーンズ・クオリティ』
心理セラピーの比喩として話がよくできてるし、セルフケアの大切さを丁寧に説いてくれる良い作品。シリアスな場面に容赦なくブッ込まれるギャグのセンスがとても好き(これのおかげで重くなりすぎないのでありがたくもある)
https://betsucomi.shogakukan.co.jp/work/67/
『セクシー田中さん』
特に恋愛で悩む色んな人の呪いを解いてくれそう。勢いがあって元気になる。ヒロイン2人のちょっと距離があってベタベタしないシスターフッドの関係が良い。
https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098700615
『ブレス』
登場人物の誰もがストイックにひたすら克己し、過剰に自分を卑下することもなく楽しそうに仕事をしているのでストレスなく読めて良い。モノクロですらカラフルに感じるけどフルカラーで読みたい。
https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000367875
六車由実『新装版 神、人を喰う 人身御供の民俗学』
ヒトを神に捧げる(生きたまま殺す)という宗教的行為があったかといえば、人柱や殉葬は物的証拠があるが、神の食べ物としてヒトを生贄にした「人身御供」には、確たる証拠はないそうだ。
それにしては生々しい伝説があったり、人を虐待する血腥い神事が残っていたりするのは何故かという考察。時代や価値観(特に稲作と仏教の影響)に応じて生贄の意味合いや形式が変化していくというのは面白かった。
ただ「日本は文明国で人を生贄にするような野蛮な風習などない」という民俗学界のスタンスに対する反論がきっちり潰されているようには思えず、海外の類似事例との比較も少ないので、ちょっと釈然としないところはある。
#読了
菅浩江『永遠の森』『不見の月』『歓喜の歌』
博物館惑星シリーズを再読含めて一気読み(第1作が20年前とかハハハご冗談を)。絵に描いたような大団円で、最終章の多幸感に久々に小説で泣いた。
パラダイスの語源は「壁に囲われた」という意味の言葉だと小耳に挟んでから、隔離空間でないと美しいものは保てないのかもと漠然と思っていた。この「博物館」はそんな歪さをはらんでいる。
そこにやってくるのは恵まれた人ばかりでもないが、美を楽しめるのは基本的に裕福な人々であるのも歪である。脳にAIを接続された学芸員(博物館のために機械化された人間)が博物館を支えているというのも歪である。
そもそも、小惑星を丸ごと地球の引力圏に「引っ張ってくる」という強引さが象徴的だ。「美」は傲慢なものという前提で、それでもやはり心を揺さぶり人をつなぐものとして求められるし、物語世界のAIたちは、美しいものを見る人の心から情動を学ぶ。だからこそ、傲慢で歪であっても、美しいものが愛され大事にされ続けて欲しいとつくづく思う(昨今の博物館・美術館の苦境を見聞きしていると、ポジティブな未来を思い描けないのがつらい)。
武井彩佳『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』
ちょうど読み始めた頃に関東大震災の虐殺事件が話題になっていて、政治家が堂々と嘘をつくことにも、ここぞとばかりにヘイトスピーチをする人の多さにもうんざりしていたところ。
ホロコーストのように、体験者の証言や物的証拠がある事件すら否定しようという思考回路がいまいち理解できずにいたが、本書を読んだら、ホロコースト否定論が出始めたのは戦後20年ほど経って「まだ自分たちは罪を償わなければならないのか」という意識が芽生え始めた頃だとあって納得した。日本でも安保闘争などの社会主義運動は似たような経緯で生じているように思える。
ということは、今現在、荒唐無稽な陰謀論が流行っているのは「我慢することに耐えられなくなった人が増えた」からかもしれない。
ある考えの正しさを信じ続けるために、都合の悪いものを無視し、被害者や傷ついた人を軽視し、事実を捻じ曲げたら陰謀論になってしまうという。イデオロギーにとらわれるとそっちに転ぶのは容易だろうから気をつけねばなと自戒。
氷 /アンナ・カヴァン
破船 /吉村昭
枯木灘 /中上健次
死の泉 /皆川博子
海と毒薬 /遠藤周作
虐殺器官 /伊藤計劃
天体議会 /長野まゆみ
華氏451度 /レイ・ブラッドベリ
からくりからくさ /梨木香歩
桜の森の満開の下 /坂口安吾