ペラペラクソコンテンツ掘り人として、見ておくか、という気持ちが高まってきた。
“『PERFECT DAYS』、高学歴インテリジジイ向けのなろう系映画なので一見小汚いジジイだけど目の前仕事を真摯に向き合う姿や本質的なセンスの良さから本物を見抜く若い女から好意を向けられるシーンがある。”
https://twitter.com/tanaka_tooru_/status/1761067827409338614?s=20
怖いもの見たさで気になってしまう!
“『PERFECT DAYS』の女性描写は「無条件に慕ってくれる姪と責任を負わない程度の短期間だけ共同生活」したり「若い女子が自分のカルチャーを急に好いてキスしてくれ」たり「酔客よりも大人しくしてるとママの元夫から『あいつを頼む』と認められる」など随分ご都合がパーフェクトなデイズで怪しいんだよ”
https://twitter.com/zyasuoki_b/status/1761370515988701195?s=20
K村匡平がPERFECT DAYSを絶賛し、この作品に共感できない人と仲良くなれなさそうとか言い放ってると知ったので、別の関心系が発動してきた。
この背景には、どうやら映画好き&映画批評家&映画研究者の「エッセイ的味わい」への無防備さがあるな。ヨーロッパ映画の味わいを、「エッセイ要素に真理性を見出す」としてしまう罠が、映画を取り巻く「ジャンル(の権化としてのハリウッド)vsオルタナティブ(としてのヨーロッパ映画や映画祭映画)」の図式に付随しているんだろう。
映画はメディウムの条件としてリアリズム秩序が強いので、アブストラクトや構造には(造形芸術ほどには)向かわない。そこで、エッセイ的なものの罠が問われにくいのかもしれない。