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あ、そうそう、忘れてた。私は最初「桐島聡の生活これでは?」と思ったんだよな。絶対結びつけるべきだろと確信しながら序盤を見た。

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タイトルはルーリードから取られているが、「音楽良ければ全てよし」の民なら、ここから別のアレゴリー操作を見てとって一気に名作扱いにする作品読解も構築できそう。

パーフェクトデイズってタイトルにできたのはヴェンダースブランドゆえだろうな。もっと無名なら「トーキョージブシー」とかになりかねん。

映画『PERFECT DAYS』劇中曲
note.com/mztkwf/n/n880e42aa527

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別に私にとっては入れ込んだ作品ではないんだが、「映画のリアリズム様式とその崩し方のパターン」については考えさせられる。

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で、役所演じる主人公は日々写真を撮り、夢の時間に日々の記憶を浄化してるふう(なんかヴェンダースの妻のドナータ・ヴェンダースが作る写真スライドみたいなのが挿入される)なので、そもそもリアリズム様式を部分的に崩してるわけで、田中泯投入と、カセットテープで音楽が流れるまどろみ感は、わりと全体の構成が要求してるなあとも。

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8-10個ぐらいトイレ出てくるんだけど、二つ目がすでに隈研吾トイレなんだよね、あれで「うさんくせー」となる人が出るんだろうな。

あとは、田中泯が「柴や薪を背負子で背負ったホームレス、しかも踊る」なのはひどいんだが、でもビクトル・エリセの精霊要素ってこれでは?と抗弁されたら、即座にカウンター応答できるか自信ないなあ。

あと、トイレおしゃれすぎと田中へのツッコミは「リアルではない」コメントだから、どっちもリアリズム様式から自動生成されるやつじゃん?と隙がある。

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ロマンスの気配は全くないわけではないし(同僚が口説く若い女、姪、行きつけのバーのママさんからの好意描写。しかし展開しないのがうまいんだが)、むしろロマンスがうまくいきそうな進行が生まれるたびに、主人公がニコニコするので、この匙加減がポイントだなーと笑った

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評者は「没入を表明すると、そいつのポジションを問われる」し、かつ、「下手に批判してもそいつのポジションを問われる」がある。

若い奴で作品に冷淡な人もそれはそれで「お前のポジショントークだよな?」とカウンターくらいそう。

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北村紗衣は「階層的に便所掃除マンに同一化できないからキレるが、その種のフラストレーションこそが欺瞞的」と位置付け可能だし(便所掃除の会社は不当な扱いをしてるわけでもないから、会社にキレさせるのはいかにも「ヘイトターゲットを都合よく配置した」だけにならないか?)、北村匡平は「便所掃除マン階層じゃない、どころかマンションのローン組んで妻子いるのに、「俺の心の中の自我はこれ」のノリで没入してるから欺瞞的」と位置付けされてしまう。

つまり作者/作品の主人公の落差に対して、今度は評者/作品の主人公の落差が待ち構えている。小説家、さらにはプロレタリア文学においては、この手の落差は封じ込めに成功していたんだな、と逆に気付かされた。

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プロレタリア文学は作者が貧しかった、しかし「監督・映画界は便所掃除階層じゃないだろ」が一撃で起きるので、全部ポジショナリティに問いが化けてしまう。
また、映画がリアリズム様式に準拠するメディウムであることに規定されて、フィクションとドキュメンタリーの混淆が起きやすいせいもあるか。なろうとかアニメとかって絵や異世界であることによって「そもそも見る・感動するだけでポジショナリティが問われる」局面をわりと回避可能になってるし、人は気軽にコメントできるんだなと気づいた。これはいわばリアリズム様式を緩めた帰結かもしれない。

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パーフェクトデイズ見た。

便所要素でなんか胡散くさがられるわけだけど(あと、パンフがこの疑念を煽ってしまう)、わりと昔からある慎ましい人の生の断面かなと。アラン・タネールの『白い町で』を思い出した。無為みたいな生の輝きって感じ。これ昔からある映画のモチーフだ。

特に没入したりはしなかったんだけど、怒る方も没入して讃える人も皆ポジショナリティが問われる局面があると思う。

延々料理の組み合わせがミックスされていくのはエンタメのジャンル構築でもよくあるので、その縮図に見える

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『ストーリーは世界を滅ぼす』について、アメリカのジャーナリズム情勢に詳しい友人に「こういうのも現代アメリカのジャーナリズムの一つとみるべき?」とか聞いてみたら、大衆の狂気への不安を煽る新保守の現代版だと思う〜、みたいな答えだった。今のアメリカだとジャーナリズム内にいちジャンルを作ってて、認知バイアスや遺伝子論を混ぜる奴だよね?みたいな反応。さすがに『ストーリーは〜』は遺伝子説をやってないんだが、なんかサイエンスを経由して単純なことしか言ってなくね?と思う。
「日本における近似言説(橘玲とか)に比べると学的であったり、民主党に合流可能」な印象もあるが(しかしポパーを振り翳して反共言説をやる)、しかしそれもシカゴスタイルの注の付け方によるところが大きそうだ。

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2章の「ストーリーテリングは感情生成の装置だ!」論は単純で即飽きるんだけど、要はすべてをそこで起きている感情に還元するわけね。で、作品がそのつどの感情に還元されるので、それ以外のモメントを担った複合体としての作品の総体はある意味で失われる。でもアナリストやマーケッター、視聴者のクリック行動はそれでしょってことで説得にかかる。ええ〜と思いつつ読むw 感情豊かに展開させるために視聴者や読者の「状態」をそのまま作者に投影することもありにしてそう。ここでファンダムの求める「作家」像に似てくる。
こういうのが情動論・だめなビジネス版、だと思った。

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@cell_u_lose 私はカートからはみ出た「あとで買う」が600個ぐらいあるから、もはやリストなんて機能してませんわガハハ

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