昨夜は「バイオレント・ナイト」見たのですが、本当にどうでも良い血みどろサンタさんコメディ(クリスマスの奇跡だけでどうにかする)においてもデヴィッド・ハーバーさんの世界一の絆されやさぐれかわゆみ担当おじさん力が炸裂していて、こどもがいる…とわかったときの「あーもう!ほっとけないじゃんよ!」な表情とか、こんなどうでもよく馬鹿馬鹿しい映画においても「本当の気持ち」に見えるのすごいなって思った 子役さん含めてみんな90年代のお子様ランチ映画のコント演技なんだけど、ハーバーさんだけはいつものグダグダしてるけど根っこが真面目で優しくて守るべき小さな存在のためならどんだけでも無茶したるで!な真剣なハーバーさんだった
ドシャメシャな残酷描写、汚い言葉使い、人がバカスカ景気よく死ぬ(サンタさんは大いなる力だから許可されるとして人質サイドもだいぶバイオレントなことを…)ホームアローン見て育って今は親になってる世代向けクリスマス映画、というネタ自体が少し前のセンスなのでそんなに…だし、いかにも87ノースっぽい肉弾戦の割にチャカチャカしたアクションもそんなに…だしびっくりするほど安い空飛ぶトナカイ画面は呆れるレベルなんだけど、クリスマス映画のハッピーさは守られている。みんな良い子にしていましょうね。
少し遡り。金曜に実は人生初のフェリーニとして81/2見たんですよ。いろんなとこでタイトルをきくのですが、なんか苦手そうな気がして構えていた(不出来なミュージカル映画ナインは見てる、くらい)。のだけど、そんなに嫌な映画ではなかった(どんだけ構えてたんだ)。ここまでまっすぐ女の人はみんなぼくを小さな坊やみたいにチヤホヤしてほしい!現実として年とって醜くなったら追いやりたい!愛するのは怖いけど愛されてたい!妻すまん!もう全部どうでもいい!(前3つは本気ではなくてもうしろの2つは割と本当にそう思ってるからこそ妻の幻影は痛々しく現実は美しく周囲のみんなのうるささが過剰になっている気がした)をやってる話なんですね
冒頭しばらく極端に映されない主人公の顔。これストップモーション?動いてる?からの凧のイメージが愉快で、なるほど物語を語るより頭のなかを明かしてみたいという欲望は一定のところまでいった創作者なら確かにここにいくだろうな、と思わされる。映画制作のゴタゴタ話がベースでそこに幻想が絡む話なのかな?と思ってたら別にそういうわけではなくずーっと起きていることの不確かさで、映画は夢だということに正直な話だった。まあキモい話だけどキモい自分に正直なんだなーと微笑ませるものがあった。みんなで踊って胎内回帰。潔い。
セキュリティ・チェックを見た感想。褒めてない。悪口。
ダイハードを参照してるとか気の利いた脚本だとか聞いたので、期待値をあげたのが失敗。限定状況サスペンスの作り方は強引でも雑でもいいのだけど、地味な映画になることも派手な映画になることもできないウロウロっぷりが目も当てられない…と思うくらいにはマズかった、真面目にサスペンスをやる方向にもバカをやる覚悟もない映画じゃん?
カーアクションのとこの巻き込まれとかもだしクリスマス映画をやるときに敵でなく仲間の人死にへの無頓着をやられるとつらい。活躍のために人格のある人を殺すとぬけぬけと幸せになる話にならないんだよ!
