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まあでもときどきダメなの見てないと基準が上がりすぎるからな、調整調整…

久々にNetflixで短編闇鍋やってみたんですが、3本見て結論は「別にやらなくていいな」でした

「きっと稼いで、家も買って…」「いや、あいつやぞ」「…そうね」のとことか、ああいう親の描写いいんだよなあ。あー疲れたやっと静かになった…フウ…と「あのチビなんてかわいいの…」が同居してるとこも。そういうのの繰り返しが家族だと描いてあるの、なんか、そうだよねってなる

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@rucochanman るこさんにみてほしいやつー。現地の音楽がたくさんかかるよー!

『君は行く先を知らない』は細部まで気を配られていて「動けなさ(ギプスが取れないお父さん)」のもどかしさを軸にしつつ、ロードムービーの中にさらに「動くこと」がたくさん持ち込まれていて、とてもとても切羽詰まった話なのにどこまでも軽やかで伸びやかで(編集のリズムのおかしみ素晴らしい)音楽と躍動にあふれていて、大好きなイン・リャン監督の『自由行』を思い出すような(立場は違うけど「彼らにそんな物語があるとはすれ違うだけなら誰もわからない」家族の話だ)力強さがあって、好きなやつでした。

2001年宇宙の旅が好きなお兄ちゃん(だと最初わからなかった)を車の外にぼんやり映す冒頭からロケーションの素晴らしさも印象に残る。川辺での長い長い対話が結局微妙に噛み合ってなくてだから心配なんだよなあ……が溢れ出してるとことか絶妙な良さ。脚本もいいがそれだけで引っ張らない「在ること」の映画になってる。

そしてなんといってもこれはちびっこのちびっこ力(アテンションスパンが短く予想外の行動をする、意外と物をよく知っている、ほっとくと常に動いて喋って止まらなくなる)の映画、小さな男の子の全身ありったけで生きているスペクタクルな運動点としての存在が突き抜けた美しさ。あと両親が「子のため」だけでなく互いを愛しているのがよく伝わるのも好き

『ニュー・オリンポスで』(Netflixでの配信)が求めていたフェルザン・オズペテク映画そのもの!って感じでよかったのよー。70年代に出会った男子学生ふたりが恋に落ちるも束の間、離れ離れになってそれきりに…から2010年代まで続く大河浪漫ですれ違いメロドラマなんだけど、もうこれでもかー!ってくらいにめろんめろんなのよ、堂々とめろんめろんなのよ、歌謡曲センス!それがすごく良いの…運命の恋というのはそういうものなので仕方がない、仕方がないのです…

わたしはなんでもゴースト映画っていう人ですが、オズペテクは「ありえたかもしれなさ」をゴースト化するのでまぎれもなくゴースト映画作家だと思うのよ。完璧な瞬間が訪れたふたりはお互いをゴーストにしてしまうのよ…だからラストはあれ以外ない、にもかかわらずあの瞬間息を呑んでたわね…あまりにも完璧なオズペテク映画的瞬間…

女の人たちが都合よく描かれてるようでそうでもないと思うんだよな、僕らのことをわかってくれるのはいつも女性たちだった、という敬意を感じるの。

人は忘れながら生きていくのだけど、ときとして極端な忘れられなさも抱えるのでままならない、しかしままならなさを抱えて生きていくのだ…という話がわたしは好きすぎる

ハロウィン・キラー、悪くない。特に変な映画じゃないのに変なもの見てる感。色々おぼつかなさはあるのだが(ギャグとシリアスの境がないので話運びがガタガタしてる、説明もごちゃついてる、撮影が鈍臭い)あんまり見たことないマンデラエフェクトネタをやってて、引用は引用を言及する潔さで、こういうのは悪くない。全体にわたしの知ってるホラーコメディのマナーと違って、ノリがよくわからないのだが、とにかく最後まではいけてしまう。持つべき友は天才科学者だよね!

