小林照幸『死の貝 日本吸血住虫症との戦い』

shinchosha.co.jp/book/143322/

SNSで話題になっていなければ「日本吸血住虫」という寄生虫のことなど知らないままだっただろう。それは既に世間がその脅威に怯えずとも良くなったということだから、本書で文字通り命をかけて研究と治療に取り組んだ医師らの功績そのものである。時代性や科学リテラシーの変化に依るところもあったようだが、周囲から蔑まれたり理解されなかったりしても諦めなかった医療者たちには本当に頭が下がる。

病気そのものは古くから知られていても、問題視された理由の一つとして戦争があったのは皮肉というかなんというか。風土病のみられる地域では兵隊になるべき若い男性の発育が極端に悪かったため、この病気の症状を逆手に取り、わざと寄生虫に感染させて兵役を免れるという「ご利益」を謳う神社が流行ったとかいう話はぞっとしないが興味深い。

対策のメインは、寄生虫の中間宿主となる貝を根絶することだったが、薬剤の散布、貝の生息地である水場のコンクリート化といった積極的な駆除のほか、高度成長期になり合成洗剤が使われ始めるとその貝はほぼ見られなくなったという。衛生対策と環境破壊はしばしば紙一重になる。

信濃毎日新聞編集局『土の声を 「国策民営」リニアの現場から』

iwanami.co.jp/book/b622497.htm

リニア工事が進まないのを自分らのせいにされてきた県の住民なんだが、リニアに賛成と言ってる来月の県知事選の候補者、この本を読んで大井川流域だけじゃなく県全域で将来背負わされるかもしれないリスクを真面目に考えてくれ冗談抜きで、と思った。

本書では主に長野県内のトンネル掘削工事から出る残土処理の問題を中心にしているが、用地確保、電力確保、トンネル事故の頻発など、問題は静岡県で懸念されている水枯れだけでは決してない。

工事の遅れは各地で起きていると聞くが、工事を急ぐあまり、現場で働く作業員や、工事車両が行き来する地域の住民の安全性を軽視しているとしか思えない話も出てくる。そのようなやり方で作られたものが、安全に運行できると信頼できるだろうか?

環境や人命にリスクを伴うものなのに、事前の説明や検証が蔑ろにされていること、安全への懸念や苦情が無視されていることなどはまず報道もされない現実。その中で、フラットな目線を忘れず取材をされた本書の記者の方々には感謝している。(我が県の某地方紙でもリニア特集はあったが、最近日和っているのでもうあまり期待してない)

遠山美都男『壬申の乱 天皇誕生の神話と史実』

chuko.co.jp/shinsho/1996/03/10

副題にあるように、結論としては壬申の乱からの天武天皇即位を、それまではあくまで他の豪族より抜きん出た一族の「大王」であったものを、他の豪族(婚姻や子女の養い親として関係を結び協力体制を作った)も含めて「国を統べる王=天皇(すめらみこと)」という新たな地位に替え、天皇を「神の加護を受けた穢れなき存在」として臣・民の上位に置くシステムの基礎を作った転換点と見ている。クニの集まりであった日本が、一つの「国家」になったということだ。

面白いと思ったのは、大友側には天智天皇の時代に作られた戸籍制度(庚午年籍)による徴兵制度を試す意図があったのでは? という点。民衆の支配体制の転換点でもあったらしい。記録に残らない部分で知りようもないが、民の生活にはこのシフトがどう影響したのか気になる。

日本書紀の記述は真実か? という疑問に発しているので、乱の経過を丁寧に追って推理していく流れはミステリーじみて面白かった。ただ、乱の主戦場となったのが不破関(現・関ヶ原)であったため徳川・豊臣の争いになぞらえる描写が多かったが、やや牽強付会の感がある。

