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「ファンタジー世界でホモソーシャル現場を批判する」みたいな技こそが暗黙に望まれてるんだろうなあ、と思う。「俺、そこで働いてるから。むかつく」を潰すならこれよ。でもそれってなあ…

荒いところはあるかもしれないが、そもそも異を唱える際にコンフリクトと不満が生じるのは避けられないよ。

で、じゃあ「ホモソーシャルな職場ってこういう所なのね〜」という要約の可能性をあらゆる手を使って除去するのが正解か?という問いが生じる。
たぶんそれをやると「具体的シチュエーションを無しにする」という荒技にならない? つまり言葉だけ、想像上の現場だけを言葉の上で語るような処理にして、あらゆる個別性を除去すると「ムカつく」はかなり回避できる。

読解を挟んでることをあたかも不動の真実みたいに語られると、この解釈者がまさに欺瞞吹聴してね?と思うんだが…

作品受容を作品がそこまでコントロールできる?

これ、受容へと作品を還元してるんだよ

「ホモソーシャルな職場ってこういう所なのね〜」という、要約がすでに「一面的」な読解では。

とはいえ違和感への疑問も強調の度合いを間違えると単なる抑圧になるという。

私は「違和感」を掲げる批判そのものにかなり疑念がある。それは「自然さ」の維持の推奨と表裏だから。違和感?他人が書き、他人の認識を通すものに違和感がなくなるわけないだろう。怒りと異議申し立ては大事ではあるんだが、違和感の提示には疑問を持つことの方が多い。

キレてる連中が公平かというと、かなり疑いをもつ。

あと、この手の批判する連中はどうせ「青年誌で描かれる現場は美化されてますなあ」とかの批判はしないんでしょ。美化と不都合なものの除去がデフォルトみたいな傾向には見て見ぬふりですか?となる。

『見えないばけもの』にかんしては「ラジオと運送に対して偏見で描いてそう」が起きるわけだが、偏見なしで全部調査しろもわりとどうなの?と思うかなー。
たぶんこの筋を強調すると、原則的には「男所帯の現場といえど、いろいろです!無礼だ!」で批判的操作をかなり潰せるようになる。青年誌の基盤である男所帯秩序への批判を丸っと封じる手口になるなあと。

私は「ルポルタージュじゃないんだしその程度のズレはどうしても起きるのでは?」とみなすかな。

どう即は、「勉強しない俺が最強」のナタで攻撃したがる典型だから、癖の発展系としての自生的セオリーに振り回される人の権化だよ。ああいうのが「セオリー嫌いの擬似セオリスト」。

他方、セオリーと人文とアカデミシャン関心秩序が作り出す「英米系オピニオン論壇」もあって、ジジェクもアガンベンもフェミニズムもそこで受けてる勝利言説だよな、というはある。で、これらに対する反感もしばしば「論壇オピニオンとジャーナリズムへの反感」のヴァリアントになる。私はそれらを必ずしも舐めはしないが、同時に「もっと〜 Studiesエリアの方も掘る」を作業に入れる状態か。

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あと、論壇とジャーナリズム話法やだ〜と拒否しているうちにナラティブの模索が止まるのもあり、その種のリジェクトを繰り返していると、自分の自己形成期とその歴史に拘束されたユースカルチャー(やそれに基づくちょい年長世代への攻撃性)を延々振り翳すイキりに収斂することもよくある。そして、言説の歴史や系譜、それを強いる秩序という次元の不可視化。セオリーやオピニオン形成自体を嫌がるなら、それを代替できるフレーム作らんとだめだなと。

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いまでは、ウェブのアテンションやウェブでの受容を、「作品読解の代わりとしてのフィルタリング装置」として運用し、そのフィルタリング装置を使えば論点を縮減できて便利だから大賞を還元するために振り回す人も大量にいて、これもまた「擬似セオリーとしての言説生成装置によって無自覚に振り回される」ケースになっている。

そうすることでSNS環境への隷属に対するメタコメンタリをする(というかたちでの隷属)をやるくらいなら、私は作家論・作品論をやることで別の余白を広げたほうがよっぽどいいなと思いつつある。

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セオリーに関する学習をした方がいいというのは、セオリーを使うためというよりも、「自分の見解を型にしていって、擬似セオリーとして延々振り回す」のを抑止するためにハンドリングの知という次元を考えられるようにするためだとか、「ジャーナリズムや論壇というこれまたセオリーの亜種みたいなナラティブに曖昧に適応して、それに振り回される」のを抑止し解析できるようになるため、っていうのが大きいな、とつくづく思うようになった。

鉤括弧つきの「セオリー」と登録されていないだけで、それの劣化体、前駆体のようなものに足を取られている人は山ほどいるし、Critical Theoryの履修課程が乏しい日本ではむしろそっっちが多数いる。

ギャンブル把握が2周ぐらい進むとこうなるんかという驚きのあるツリー

“ポーカーの世界大会に出てる女性の話が面白かった。
「ポーカーは他のギャンブルと違って勉強すればするほど勝率が上がるのが面白い。運と実力の要素は50:50くらい。確率論だけじゃなくて、見えているカードによって確率が次々と変わっていくので記憶力も重要。勉強が好きな人は向いてると思う」”

x.com/paddy_joy/status/1832775

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