「ヘイトや差別を何度指摘されても繰り返す人物を政権の要職に起用することは、差別問題など考慮するに値しない、という負のメッセージとして社会に伝わっただろう。もっといえば、その差別やヘイトの矛先を向けられている人々の命を、「二の次」扱いするようなものだ。」
安田菜津紀さんによる杉田水脈氏についての寄稿。
性的マイノリティ差別発言から「歴史戦」への関与まで振り返っての記述で、私は強く同意する。
そして思い出しておきたいのは、まさに上記のような、「ヘイトや差別を何度指摘されても繰り返す人物の起用」への異議申し立てこそが(これは政権の要職はもちろん、教育機関の責任ある地位であったり、影響力の大きい文化表象や発言の場だったりするだろう)、この数年「キャンセル・カルチャー」として悪魔化された叩かれてきたものの中核なのだ、ということ。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230927/pol/00m/010/001000c
「国会図書館のデジタルコレクションで、本の画像をpdfファイル化したものがダウンロードができる」っていう話を見かけたので、岩波文庫『春香伝』でやってみました。
(ちょうど昨日、トゥートでこの本がおすすめされていたから)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1664502
ログインして、本の画像が表示されると、右下に「印刷」ボタンがでます。それを押すと、「ファイル化したい画像のページを50コマ以内で指定しろ」みたいな指示が出るので、とりあえず「6-55」と指定してやってみました。すると変換が始まって、しばらくすると本の画像の上部に「PDFファイルを開く」という表示が出て、保存できるようになりました。
ダウンロードしてデスクトップで開いてみましたが、確かに見やすいです。
見開き50枚ごとにファイルを作る必要があるという制限はあるにしても、すごい便利さですね。
そして、『春香伝』のページの下部に関連として、訳者(許南麒)の本が大量に表示されて気がつきました。
この国会図書館のデジタルコレクション、斎藤真理子さんが現代韓国文学史の説明のなかで
https://wezz-y.com/archives/80393
紹介されてるような、今では入手困難な本もたくさん入っていますね。すごいな。
いろいろしゃべった挙句、「統治層・強者への平伏と関係構築の選択肢しか存在しない世界だから、なろう貴族社会ものを私は基本的にあんまり好きじゃないよ」とオチをつけてしまった。
『私の幸せな結婚』が、家父長制のもとでむごい目に遭う主人公が、チート家長と結婚して打破! なのと一緒で、「王や隣国の権力者と関係を築いて、元婚約者と手を切る&処分する」構図は、「高位貴族の娘である悪役令嬢が庶民であるメインヒロインをいじめる原作ゲーム」の拡張版でしかないから、いじめを生む秩序が深刻化しただけでは?という疑念が抜けないんだよな。このイマジネーションでは、社会秩序を変えるのはアウト扱いにされる。
この結論からだとモチベーションがわかないので、もう一度アジェンダ全体をひとひねりする必要があるなー。
悪役令嬢ものでは、風評がひどいキャラの中に現代人が転生するので、ふつうに過ごしてるだけで「(評判と違って)お優しい…!」と褒められるギャップをまず仕込む。
大筋では、「原作世界のメインヒロイン/日陰者になる噛ませ犬ポジの悪役令嬢」を、噛ませ犬/主人公に反転させるのが悪役令嬢ものの基本形なんだけど、その「原作世界のメインヒロイン」の人物造形が18-19世紀の「徳のあるヒロイン」像のパロディになっているのがキモになる。
大河内昌「家庭小説の政治学」(20015)https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2159&file_id=18&file_no=1 で語られるように、リチャードソン『パメラ』の主人公パメラ像に付与される美徳というのは、近代社会の経済や家父長制にとっての都合のよさの気配が濃いわけだけど、これがパロディにされる段階が悪役令嬢ものだ、ということになる。
その結果、悪役令嬢側が「主体的」であるというふうに配置上の力学が生じやすい。貴族として領地経営をしているし、貴族間の生存競争で戦ってることから、「原作世界のメインヒロイン」との差異化属性が、そのまま生存術みたいに位置付けられる作中再解釈が加わっていく。
@yakusho_akatsuki 主人公だけ悪い顔の不快さを減らしてるのでずるいw
レミィも聖女ピナも二人共歪み顔ムーブを連発させる、エクストリーム歪み顔漫画になったので、ここからさらなる変形系譜が生まれるかもね。そのぐらいに目にとまる作品。
@yakusho_akatsuki 漫画版はいろいろ調整して変えてるから、よみ味は全然違うものになるかもしれない。漫画版は、骨からきちんと生き物を作ったぐらいの変化をしているのと、エグみはちょい押さえてる。そのかわり顔演出はなんか凄いことになった。
なろうコミカライズで、下手な漫画家が打ち切り退場になるのもよくあるが(12-13話ぐらいでするっと終わる)、漫画が達者な人でもわりと長期停滞したり降板するので、現在のコミカライズ制作環境は、報われないものが多いんだろうなと思われる。
『生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい』や『転生先が少女漫画の白豚令嬢だった』では漫画家が降板するトラブルが起き、『魔導具師ダリヤはうつむかない』でも同じようなことが起きていたので、看板級の期待がかけられ、腕のある人を起用した場合にも、何かが起きているんだろう。アニメ化にこぎつけたことに、コミカライズの出来の良さがあったと思われる『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。』すら、漫画家が降板し、新たな漫画家で新章スタートすると告知された。
『悪役令嬢の中の人』は、転生者と悪役令嬢の魂が同居(これなら前例はある)し、のみならず、人格交代がアンコントローラブルに進行してしまうため、まるでシャーマニックな憑依のようなモメントを持つのが特色。
また、悪役令嬢/正ヒロインの関係は、普通は前者から後者に通常はかませ犬ポジションが移動する作劇を伴い、このペアが鏡合わせになるのものだが、今作では、悪役令嬢に善良な転生者(の魂)が入ることで、鏡合わせが悪役令嬢内部だけで確立されている。
この結果、転生者の善良性と、悪役令嬢の策謀が同居するハイブリッド展開を起こすのだが(漫画版ではそれを顔の演出で激しく動かしている)、転生者の行動が倫理的基準になる離れ技が生まれている。ミニマルなプロテスタンティズム?
とはいえ転生者が引っ込んだ後は、元人格が統合的に動き出すため、善行のすべては擬態となり、あらゆる称賛をあたかも自分に対するものではないかのような「承認と欲望の逸らし方」が見られる。かように歪みが激しいのだが(なにせ終盤では正ヒロインポジの歪み顔キャラは、舌を切り取られ、炭鉱便所女にされるのだから、主人公はちっとも善良ではない)、歪み方が面白い作品。
あまり書き物ができてない。