佐々涼子『エンジェルフライト』

shueisha.co.jp/books/items/con

表紙(ドラマの特装版ではない)を見て『ライトスタッフ』を連想した。取材対象である国際霊柩送還会社の人たちは、実際「仕事に選ばれた」のだと思う。

タイトルの「フライト」は貨物のfreightだが、天使が空を飛んで運ぶ、という優しいイメージが湧く。しかし、昼も夜もなく、全方位に繊細な目配り・気配りが必要で、扱うご遺体も綺麗な状態でないことが多いという相当過酷な現場だそうだ。

心身が削られる仕事であるが、自分たちのことは「忘れてもらったほうがいい」と送還士は言う。遺族が大切な人の死を乗り越えて先に進んでいるということだから、と。悪い意味ではないのだが、彼岸と此岸を繋ぎ、境界を超える困難を助けてくれる、かれらは冥界の川の渡し守のようにも思える。

映画『おくりびと』以降、ご遺体を扱う仕事への忌避感は多少薄れたかもしれないが、「忘れられるほうが良い」という言葉は、こうした仕事が「透明化」されがちなことも表しているように思う。それを見えるようにしてくれた著者の真摯で丁寧な仕事にも敬意を表したい。

若い頃に村上春樹は好きじゃないと言ったら「きみには分からないだろうね」とハルキストに鼻で笑われたことがあるのでまず読むに気ならないが、『アンダーグラウンド』の取り組みについては尊敬しているので、この文庫だけはずっと手元に置いている。

豊田徹也の装画を目当てに村上春樹の『一人称単数』を買い、相変わらずなんか鼻につく文章だなと思いつつちょっとだけ読んで、豊田徹也の村上春樹的なところに今更気付いてしまってなんかヤダ…

戸部良一 ほか『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』

chuko.co.jp/bunko/1991/08/2018

日本軍の組織論ではあるが、日本人の民族論としても読める。失敗のパターンは、今でも日本の多くの組織・集団で見られるものだと思う。

米軍のニミッツ大将が語ったという「海軍力とはあらゆる兵器、あらゆる技術の総合力である。戦艦や航空機や上陸部隊、商船隊のみならず、港も鉄道も、農家の牛も、海軍力に含まれる」という言葉が、相対的に日本の欠点をよく表している。全体を見渡す視点に欠けているので、どこかに綻びが出るとすぐに崩壊する。本書で何度も指摘されていた「グランド・デザインの欠如」ゆえに、どれだけの人をいたずらに死に至らしめたのか。

責任の所在を明確にせず「情」でなんとなくものごとを決める。なんとなく決めているから分かりやすい精神論に固執する。そしてもし失敗したら、下級兵士や一般市民がどれだけ死のうがどうでもよく「仲間内に恥を晒した」ことは反省する。恥なので失敗を認めないし検証もしない…現在の政治まわりと実によく似ている。似ているどころか「今は完全に戦中なのでは」と思えるほど同じである。なので、今後もし日本で戦争が起これば、太平洋戦争と全く同じか、もっと酷い結果になるだろうとしか思えない。

チマチマと『失敗の本質』を読んでるが、根本的に日本人の心性が対外戦争で勝てるもんじゃないのがよく分かる。トップは曖昧な命令を出すだけで大局を見ておらず具体性がない、縦の報連相がなってない、Bプラン・Cプランを用意しない、長期的戦略がない、自己認識が甘い、相手を見くびり正確な調査と分析をしない。笑える(笑えない)

赤坂憲雄『排除の現象学』

iwanami.co.jp/book/b621806.htm

初出は1980年代だが、今の話かと思える。つまり、40年前と現在が全く変わっていない、昭和・平成・令和の3時代を経ても、日本人の心性が成熟していない(或いはここ数年の社会の腐敗によって退化した)のであろう。げんなりする。

赤坂氏の著書自体は初めて読んだが、最近、氏の講演を聴く機会があり、「定住と遊動」をしばしば論考のテーマに据えていることを知った。この本の中心もまさに「定住=社会」の内と外の話であった。

定住社会では漂泊者は「外敵」とされ、「敵」はそれが「謎」(理解しがたいもの)である限り、敵として存在を必要とされ続ける。しかし本当の敵は「内」にあるのではないか。その内側の不安を仮託せられた「生贄の羊」が、社会(集団)の「敵」として顕現する。

