「マッチ工場の少女」を見ていました。その場所に喪女ありて。なんつー話だよ。あまりにも悲惨なので底が抜けたダークコメディに、というのはあるにしても、いやなんつー話だよ。
クラシック映画的なアプローチとしてはフレームアウトと同時に車のブレーキ音といった割とオーソドックスなとこについ目がいくも、足元のジュースの瓶の哀愁とか鳴らない電話の佇まいも忘れがたい。あとなんだあのパンにトマトのっけただけのまずそうなやつ。
しかしこれ、天安門事件と重ねて巨大な存在に立ち向かう孤高の話を描いているのかとちょっと驚く。「真夜中の虹」のオルゴールのインターナショナルとかもそうなんだけど、若い頃見てもニュアンスがわからなかったことがたぶん今だからある程度(ある程度ではある)繋げて考えられるね。
工場で単調に響き渡るマッチを作る音と主人公の仏頂面でもないのに無表情に見える顔、絶妙に野暮ったい愛の歌の数々、彼女は何もできないと思っている人間たち。取るに足らない、捨て去られるマッチのような女、しかしマッチは全部を焼き尽くせるんやで。女主人公だとぬけぬけと幸せにしにくさはあるぶん、ハードボイルドというかノワールというかタガが外れる話になるというのが現実的であるがゆえの笑えなさ、かもしれない。しかしみんな顔が強い。
Netflixのウェスアンダーソンのロアルドダールのやつ2つ見たのですが、もはやストップモーションアニメとの差がわからないレベルで豪華な俳優を人形と声優を兼ねた存在として扱っていて、何かすごいとこまでいってるな?こんなのやられて笑わないの無理だわ。ウェスアンダーソン調はよくネタになってるけどやっぱり本人しか無理なやつあるわ。明後日に捩れた陰気さがあの形式を作ってるとしか思えないんだわ。ちょっと離れてた(もともとそんなにドンピシャ好きでもないし)けどやっぱりすごいわね
あれ?なんか最後まで投稿できてなかった?
母とカサンドラ(というテレノベラに着想を得たということになっている、このあたりは脚色っぽいが・・・)をもとにしたドラァグとディスコティックの「自由」を「ルチャリブレは自由への戦い」に繋げてるのいいよなー。一方でどれだけ技術に優れたレスラーであるかはあっさり流されている印象、ここはもうちょっと踏み込んで見てみたかった気がする。でもそれは御本人のドキュメンタリーのほうでみればいいのかもね。というようなことも書いていた。https://www.institutfrancais.jp/yokohama/agenda/losier/
アメリカ映画(これアメリカ映画なんですよ!)における言語の使い方、ここまでこれたかという感じでそこも感慨深かった。主人公はメキシカン・アメリカンなんだけど英語話者以外とは一切英語で話していない。
一部で当時のTV放映の画面を再現しているんだけど、今作についてはその質感で「実際」と「イメージ」の距離調整をする方法が非常にうまくいっていたと思う(TVサイズだからいい感じなので配信リリースで正解だと思った)。という意味でララインの『NO』も思い出したり(スクリーンでみたがゆえにという理由で評価を下げてしまった珍しい例)。
入場曲や挿入歌も全部ちゃんとスペイン語版が使われてる。セレーナ版I WILL SURVIVEだったりCALL ME(デビー・ハリーの声そっくりだが?と思ったらブロンディがそもそもスペイン語バージョンが出してたのね https://www.youtube.com/watch?v=k92tNyCrOgk&ab_channel=Blondie-Topic)だったりFeverだったり選曲のノリはやはり共通の文脈のそれなのね。ディスコティックは自由の音楽。ルチャ・リブレは自由への戦いなのだから当然なのだ
『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を見ました。ロジャー・ロス・ウィリアムズなので優しくて柔らかい映画にはなっているだろうと思ったのだが、予想以上に落ち着いたストーリーテリング。水彩画のようなタッチでルチャ版のリベラーチェ的な人物の物語を描くのもいいものですね。そのためやや浅くて淡い印象にはなるのだが、あえてそれを選んでる感。現実はもっと荒んでいたんではないかと思うけど、これがどういう意味のある映画かを考えてのことなんだと思う。
そしてガエルくん(ずっとくん付けで呼んじゃう人)の「カサンドロ」をまとったことで自分になっていく人としての演技の確かさ、グラマラスな存在感があってこその映画。コーチのお姉さんとの友情やお母さんとの仲良しぶりも真実味があるし、リングでのパフォーマーとして煽る仕草とかムーブ全体にすごい説得力あるのよね。似せることが第一ではないのだよなーという
先人たちに敬意を。自分を大事にしてくれない人からは歩み去れ。人生は続く。
アッシャー家の崩壊おもしれー!久々に痛覚をギリギリやってくるフラナガンの呪いの物理攻撃度高くて、Netflixへの置き土産にやりたい放題やっていくわ感がある
ずーっと先延ばしにしてきたファスビンダー、初鑑賞は『不安は魂を食いつくす』にしました。いや普通に面白いな!てかこんな端正な作風なの?知らなんだ
元ネタはサークで2番目に好きなので、この種のメロドラマがもともと好きなのは好きなんだが、サークのそれとは大きく印象が異なる、というかなんか成瀬みたいじゃないですか。あらゆる人の動きが収支、勘定によって支配される!しかし愛あるいは情というやつだけは明朗会計とはいかぬ…みたいなさ。成瀬ほど全部が全部水のように流れていかないのでギクシャクしてるのと端々に欲望と恐怖の重なるような男性身体への視線があるのがまたこれはこれで。よい。味わい。
ところどころで出てくるじっと表情を捉えて絶妙にこちらの予想より長く、もう少し続きそうなと思った予想よりはギリギリ早く切り上げるクローズアップとか、ライティングどうやってんのな絶妙な光と影とか、フレーム内フレーム大好きなので扉の向こうからショットとか階段使いにひゃーすごい!ってなりまくるし、人物の配置の絶妙さも面白いし、あと偶然直前まで読んでいたナターシャ・ヴォーディンの本のおかげでドイツにおける異邦人の複層的なところが見えたのもよかったし(ポーランド人の夫がいた元ナチ党員の初老掃除婦という設定からして一筋縄でいかない)。満足。
続けて今夜はイコライザー2を見ました。あ、1作目よりだいぶ面白い…というか殺戮型の勤勉な守護天使というマッコールさんの在り方が定まってるのと規模が小さくなってるので筋での「なんでだよ」が減って(無くなるわけではない)違う方向の「なんなんだよ」が膨れ上がるという。生活のルーティンを崩さないマッコールさんにとっては、必ず食後すぐにお皿を洗うのも、身近な少年をまっとうな道に引き戻すのも、過去に辛い思いをしたおじいちゃんを大事にするのも、悪い人全員ぶっ殺すも、全部同じなんだな…というの仕置人ジャンルでありそうでなかった感がある…
ハリケーンというモチーフ(2の舞台としてこの「大いなる力」を設定したの良かった。アクションとしてはやはりモッサリしてるが木々がざわめいたり雨に濡れたりする窓もあるし)まで携えて、かくて神の顕現…と描こうとしてるわけだが、たぶんあの「ぬーん」という立ち姿もあってホラー映画の不条理悪に近しいとこまでいってるのよね。行動が完全にサイコパスのそれだし、目が死にすぎててブギーマンにしか見えない。不条理善にも暴力が伴えばやっぱホラーなのだなとわかります。なんなんだよ。
勝手がわからない