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結局、相対的に叩ける相手を選んでる感じがもっとも姑息にみえて・・・

これもわかるなあ。コカコーラ社がチェックしてないという返答も嘘にしか見えないんだよな

白江幸司 さんがブースト

コカ・コーラのほうが叩かれてほしい。アーティストが無知でも知的でもどうでもいい。

コロンブスMVを叩くエナジーで、現に蛮行をおこなってるイスラエルの虐殺を批判しろやはマジでそうですね

木庭の怒りを受け止める制度的基盤って存在しないように思う。ゆえに無限に吠えられるということでもある。在野アカウントの空虚な吠え方にそっくりだなと…。勝手なストーリーテリングと勝利宣言をしているみぶりがきついし、小森と小熊を論破して、はい終了みたいなのもわりと意味不明になる。でも東大法学部の学卒助手という破格のエリートコースゆえに空転はしないでギリ済んでるという。講談社の互、木庭に転がされてるんか〜、という感想になる。

木庭の本はちょっと読んでみたけど、宛先のコミュニティがわからんのと(実証主義歴史学しか受け止める場所がなさそうだが、歴史学者が木庭を受け入れるかというと微妙)、団塊世代への自覚なき憎悪なのかなと思った。そもそも大澤と成田の図式を踏襲する意味がわからんし、90年代のカルチュラルスタディーズとポストコロニアルスタディーズの輸入も団塊世代教員が積極的にやったわけだろうとか。同世代の世界のなかでバトルしたり動機づけられてそうで、しかもその秩序にほぼ盲目な感じ

木庭の空虚さ、勝手に勝利宣言してる歪な感じって、ある程度説明がつくんだけど、学的訓練をしてないとあの空虚さを理解できるのか自信がもてないから、面倒くさいし、木庭読者は放置でいいかな…となってる

白江幸司 さんがブースト

『違国日記』映画版の不評っぽい現れは気になってるので近いうちに見るつもり。

「ハリウッドや欧州のジェンダー先進的作品に、邦画はかなわない。女性誌漫画の方が上」と考えている女性読者こそを実力でねじ伏せるのが映画化のミッションだったとみなしているので、果たしてどの程度成功したのか、不評は無視可能な見立ても可能なのか、を早々に吟味したい。

「あり」というのはオッケーという意味ではなく、すでにまかり通っていて、炎上もしない、ぐらいの意味です

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「マックスの物語」としては進行はゼロなので、怒りのデスロードの荒れ果てた世界における暴力と収奪、セクシズム秩序をより「距離をおいた楽しみ方をさせない」ための掘り下げに徹してる。イモータンジョーの統治がセクシズムに基づくことは、見る人には既知だからか、前作ほど畳み掛ける描写にはなってないが、新たな悪役の放縦行動がその埋め合わせを図る。

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『フュリオサ』見た。
前作よりも、損耗される人や破壊に痛みを感じさせる力が宿ってるように思った。マックスという神話的存在がいないからだとか、少女フュリオサが殺害や破壊を見つめ続ける存在だというふうに最初に強調されるのが効いてるからなんだろう。

この膨大な人死にと資源損耗は、独占し統治する狂王に注がれるのか…と呆然とさせる力が増してる。

ミセスのMVをめぐって、真の問題は「漫画ならあの程度の不謹慎はあり。見過ごされているだけ」なことかな…。

家で映画を見るのだと、逆に集中力が維持できないから、「強制的に集中するための便利な環境」として映画館を好んでいる・・・

私は映画以外すべての動画や学会発表や講演やトークはキャプチャソフトで動画にして、車を運転しながら細切れ消化してますわよ

映画批評/制作で、アダプテーション論の知があるかないか、が分岐点になってきている気がしてきた。漫画であれ小説であれグラフィックノベルであれ、映画が媒介的な経路の一つになりつつ、その相対的な位置もまた大きいというバランスを見極めるスキルをどう見積もるかとか…。

先日会話した人が「人気がある映画はメディアミックスですよね」と言ってるのを聞いて、え、それ広報用語だよね?と即ツッコミしそうになってしまった。知が10−15年前で止まるとこういう精度は十分ありうる。

なんかこういうの、「ファンダムの間で火をつければよく燃える」計算にしか見えなくなってくるな
x.com/travis02130213/status/18

@tenjuu99 対洋楽・対海外の意識ってやつ。今はグローバルマーケットとの接続の仕方が違うから、そういう緊張感の根拠も土台からずれてそうだし、「KPOPは日本と同じく洋楽からの広告代理店改造だが精度が違う」云々から意識が始まりそう

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