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共産主義黒書とか精神分析黒書(こっちは未邦訳)とかの黒書ってなんじゃろ?と調べてたら、「政府の各省庁が国民に向けて作る報告書」が白書であり、黒書は「労働組合、企業団体、研究機関、運動グループなどの民間団体が、政府が書かない・把握してない活動実態や不備などを訴える」ものじゃぞ、とわかった。

ということは非公式かつ外野見解みたいな意味なんだな。黒書に、必ずしもネガティブな意味がないじゃん? と困惑したが、グリモワールは「奥義書、魔導書(魔道書)、魔法書ともいう。類義語に黒本、黒書(black books)がある」という記述も引っかかり、実質的に奇書っぽいゾーンにまたがった歴史があるのか~と感慨深くなるなど。

さすがに誤りの箇所は消しておこう

ル・グウィンのファンタジー論読んでるが、アレゴリー嫌い、古代に依拠して近代のリアリズム小説に対する優位を誇示、伝説や神話を生み出す社会秩序の不問、など駄目なところも目立つなこの作家。「作家だからしゃーない」で済まされてきたんだろうけど。

ダニエル・シャルル、ケージとハイデガーを結びつけてたのかよ。

ジャニーズを喜多川が死んでやっと問えるようになった日本芸能界のおぞましさを考えると、韓国は日本と大差なさそうな腐敗芸能界だろうに、励まされるような取り組みや美点がありすごいとは思うし、そこから学ぼうという見解にも頷けるし、社会や文化がより良いものであってほしいという気持ちも同意できるが、それを主張するために副産物として単純化を平然と生産する(その単純化は外国のトライアルのみならず日本社会での取り組みの隙間やバッファの判定をも見過ごさせる)はダメ、というやつ。

その単純化はバズるし支持されるし、喜ばれるわけだが。

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「外国理想化」は、「自国批判」を一撃で引き出せるから、日本に限らずどの国でも起きるイージープレイであり、各国ごとにあるんだろうなー、ぐらいの観察と把握が今や問われる。

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英仏の帝国主義をまるで無かったことのようにしたり、20世紀後半以後の軟着陸やカバーストーリーを鵜呑みにしているような人が韓国を褒めても、韓国芸能界や軍事体制の中での韓国文化のトライアルやしがらみ、達成などわかるのか?と私はかなり苦々しく見てしまう。
かつて蔓延した「外国理想化」の矛先を変えてるだけでは?

西欧だって精霊とか祖霊のモチーフぐらいあるし、昔から機械人形や『ファウスト』のホムンクルスとかもあるんだから、「日本だけが機械を生命と見る」というより、むしろ「奴隷や使用人への支配と独立」の問いが日本では希薄で西欧ではますます濃厚になった、というファクターから見た方がつながると思うよ。

啓蒙思想の時代は同時に黒人奴隷プランテーションの最盛期なので、この二つは並行している。そして、日本ではそうしたことに蓋をするイマジネーションがとにかく頑強。

手塚のアトムは、戦後日本で科学技術にたいして楽天的な期待が寄せられたことと不可分なので、「科学とテクノロジーへの信頼と楽天性」の国ごとのサイクルを見た方がしっくりくるのでは。

日本ではそうでもないが、19世紀西欧は科学技術への楽天性が強かったが、第一次世界大戦で兵器革新が起こり、テクノロジーへの不安が一挙に出る、といった波がある。

日本は原爆を落とされたが、戦後復興のなかで科学技術と科学教育がナショナルな規模でかなり強まった。

といっても別に池田理代子が革命左翼かというと、そんなことはないのだが。

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ルセルクルがフランケンシュタインを紅はこべや二都物語と同様の英国における革命的正義への保守的コメンタリーの系譜だと言うのは面白くて、ここには現在の宝塚ファン層との並行性を見出せる。
現在の宝塚ファンはべるばらではなくスカーレット・ピンパーネル(紅はこべ)を標準的作品だとみなすのだが、ここに革命ロマンの忌避と英国保守への舵取りやオタク的保守政治が見てとれるからだ。
この数十年間のメアリーシェリーの日本における評価上昇も「フェミニズムや女性消費にはエンカレッジだが、保守に回収される」ルートとして相似的であるおそれがある。
あるいは、フランケンシュタインの怪物の方に読解を注力することで、メアリーシェリー自身には忌避された革命性の方を拡大させるミッションも継続しているんだろう。

