やっぱり重ねてる人いた。役所の実年齢よりカルチャー古いよなと思った https://twitter.com/6aumiftsocqwpdy/status/1762616701022249365?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
タイトルはルーリードから取られているが、「音楽良ければ全てよし」の民なら、ここから別のアレゴリー操作を見てとって一気に名作扱いにする作品読解も構築できそう。
パーフェクトデイズってタイトルにできたのはヴェンダースブランドゆえだろうな。もっと無名なら「トーキョージブシー」とかになりかねん。
映画『PERFECT DAYS』劇中曲
https://note.com/mztkwf/n/n880e42aa5277
北村紗衣は「階層的に便所掃除マンに同一化できないからキレるが、その種のフラストレーションこそが欺瞞的」と位置付け可能だし(便所掃除の会社は不当な扱いをしてるわけでもないから、会社にキレさせるのはいかにも「ヘイトターゲットを都合よく配置した」だけにならないか?)、北村匡平は「便所掃除マン階層じゃない、どころかマンションのローン組んで妻子いるのに、「俺の心の中の自我はこれ」のノリで没入してるから欺瞞的」と位置付けされてしまう。
つまり作者/作品の主人公の落差に対して、今度は評者/作品の主人公の落差が待ち構えている。小説家、さらにはプロレタリア文学においては、この手の落差は封じ込めに成功していたんだな、と逆に気付かされた。
パーフェクトデイズ見た。
便所要素でなんか胡散くさがられるわけだけど(あと、パンフがこの疑念を煽ってしまう)、わりと昔からある慎ましい人の生の断面かなと。アラン・タネールの『白い町で』を思い出した。無為みたいな生の輝きって感じ。これ昔からある映画のモチーフだ。
特に没入したりはしなかったんだけど、怒る方も没入して讃える人も皆ポジショナリティが問われる局面があると思う。
『ストーリーは世界を滅ぼす』について、アメリカのジャーナリズム情勢に詳しい友人に「こういうのも現代アメリカのジャーナリズムの一つとみるべき?」とか聞いてみたら、大衆の狂気への不安を煽る新保守の現代版だと思う〜、みたいな答えだった。今のアメリカだとジャーナリズム内にいちジャンルを作ってて、認知バイアスや遺伝子論を混ぜる奴だよね?みたいな反応。さすがに『ストーリーは〜』は遺伝子説をやってないんだが、なんかサイエンスを経由して単純なことしか言ってなくね?と思う。
「日本における近似言説(橘玲とか)に比べると学的であったり、民主党に合流可能」な印象もあるが(しかしポパーを振り翳して反共言説をやる)、しかしそれもシカゴスタイルの注の付け方によるところが大きそうだ。
@cell_u_lose 私はカートからはみ出た「あとで買う」が600個ぐらいあるから、もはやリストなんて機能してませんわガハハ
あまり書き物ができてない。