業界仁義の秩序はきわめて強力だ。
“スマイルカンパニー所属のヤマザキマリ氏。山下達郎氏関連のリツイートが削除されているのを疑問に思い見てみると、約8ヶ月ぶりの怒濤のいいねがこの内容。松尾潔氏に対するSC社内の空気はこんな感じなんですね”
この新井って、オースティン『マンスフィールド・パーク』の解説でポストコロニアルスタディーズ的読解を嘲笑ってTwitterで晒されてた訳者の一人か。
著作タイトルがいかにもなラインナップ。講談社学術文庫とか新潮選書が手がけているような、英国貴族を羨望する保守言説群(小林章夫とか宇野重規も含む)の一つなんだろうな。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1127258
この件、いつも被害者側の名前と写真がアイキャッチに使われるけど、山口敬之の方をクローズアップしなよ。
伊藤詩織さんの性被害、元TBS記者への賠償命令が確定 最高裁決定:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASQ7862ZPQ78UTIL02V.html
https://www.asahi.com/articles/ASQ7862ZPQ78UTIL02V.html
ジェーンオースティンわかるマンたち、もとい「ジェイナイト」についてのこんな文章があっって面白かった。近過去の日本だと24年組を語る男性のマンスプレイングが似た事例として想起されそう。
キップリング「ジェイナイトたち」の邦訳を探している途中でみつけたが、これは結局訳されてなさそう。
新井潤美「Janeitesの功罪 : ジェイン・オースティン受容についての考察」(2020)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050851497140021120
あとはこのジェーン・オースティン関連論文。ちょいミソジニー入ってる文章だが。
"スパックスはゴシップの魅力を次のように締めくくっている, 「ゴシップが力を持つのは, 他者の経験を想像的に所有することを通じて得られる, 支配するという幻想によってである」。"
岡本昌雄「たかがゴシップされどゴシップ ゴシップという「真理」」(2011)
Patricia Meyer Spacks『Gossip』(2012)にかんして調べている途中で見つけたが、こういったゴシップのメカニズムの現在形が、現在のウェブ小説の2chスレを模倣や配信ものなんだろうな。
誰々が実はどこに住んでるとか、誰とくっついたとか、スパチャでいくら飛び交ったといった話題の型がかつての19世紀社交小説の財や繋がりの話題と似ている。人間集団の秩序での関心事がフィクションに流出するときにはだいたいこの枠組みになるということでもあるんだろうけど。
"社交界の人々の興味はヴェニアリング自身ではなく、彼らがもつと思われる財産 や地位、そしてそこに顔を出す人々との繋がりにあるのだ。
(…)見せかけの関係性を構築するための手段としてディケンズはうわさ話、つまりゴシップの機能を利用してい る。ハーマン殺人事件の話は新聞や立て看板を通じて土地を超え、階級を超え、瞬く間に世間に広まっていく。"
佐取愛香「流通する名前 『互いの友』における見せかけの社会と個人」(2022)
http://elsj.org/kanto/_src/606/2022a_proceedings_satori_aika.pdf?v=1681548440203
「(あらゆる対談にも言えることだが)そもそも会話では話は繋がっていないんだが、流れによって違和感がない」という特徴があるのだが、それを恥ずかしげもなく文体に仕立てたと言えそう
https://twitter.com/lawkus/status/1677397993367175168
これにいろいろな引用RTがついているが(土竜が暇空擁護してるのが目につく)、暇空の文章ってあんまり見たこと無いけど、note記事は対話形式だから、普通の記述の技術ないんだろうね
論考のプロモーション的な記事かな。渡部宏樹は金カム論を書く一環で入植者植民地主義について調べていたが、金カム論は文春から新書で出すのかも
"『ゴールデンカムイ』についての短い論考を書きました。趣旨としてはまず作品の分析と理解をしようというもので、今月出る予定の論文の冒頭1/3くらいの内容になります。先日ポリタスtvで話だけ振ってちゃんと議論できなかったのでぜひこちらを。
こんな人いるんだね。アイヌや能登の海女に関する本がある。50-60年代日本を研究した人。
日独伊時代の貴族階層ナショナリスト東洋学者なのか?と思うが、アイヌや海女がリーフェンシュタールにおけるヌバみたいなものなのかな
あまり書き物ができてない。