Patricia Meyer Spacks『Gossip』(2012)にかんして調べている途中で見つけたが、こういったゴシップのメカニズムの現在形が、現在のウェブ小説の2chスレを模倣や配信ものなんだろうな。
誰々が実はどこに住んでるとか、誰とくっついたとか、スパチャでいくら飛び交ったといった話題の型がかつての19世紀社交小説の財や繋がりの話題と似ている。人間集団の秩序での関心事がフィクションに流出するときにはだいたいこの枠組みになるということでもあるんだろうけど。
"社交界の人々の興味はヴェニアリング自身ではなく、彼らがもつと思われる財産 や地位、そしてそこに顔を出す人々との繋がりにあるのだ。
(…)見せかけの関係性を構築するための手段としてディケンズはうわさ話、つまりゴシップの機能を利用してい る。ハーマン殺人事件の話は新聞や立て看板を通じて土地を超え、階級を超え、瞬く間に世間に広まっていく。"
佐取愛香「流通する名前 『互いの友』における見せかけの社会と個人」(2022)
http://elsj.org/kanto/_src/606/2022a_proceedings_satori_aika.pdf?v=1681548440203
あとはこのジェーン・オースティン関連論文。ちょいミソジニー入ってる文章だが。
"スパックスはゴシップの魅力を次のように締めくくっている, 「ゴシップが力を持つのは, 他者の経験を想像的に所有することを通じて得られる, 支配するという幻想によってである」。"
岡本昌雄「たかがゴシップされどゴシップ ゴシップという「真理」」(2011)
この新井って、オースティン『マンスフィールド・パーク』の解説でポストコロニアルスタディーズ的読解を嘲笑ってTwitterで晒されてた訳者の一人か。
著作タイトルがいかにもなラインナップ。講談社学術文庫とか新潮選書が手がけているような、英国貴族を羨望する保守言説群(小林章夫とか宇野重規も含む)の一つなんだろうな。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1127258
これもまた、ゴシップの集団秩序を強化する側面の延長で捉えられる方面だと言えなくもないだろう。