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ロボット論としては、手塚のアトムやドラえもんを引き合いに出して西欧と日本のロボット観の違いから、日本=アニミズム、と持っていく言説がかつて山のようにあったが、これも単にフランケンシュタイン系譜における逸脱と変形で包摂可能なものを日本特殊論にずらしたものにすぎないように思える。

藤子不二雄コンビはどこまでもフランケンシュタイン論の延長で論じれるのでないか?などとも連想する。「モンスター(抑圧されたもの)が回帰する」って劇画オバQとかノスタル爺?とか。

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ジャンジャックルセルクルのフランケンシュタイン論はやっぱ面白い。

直接なにかに使える・いまなおアクチュアルというよりは、かつて成立した型について考えさせられる。
たとえば「メアリー・シェリーって親は左翼だったけど反動じゃね?」といったルセルクルの疑念も、現在の英文学保守が主流となった秩序では忘れされた視点だなと考えさせられる(つまりメアリーシェリーとオースティンが掲げられる秩序に対する別の補助線になる)。

アシモフがフランケンシュタインものをこき下ろしたことでフランケンシュタイン論はロボット論になりやすいのだが、ルセルクルはむしろフランス革命ショックから20年程度という
歴史的条件への認識が武器になっている。

『数の値打ち』はデジタルヒューマニティーズの日本文学研究では最重要文献と、その方面の人から勧められたな。「あれ訳されるのかー」と。

上野千鶴子についてはもはや「歴史的意義を果たした偉人」として扱い、過去の論壇的プレイヤーとしての検討と、他のプレイヤーに移行させていくといいんだろう。

だが現役感がすでに希薄なのに「フェミニズムといえば上野」とばかりに召喚し続けるメディア関係者の怠慢・不勉強があり、その代表効果の増幅によって批判すると利敵行為になる罠も大きくなってしまっていると考える。

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お、漫画家が責められるパタンか?と思ったら釘刺しつつも、「そのまま向上心持ってがんばろう!」でまとめてて良い回答だった。

"あなたの中に、ハッキリと到達したいレベルが見えてる。
でもそこに届く技術がまだない。実力がまだ追い付いてない。
思ってる以上に現状差があるんでしょうね。
だから直したくても、具体策を出せない。
最初からそのレベルの作品も描けない。
ここで自分の力不足に嘆いて自分をダメだと思うようなマインドだと、自主没を繰り返し、描くのが止まってしまいます。
でもあなたは幸い担当のせいと思えるタイプなんで、出せる。
良いアイディアが出て来ない理由を担当のせいにして自分は責めない。
自分に攻撃が向かない。
これはね、良いですよ!!"

twitter.com/gamikossu/status/1

まあ、右派は「自分は原則論や一貫性なんか無いですから〜、あ、左派は原則論に則って誠実行動でよろしく! そのほつれを叩かせてもらいますんで!」のプレイなので、一層腐ってるのだが。チートで一方的にボコる特権を使いたがる。

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仁義は、左派だろうと、フェミニストだろうと、天皇制批判ラディカルだろうと、避けられず、原則論的行動を弱めさせるので、右派だけの問題ではない。

私は上野千鶴子がきちんと過去にされて整理されないのは、利敵行為防止と団結のためもあるだろうが、「教わった・世話になった・恩義がある」がゆえの縛り(仁義縛り)も大きいと考えている。

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