今の若い真面目な子たちが80年代のスラッシャーや学園映画見たら普通に野蛮すぎてドン引きするよね、というタイムトラベルによるカルチャーギャップコメディと「殺人鬼は誰だ」のサスペンスはあんまり噛み合ってないんだが、堂々とやってるので見られてしまうのだった。

ジャンル御本家「ハロウィン」を再構築した「スクリーム」を未来の映画として提示しつつ「アホな行動をする若者がカーチャンなので止めねば!」という若い娘さんのわちゃわちゃ、という当然BTTFをベースに思いついたことをハロウィンホラーとしてやってみました。という以上でも以下でもないんできちんと哲学のあるハッピー・デス・デイみたいな傑作にはならないけど、これはこれで楽しかったよ。

いや改めて思い出すとミラーリングとしても広告を作るのは誰かという話としても相当すごいことやってるんだよな…荷物用エレベーターを使え!言いくるめられるトークン白人の賃上げ交渉に「今度見たら言いつけるぞ」!メイドの扱い!あれを白人監督が撮れてしまうとは思わないよね普通。監督は映る人を信じて撮ってるんだろなーと。やりすぎやつまらなさも含めて、信じてる。何を撮ってるのかわかってる。感。

パトニーは白人だろうが黒人だろうが男だろうが女だろうが搾取するし宣伝はしないと言っているものを使う側のなのでこれまたシャレにならない、権力を持つとは資本を動かせることであり、パワーとは何かの話なんである

しかしドン引きするネタの数々に引き攣りながらもこの国にまともさは存在しねーんだよクソ!って態度に関心しつつもいちばんすごいの「クール」の威力だよな…宣伝の意味の破壊が宣伝になるというラインまでいっちゃっても結局クソCFに「見てしまう」力がある凄み、あれ本当に映像だけはよくできてないと成立しない皮肉で、インディペンデントでここが成立しちゃってるかっこよさ

時代の限界もありいかにもな悪ノリしてるとこだけは無理でしたが、ともあれ悪ふざけの形式でしか言えないことを全力でやって爆発させて走り去り投げっぱなす鋭さは一見の価値ありだよ

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ということで早速見た、これは確かに色々すごかった。ミラーリングだけだったらこうはならない捻くれと鋭さで、タイトルインから趣味がいい…単純に画面と音楽だけで面白がるに十分なのだが(アラブ人とかナイジェリアンのネタはちょっとアレすぎる、にしても、だ)確かにこれは撮ったら映画になってしまう天才肌の監督がやってる感がある

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U-NEXT見放題に入ってくるやつのタイミング、絶対にやめさせないパーソンが見張ってる…?とか思う

「パトニー・スウォープ -デジタル・レストア・バージョン-」をU-NEXTで視聴 video.unext.jp/title/SID009476  言った途端にU-NEXTに入ってびっくりだわよ…

クリス・スミスってNetflixで最も成功した監督のひとりではないかしらん?Netflixドキュメンタリーにおけるある種の定型を決めた存在というか、それを見る層が求めるものをわかってるというか(ただ今作については異色、やはりファミリー密着が長くなったぶん「ストーリー化」を避けるほうにいったのではと予想)。てかWHAM!のドキュメンタリーもこの人だったのね。
 imdb.com/name/nm0807687/?ref_=

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『"Sr.": ロバート・ダウニー・シニアの生涯』Netflixで。良くも悪くも期待より穏当な感じ、監督がクリス・スミスなのでもっとヤバいだろそれ…なところに踏み込むかと思いきや、そのへんはさらっと。モノトーンの画面もあって割りと落ち着いたタッチの映画が人生で人生が映画、という人たちの随想的なドキュメンタリー。

60年代から破天荒な自主映画で名を馳せた天才肌の父(何しろ本人監督版をセットで作ることでこのドキュメンタリーの撮影を許可した彼の様子は「カン」でしかやってないように見える)の話を撮っていたらむしろ息子の物語(周囲を優秀なメンツで固めて自分が監督として撮る形にもできたと思うが、そうしてないのがロバート・ダウニー・Jrらしい)になるのも自然。

ロバート・ダウニー・シニア監督作は日本でほぼ見られない状況なのでせめてセットで「パトニー・スウォープ」と「Pound」を見られる状態にしておいてくれたらなー、Netflixさん……パトニー・スウォープについてはブラック・イナフでも取り上げてられたわけだし。まあどの映画も全然「正しくない」わけですが、他にも「正しくない」映画いっぱいあるわけだし…(少し画面見るだけでもPTAが多大な影響受けて作品にも出演してもらってるくらい好きなの、なんとなくわかる感じ)

