「エッセイっぽいもの」に近いカテゴリー名はこれだな。https://ja.wikipedia.org/wiki/スライス・オブ・ライフ
“加害・被害の構図は複雑です。父の虐待に苦しんだAC女性たちの中には、「父はもう死んだから整理がつく。隣にいた母の方が、今も私を苦しめる」という思いを抱く人が、実は多い。「いつも不幸な顔をして娘である私に助けを求め、『あなたのために夫とは別れなかった』と言い、負の感情のはけ口を娘に向けてきた、あの母は何だったのか」と。
ACの一番の苦しみの源泉は父であり戦争だったはずなのに、共に暴力の被害者だった母こそが今の自分を最も支配し抑圧している。このような分かりづらい構図もあるんです。国が家族から男を総動員して引き離し、ボロボロになった男たちのケアは家族にやらせる。そして家族がボロボロになってしまう。”
こういう議論がやっと浸透しつつあるんだろうなあ。
"95年当時に40歳前後だった世代の女性たちが受けた虐待経験が、他の世代と比べて際立ってすさまじかったんです。
(…)
彼女たちに詳しく聞いていくと、多くは「父は戦争から帰って人格が変わり、ひどい酒飲みになって暴力を振るった」という話に行き着くんです。「むき出しの暴力性」とでも言えばいいのか。復員兵の家庭におけるDV・虐待は明らかに、その後の世代の家庭と質が違いました。"
https://twitter.com/misetemiso/status/1762084176537276659?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
@imdkm @ttt_cellule あとはブルトンらの蚤の市大好きエピソード。
K村匡平がPERFECT DAYSを絶賛し、この作品に共感できない人と仲良くなれなさそうとか言い放ってると知ったので、別の関心系が発動してきた。
この背景には、どうやら映画好き&映画批評家&映画研究者の「エッセイ的味わい」への無防備さがあるな。ヨーロッパ映画の味わいを、「エッセイ要素に真理性を見出す」としてしまう罠が、映画を取り巻く「ジャンル(の権化としてのハリウッド)vsオルタナティブ(としてのヨーロッパ映画や映画祭映画)」の図式に付随しているんだろう。
映画はメディウムの条件としてリアリズム秩序が強いので、アブストラクトや構造には(造形芸術ほどには)向かわない。そこで、エッセイ的なものの罠が問われにくいのかもしれない。
怖いもの見たさで気になってしまう!
“『PERFECT DAYS』の女性描写は「無条件に慕ってくれる姪と責任を負わない程度の短期間だけ共同生活」したり「若い女子が自分のカルチャーを急に好いてキスしてくれ」たり「酔客よりも大人しくしてるとママの元夫から『あいつを頼む』と認められる」など随分ご都合がパーフェクトなデイズで怪しいんだよ”
https://twitter.com/zyasuoki_b/status/1761370515988701195?s=20
ペラペラクソコンテンツ掘り人として、見ておくか、という気持ちが高まってきた。
“『PERFECT DAYS』、高学歴インテリジジイ向けのなろう系映画なので一見小汚いジジイだけど目の前仕事を真摯に向き合う姿や本質的なセンスの良さから本物を見抜く若い女から好意を向けられるシーンがある。”
https://twitter.com/tanaka_tooru_/status/1761067827409338614?s=20
@on1000mark 手ぇ動かして読むんや
あまり書き物ができてない。