『平成敗残兵すみれちゃん』は、ヤンマガという「女はお色気担当な」という扱いがデフォルトの媒体で、その経路の欲望をあたかも応えるようでありながら、別物にずらしている処理がやたらクリティカルなのでは?と気になっている。
が、単行本巻末広告を見ると、結局はこういうマーケットのなかでの工夫にすぎず、この枠でいくらやっても限界があり、「この性産業もどきの枠を潰したほうがいいのでは?」という判断に傾く気持ちも沸く。
私は運送ともよく話すぐらいには近しい、肉体労働近接エリアの低賃金労働なんだが、風俗トークの現場はそれほど見たことないっすね(過去・現在の職場を含む)。キャバの話が出たことならあったかな。でも「いやー、そういうの目の当たりにしたよ」と全然別の業種の人から聞くこともあるし、まああってもふしぎじゃないだろうなあぐらいの認識。
そうなると、なので世代差とか業種とか地域など細かい差でけっこう経験が違ってくるし、「個別の現場差」でかなり差を処理できちゃう。となると、「こんなんねーよ」の批判の有効性も怪しくなる。「あるよ」ではねかえせるから。「お前の知ってるサンプル数いくつ?」というバトル開幕ですよ。で、Twitterで噴出してる疑問ってそこまで考えてないよね。
まあ私は職場では風俗とかより平然とネトウヨ言説が出てくることや暇空経由っぽいcolabo陰謀論、コロナ武漢陰謀論が出てきたりしたことにドン引きした…。その人はそれ以外ではいい人だったりするんだよな。
かっこええ話だが、これ、「洋楽コピーバンド」の店舗運営の規模でやってるような話だな。https://x.com/brandonkhill/status/1832298246246678778?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
私はこういう反応の方にもかなりピンとこないものがあるな…。こういう意見の背景にあるのは、「男向けの絵柄、女向けの絵柄、普通の漫画、BLの漫画、といったバイナリーコードが明確に存在していて、男女の文化で振り分けられているはず」という漫画の様式と性差の対応関係への強固な確信だよね。
そういう絵柄や様式による拘束力の強さから「リアル」判定をしているという話をしている。そんな馬鹿なとか、絵柄のクロスオーバーぐらいあるし、受容者のクロスオーバーも今では全然珍しくないけどなあ、という認識の方が私は強く出てしまうが…。なんか30〜40年前の「男か女かは絵柄と線でわかる」といった認識と実質同じものが今でも暗黙に支持されているんだな…。
もっと「3年B組一八先生」みたいな青年誌絵柄ハックでないと機能しないんかな。
私はアフタヌーンとモーニングこそが「青年誌が女性漫画家をヘッドハンティングして起用する先駆」とみなしているんだが、それは同時に飼い殺しでもあったわけで、要検討な要素が多い。結局、男性読者の大半は女性作家を「有徴化された」存在として見てただけなんか?とか。
https://x.com/kyouji0716/status/1833336894106833002?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
限界まで辞めずに粘るとどんなステージに突入するのかを競うRTAプレイみたいだな…(そんなことせんでほしい)
けっこうバランスよく有名作品入ってるな。買おうかな。1320円の文庫かーうむーとはなるが、5000とか行かないわけだしノリで買える範囲。
『ドイツロマン派怪奇幻想傑作集』
遠山明子 編訳
創元推理文庫
https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488584092
収録作品:
ルートヴィヒ・ティーク「金髪のエックベルト 」
ルートヴィヒ・ティーク「ルーネンベルク」
K・W・ザリーツェ=コンテッサ「死の天使」
K・W・ザリーツェ=コンテッサ「宝探し」
フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー「絞首台の小男」
ヴィルヘルム・ハウフ「幽霊船の話」
アヒム・フォン・アルニム「世襲領主たち」
E・T・A・ホフマン「からくり人形」
E・T・A・ホフマン「砂男」
私はアフタヌーン感度が落ちてるからか、市川春子のあとで、四季賞作家ってそんなにうまく活躍してるかな…と疑問もあるかな…。短編すごい、はけっこう出る。しかしその後で軌道に乗せれたかというと…。
初期の四季賞受賞者はきわめて興味深く、新井英樹が1989年に受賞したがモーニングやスピリッツでうまく活躍できたといった、青年誌とオタク漫画誌のボーダーであったことなどが示唆される。まあもともとモーニング増刊だしな。
どう即にかんしては数年前にざくっと把握完了してあるんだが(その後の追跡してないからちょっと変化してるかもしれない)、彼のダメなところは、「違和感なく読めるコラムやエッセイだけを読む・それ以外の書き物は“いけすかない専門的なもの”なので俺には関係ない」と選別と遮断をやることで、そうするのが「自然」であり、無垢な自分を守ることができる、という保守的なイデオロギーが貫かれていることにある。
そういう人間が「こいつは聞くに値する、こっちは戯言だ」とかソムリエ的言動をすること自体がものすごく傲慢で、「俺は大衆だ」を攻撃の道具に使ってる。
私はむしろああいうのを見て、読まれないように工夫をする側だな…。
保守性、かつ主観的には「いやいや公正の側ですから」と思ってそうな配分において、別饅頭とよく似てる。
「トー横」 都の施設でわいせつ行為か 子どもを守る場所で何が | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240910/k10014577721000.html
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https://x.com/colabo_yumeno/status/1833390004036620747
仁藤夢乃さんのこの記事へのXでのコメント:
「… この事件が公表されることになったからなのか、9/3から『きみまも』利用には身分証が必要となり、性搾取の被害に遭っているような少女が利用できる場ではますますなくなりましたが、
これまでも、『きみまも』では少女に売春させることで生活している男たちが快適に過ごし、その間に少女たちに売春させ.『きみまも』が閉まってから、少女が体を売って確保した宿に向かうということが続いていました。
東京都はこれを放置してきました…」
あまり書き物ができてない。