本の中に、その理不尽な排除の構造をどうしたら解消できるかというはっきりした答えはない。より多くの人が排除の構造に気付くことが肝要だとは思う(現在は敢えてそれを無視し排除を煽るような著名人も散見されるので、より悪質になっている気もする)


きたやまおさむ『「むなしさ」の味わい方』

iwanami.co.jp/book/b638602.htm

タイトルだけ見てミドルエイジクライシスがメインテーマかと思ったが、主に中高年向け(ザ・フォーク・クルセダーズの歌を知っていると理解しやすい)の対象関係論入門という趣の内容。

「むなしさ」は母子分離に例えられる何らかの喪失によってできた心の空隙であり、且つ、それを排除しようとしてもうまくいかない自己の矛盾=混沌=心の沼であるという。それは得体が知れず、蓋をしておきたいみにくいものではあるが、決して消し去ることはできないので、何とかうまく付き合うほうが良い。その混沌からは、文化や芸術やユーモアといった創造性が生まれることもある。

しばしば「考える暇もないくらい動け。そうすれば病まない」という言説をみかけるが、そうして思索する「無駄」な時間を削りに削っていった結果、社会はどうなったか。みな体や心が耐えられなくなって結局ひどく病んでいる。「無駄」を減らしたら、却って「無駄なむなしさ」ばかりが募るようになったのは皮肉だ。

ちょうど並行して赤坂憲雄『排除の現象学』を読んでいるが、この「排除」によって傷付いた人への処方箋的な本でもあった。

雪朱里『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』

dictionary.sanseido-publ.co.jp

かつて活字の母型(ぼけい)は一握りの天才職人が一つ一つ手彫りしていたそうで、その形である「書体」は属人的なものだったという。出版物には大小さまざまな活字が必要だが、職人頼みではあまりに非効率であった。そこで、高性能な活字彫刻機を導入して、自社オリジナルの書体による活字を生み出そうとした、三省堂出版の歴史についての本。

むかし擬古文の小説にはまった時期があり、古書店で昭和発行(初版は大正)の辞書を買った。見返したら三省堂のものだった。発行年からして本書のメインテーマである活字彫刻機を使ったものではなく光学的に縮小したものだと思われるが、それでもかなり文字は細かい。これも人の手で彫り出し組まれたものだということに改めて驚く。

書体が生まれる過程を読んでいくと、神は細部に宿るというが書体のデザインというのはその最たるものだな、とつくづく思う。コンマ数ミリにも満たないこだわりが、読みやすく心地よい本を作ってくれる。

一般には馴染みの薄いテーマかもしれないが、図版が多く、註がかなり細かいので分かりやすい。文章も著者の主観を排した淡々とした感じで、かといって堅すぎず読みやすかった。

読むのに気力体力を要求される本ばかり買ってしまって、積ん読が一向に減らない。

ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って / 太陽の男たち』

住む土地を追われたパレスチナ難民であり、武装組織に参加して暗殺された活動家でもあったという著者の経歴からすると、終始怒りと悲しみに満ちてはいるものの、ドキュメンタリー映画のような語り口の静けさに、どれだけのものを失ってきたのだろうかと深い闇を見る。

イスラエル人の描かれ方を見るに、ホロコーストを逃れヨーロッパを追われてきた人々の嘆きにも心を寄せていたように思われる(シオニストが台頭してくるまでは、ユダヤ人と良好な関係を築けていたそうだ)。また、収録作の中には、イスラエル人に追い出されたアラブ人が、その逃れた先のイスラエル人を脅して家に上がり込む、という展開があった。弱いものが弱いものを虐げる暴力の連鎖と、悪は状況次第で生じるのであって、どちらが悪いということではないと考えていたのかもしれない。しかし、最終的に著者は一方的な収奪に抗うため銃を取ることを選んだ、という現実の重さ。そして著者が亡くなって半世紀経っても、パレスチナの状況が変わらないどころか酷くなっていることの重さ。