『テオレマ』見たんだけど、わからなかった!いやわかるような気はするのだが。『召使』とか前にJAIHOで鑑賞した韓国映画の『花粉』とかイランの『Chess of the Wind』とかなんかそういう「外側からブルジョアのもとに人間の形をした何かが来て、非異性愛的な関係を結びつつ、気づけば逆転、あるいは取り返しのつかない変容が発生する」という連鎖的に生まれた感のある映画群の代表格のひとつだと思うんだけど、他なのに比べて「何か」が中盤であっさり通り過ぎるからなのか、どうもイメージの奔流に身を任せきれず。わかろうとしてしまってよくないなーと思いつつ。

キリスト教的なイメージ(ざっくり理解なのであってるかわからん)?この時期のイタリア映画の「感じ」に苦手意識あるがゆえの入れなさ?(私はヴィスコンティもベルトルッチもまだ1本もわかった感ないんよ)観念的なことを喋り倒すから?うむむ?

にしても視線の位置が独特だったな…キャラクターが対峙している相手ではなくこっちを見ているようで、しかしスクリーンの向こうなんぞ当然見ていない、邸宅の5人は見えてるものを見ていない顔(訪問者のテレンス・スタンプだけが相手のある視線を動かす)。あの顔と、あと色のかっこよさ(かっこいいのよー)は忘れがたい感じです

土曜日に『SISU/シス 不死身の男』見たんですけど、好みとは違いつつも「こういうの」をやるにあたってフィンランドという場所ならではなのが面白いなと思った。主人公、クマなんだよな…と同居人氏が言ってたんですが、それが似合うズドーンとした大地にズドーンとした変さ。やっぱりフィンランディアってフィンランドっぽい曲なんだよなあ(途中から突然テンションあがってくるのにいつも笑う曲。クラシック曲に笑うのも妙なんだが、笑う)

主人公の台詞のなさがMMFRでもまだもっと喋ってたぞ、という感じで、声らしい声はうおおおの咆哮のみ…なんだけど別に喋らないわけではなくその言葉では喋らないと決めているだけ、という。一部で展開に必要なところだけは周りが喋ることで進行するけど基本はサイレント志向(あのくらいの台詞量なら字幕でも成立するよね)身振りと状態だけで示す。

同胞を助けるとか別になく、復讐の人としても一旦終わってる感じで、金塊に執着してるだけなので邪魔するやつを全滅させるだけの頑丈な人。頑丈なだけなので怪我だらけで、どう考えても普通なら生きてないのですが、しかし死なないと決めてるので死なない。なんかね、この「決めてるのでそうです」のしれっとした感を楽しむ話で売り方とちょっとギャップあると思ったよ

ソダーバーグとオゾンとララインになんか繋がるものを感じてるのだが作家性バラバラすぎて自分でもどういう回路なんだ、と思う。でも近いものを勝手に感じている。

ララインの『伯爵』Netflixで。なんつー話だよ(2日連続)(いやだってそうとしか、ねえ)。モノクロにすれば「何かある」ふうになって誤魔化せると思うなよ?と安易な風潮に釘を刺すような流麗極まりない撮影なんだけど、やってることがやってることなので、かなりとんでもない話なのだった。

あれ?英語ナレーションなんだ?というか端々の酷い物言い、これはどういう視点の人の語りなんだ?という最初の戸惑いが最終的に「あー!」となるのだが、いやいやいや、いやいやいや、笑えねー!笑うけど!笑えねー!

終盤はちょっと場面転換、人物移動、語られる言葉、展開、がうまく噛み合ってない感じがして、ガチャガチャっとした印象。謎映画のときの(たぶん世の中の賢い人は謎と思わないんだろうけど)ララインのスキップの仕方はときどきよくわからなくなるんだよな…けどまあそれどころではないので…

それにしてもララインの(親のこと調べたら相当ギョッとできます。そういう人がこれだけゴリゴリの映画を撮るわけよ)チリ映画史に名を残す特異点ぶりはちょっとやそっとのレベルではないな…あの飛行バレエ(フィギュアスケートっぽいかな)の身体、その画の長さ、そして強度。とこういうストーリーが組み合わせられるその不可思議なバランス

ついったらんどに感想書くよりこっちのほうがまとめやすいのはまあ当然なんですが、誰かと見た映画はその場で「あそこがああでさー!」をやり切ってしまうためあんまり感想が残せてない、忘れちゃいそうで慌て気味

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