ミルプラトー第四プラトー読書会で語用論の系譜を検討したので、痛感するが、ボワやフリードは語用論や日常言語哲学の語彙で思考してるところがあるんだろうな。
ほんとだ。いつのまにか陰謀論に突入してた。アウトやん。
天重さんの指摘で「日本では植民地主義への批判としてではなく、白人中心主義への批判として、ロジックをすり替えられる」というのがあったけど、私が、作品を「白人酋長もの」と纏めて済ますネット慣習に苛立っていたのは同じような視点からだったなあ、と思い出した。
植民地主義の罪ではなく、アメリカ人を腐す身振りに逸れてしまい、日本にある植民地主義的欲望をあっという間に消す手口になる。
https://twitter.com/ttt_cellule/status/1254057866899492865?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
今日まで無料で読めるらしい。
井上まい『大丈夫倶楽部』
https://manga-5.com/series/13
『緑の歌』の高妍が書いてるし、コミックビーム、さりげにハルタよりつええなという認識に。https://comicbeam.com/magazine/new-magazine.html
檜垣の言いたいことはこの記事における左のモデル、「勝手に学ぶ人」にように隣接範囲を自主判断でやっていかないと生き延びられないし、実際に失敗した人たくさん見てきたよ、というものだろうなと人と話してた。
(このnote記事は、記事作成者がむしろ集団的プロジェクトでは後者の期待回路の方をなんとか伸ばすしかない、と考えている逆説性が面白い)
で、子育てしながら研究やりたい人は右のモデルでやらせてほしい、と不満があるので檜垣を敵視する。でもアカデミックメリトクラシーの修羅ワールドでも文筆でも、そんな既定オーダーのスキルでなんとかなるわけではないから、そのスタイルだと途中で戦力外通告されて潰されるだろう。
なので長い目で見れば檜垣の方が残念ながら妥当だと思われる。
柴田史郎「「勝手に学ぶ人」と「期待されて学ぶ人」の差が埋められない」
https://note.com/4bata/n/nf8fbcb832e91
あまり書き物ができてない。