kawade.co.jp/np/isbn/978430946

『開かせていただき光栄です』
『アルモニカ・ディアボリカ』
『インタビュー・ウィズ・ザ・プリズナー』

hayakawa-online.co.jp/product/

皆川博子の英国ミステリ三部作を一気読み。御年80を超えてなお、こんなパワフルに全力疾走するような物語を書き続けておられる著者には改めて感服する。

まだ警察機構も整っていない、法の沙汰も金次第の汚穢にまみれた18世紀の英国(と、その植民地)を、謎めいた美貌の青年とその仲間たちが駆け回る。二転三転する物語がミステリーとして面白いのはもちろんだが、3作すべてに共通するのは権力の不均衡による不条理なので、なぜ無辜の人々が蔑まれ虐げられなければならないのかという社会への怒りも満ちており、主人公らとともに怒り、抗う人々の姿に勇気づけられもする。1作目には胸がすくような展開もあるのだが、2作目、3作目と進むにつれ、憤怒と悲しみが層のように降り積もっていく。そして3冊を読み終えて、「彼」の結末に嗚咽が止まらない。

それにしても表紙が美しい。並べて悦に入っている。

どこで見聞きしたんだか覚えていないが、ヤスパースの「形而上的な罪」たとえば遠くの国で飢えている子供がいることに罪悪感をもつようなこと、というのが昔の備忘録に書いてあって心に残っている。自分はずっとそういうものに苛まれている気がする。

www2.rikkyo.ac.jp/web/taki/con

伴名練『なめらかな世界と、その敵』

自分とはなんなのか、そして他者と理解し合うとはどういうことかという自他の関係性、解説の言葉を借りれば「隔たり」の話であり、その隔たりをいかにして超え、分かりあうかの話であった。

電脳化された冷戦(『シンギュラリティ・ソヴィエト』)とか、パラレルワールドが同時進行し自由に行き来できる(『なめらかな世界と、その敵』)とか、どれもダイナミックな設定で面白いが、東海道新幹線の路線上で「空白化」されがちな某県の住民としては、『ひかりより速く、ゆるやかに』が特に印象に残った。少年少女×タイムパラドクスはやはり定石。

著者は子供の頃から古今東西のSFを読みまくってきたようで(というかかなりのSFフリークらしく、あとがきがほぼ日本のSF史)、硬派な設定でも読みやすいのは、主軸の物語がナイーブで感情移入しやすいことに加えて、その知識や表現の厚さによるのだろう。

hayakawa-online.co.jp/shopdeta

特に見たい番組もないのになんとなくテレビをつけるのをやめたら読書が捗る…

佐々涼子『紙つなげ! 彼らが紙の本を作っている 再生・日本製紙石巻工場』

本好きを自称し、ジャンルが異なるとはいえ印刷関連業者のはしくれであるにも関わらず、本に使われる「紙」がどこで作られているのか、著者同様、自分も知ろうとすらしていなかった。東日本大震災では現地の企業はさまざまな試練に直面したと聞くが、被災からわずか半年で瓦礫と泥にまみれた大型機械を再生させ、紙づくりを再スタートさせたというドラマがあったとは、と驚いた。

タイトルの「紙をつなぐ」とは、どろどろのパルプから紙を抄き、乾燥させ、ロール状に巻き取るまでの工程で、途中で紙が切れることなくつながることをいうそうだ。工場の中でさまざまなパートに分かれて働く従業員はもちろん、関連会社、地域の人たちまで、たくさんの人の「つながり」が描かれ、それを象徴するように、紙が「つながる」。

幸運な偶然はあったにせよ、社長や工場長の決断力と指揮力、従業員のチームワークの物凄さにただただ舌を巻く。危機の際に、希望や誇りがどれだけ大事かもよく分かる。

hayakawa-online.co.jp/product/

奥付の隣に写真のこれが出てきて涙が止まらない。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。