イヤホン通話のドラマを作るときに「自然に振る舞え」と言いながら「周りにバレないように会話する」をやろうとしない不自然さをなんとも思わんのかな?誤魔化すシーンさえない…それでもまだ前半は見られるけど(会話からの推察とかよくなりそうな片鱗はあるのよ)後半は本当どうでもよくなってしまった。残るのは変なディテールの意味のなさだけでした。白米だけ残すの何だあれ
犯人側の虚をつくのではなくどっちもバカに見えるの無理なんよね…マクガフィンとしての兵器をその程度に扱えてしまうガサツで微笑ませるためには他がしっかりしてないと…ロストフライトを見習ってほしい
『ペパーミントソーダ』なんとか駆け込めた!かなりよかった。甘酸っぱ系ではなくてピリリと辛くておかしい映画。13歳と15歳の姉妹の主に学校、ときどき父母周り、の1年のスケッチなんだけど本当にスケッチに徹していて、断片の連続。エピソードを広げてない、けど全部伝わる。カメラワークも面白くて、突然すっと引いて校庭と校舎を離れて見るような視線が挿入されるのとかよかったなあ。
特に下の子のアンヌ(どちらかというとこの子の視点が多めだけど)がすごい「こども」だったのがよかった。13歳って自分たちはそこそこ大人なつもりでいるんだけど、全然そうじゃない!そして思春期初期のエネルギーがとぐろをまいているのでワヤワヤ具合がもう大変な状態なんである!あのひょろ長い体つき、膝から足首までのまっすぐな線が完全に「こども」!その脚に学校でみんなが履いてるから自分もストッキングを履きたがる、ああローティーンのこの感じ!お姉ちゃんもお姉ちゃんで15歳なりの精一杯にはやっぱり限界もあって。学校という体制にはちゃめちゃで抗う仏映画の伝統とは響き合いつつ、しかし先生側の描写も単純じゃない、何しろスケッチなので正直なのだ。
アルバムの中に残されている写真と写真の間に流れている時間を動かすことが映画なんだなーって思ったな。良い映画だった
ロボット・ドリームズ、良かったな。私はとても好きだった。今作のセプテンバー、キングの11/22/63のイン・ザ・ムードと同じ意味じゃないですか。「ダンスは人生だ」ですよ
誰かと一緒にいられる時間が長くても短くても、スタックが長くてボロボロになってしまっても、あるいはいろんなことで気を紛らわせることができても、それでも寂しさが残っても、大丈夫な時がきても。セプテンバーで踊るということが生きていくということなんだよなーと
愛の話にも孤独の話にも見えるし、実はどちらでもないようにも思ったな。たくさんのすれ違っていくもの、傷つけるものや優しいものやゴミや落書きや美味しいものや楽しいことや、いろんな音楽や静けさ、暑さ寒さ春夏秋冬、そういういろんなものがある世界に生きているってことを「そういうものだ」とまんまるい目でただ受け止めて、あの口のかたちで笑う、そういう距離感。
この映画には喜怒哀楽の怒が欠落しているのよね。実写でこういうキャラクターが人間の形に描かれてたらた私も違和感を持ってたかもしれない、でもアニメーションなら大丈夫になるのよね。
ドッグのおなかのぽってりした感じとか、ロボットのニコッの口とか、線、特に曲線の魅力にあふれていたな あとスクリーンというか暗幕?の使い方も素晴らしかったな
遺灰は語る、なんか謎に面白かった、話としてはちゃんとわかるのに全部がなんだかよくわからない映画であることに興奮したな 死と故郷、戦後イタリアでシチリアに戻されるピランデッロの遺灰というプロットが軸にはなってるのだが、これはいったいなんの話なのか、最後までよくわからない 美しいわからなさ
代わりにすごくいい画面がたくさんある。扉から近づいてくるたびに歳を取っていくこどもたち。墓から取り出される遺灰のとこで車の前で喋ってるふたりに当たる日差しの明るさ。走る汽車の中で踊る男女の入れ替わる顔がずーっと同じ位置から映されてるところ。若いカップルの「知らないけどきれいだろ?」。まぶしいほどの月明かり。変な帽子。ベランダに出てるお爺さんの顔の皮膚の分厚さ、演劇人たちの横顔の完璧なポートレート性。巨岩の圧倒的な存在感。飛び上がり足を打ち鳴らす彫刻家の後ろ姿。なんの引用だかわからないけど引用されるいろんな映画とのシームレス。
青い青い海色で染まる画面…ここから終わりに入るのかな?からの、え、短編?しかもこんな内容なの?という構成の奇妙さにもポカンとなる
ある種の走馬灯映画であり亡くなった兄にささげられた映画でもあるわけだが、その割に謎に軽やかなのは老齢の監督らしさであろうか ほんと不思議な映画だったな
動物界、おおかみこどもではないものを見たかったけど、そんなに差はなかったので残念だったな…設定の枠の中から出てこないSFはどうしても物足りない感が。
いや新しい景色がほしくてな…新生物に「なる」のが病と捉えられてる状況とそもそものルーツときて捉えられてるのとか、システムに介入されることの拒み方とか、そのへんのニュアンスはおおかみこどもと違うが、どっちも問題はそこの寓意(と取られてもおかしくないもの)の掘り下げが手ぬるくて社会の認識そこまでなん?が気になるわけだよ…意味ではなく「そのまんま」にやるのであれば差別的な扱いとかADHDの女の子との関係よりもっとやれることがある気がした。あとアクションは実写でやると弱くなるな…みたいなとこも感じちゃったかな…
少年なので思春期ボディホラー的な雰囲気にはならないんだなーみたいなことも思った。良くも悪くも少し前に同時多発的に出てきた欧州少女変容系のぬめりは前にきてない感じ。タコ人間とかも出てくるんだから哺乳類でなくそっちへの変容で見たかった気がする。
ちょっと面白かったのは「ノルウェーみたいに隔離じゃなく共生を探ってるとこもある」みたいな台詞が出てきたとこで、なるほどやはりこういうときも北欧なのだな
クリーチャーのなんともいえない造形は悪くなかったと思う
コンペ番組好きという理由だけでタイプロも見てる話する…?
勝手がわからない