もうダメ…バイアスがかかってないアメリカの情報源からUNRWAのニュースを探そうとしても全部イスラエル政府の主張をそのまま見出しに入れてる。
Guardian紙ならまあ信用できるかなと思ったらサイトに大統領選挙とウクライナは特別な項目があるのにガザは無い。(ウクライナでの死者は2年で10,000人、ガザは4ヶ月で25,000人。)
上山信一ってこういう奴(wiki)
著書「大阪維新」は地域政党・大阪維新の会の「基本的な考え方と指針」になっており、大阪都構想の理論的支柱となっている[11]。
東京都顧問時代には東京五輪の予算超過問題に関する調査チームのリーダーを務めた。
東京都特別顧問時代の2017年6月には、築地市場移転問題について、豊洲市場への移転はあくまで「一時移転・暫定利用」であり、PFIを活用すれば実質的に税金を投じずに築地市場を再整備できるとの見解を示した[12]。
あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展」で抗議が殺到し、展示が中止された問題を巡っては、昭和天皇の肖像を燃やす作品の是非について、「燃やすという行為は祈り」との見解をtwitter上で述べた[13]が、後に削除した[14]。
なにアートのド素人に見解聞いてんだよさすがだな維新
『地下駐車場に美術品が置かれている問題で、大阪府特別顧問の上山氏は「デジタルで見られる状況にしておけば、(立体作品の)物理的な部品は処分してもいいというのはありえると思う」と述べました』
https://mainichi.jp/articles/20230818/k00/00m/040/192000c?fbclid=IwAR3BjsUlsSwKIthk0qiCZk_yEJlNJ24mg3fX1Bu7J8Yc93Vujc4lyar_zj4
BT 旧Twitterで「日本の自動車メーカーがかつての家電やスマホのように衰退していくと決めつけるのはただの願望でしかない」と断言していた人がいてそれにそこそこのいいねが付いていたんだけど、寧ろ逆に家電やスマホで「完敗」したのに自動車だけは安泰と何故思えるのかが分からない。
EVへの批判を見ていると日本人や日本の組織が「失敗」「敗北」する時に必ずやらかす、極端な楽観論・現状肯定や"敵"を極端に見下げるというのが非常に多く見られ、日本研究を行う上で極めて優れたサンプルになりつるある。
ヒョンデや中国メーカーばかりかテスラすら嘲笑したり、少しでも日本メーカー(特にトヨタ)に関するネガティブな主張をすると集団でワーッと寄りかかったり。要するに謙虚さが極端に欠如している。驕れる日本は久しからず、ということなのだろうか。
いつ頃からだろう、高校野球見なくなったのは。今回の帰国中も見なかった。
夏休みにやるならせめてドームか早朝・夕方・夜間の甲子園。そして坊主はこのまま消えてしまえと思います。
辛さ苦しさに美学を求めるのが嫌なんだと今書いてて気付いた。
なんだか「お腹痛めて産まないと立派なお母さんになれない」と「坊主じゃないと健全な高校球児じゃない」って同じものを感じる。
【甲子園】ベスト8に“丸刈りじゃない”3校が勝ち上がり話題 高野連の調査でも傾向が大きく変化
https://news.yahoo.co.jp/articles/133daa6d1f754e26b159669c627d44af07778a6c?fbclid=IwAR1UB-CNvPhNflArpd7GJ55AzchT_2Nt1PwMgsNLTfaexou1qmefkILNWHA_aem_AQbMvDN9sbCimeb6kL6xRDgKtYd464Ru9GLMxin8XfcJFgBbA_g7AccMam2dNFlXHqo&mibextid=Zxz2cZ
ちゃんと国籍差別にも言及してる
理想的な対応だよな…
ほとんどの日本企業は絶対やらない対応
MUSIC CIRCUS'23における性暴力事件についての共同声明https://twitter.com/music_circus/status/1692739399019344225?s=46&t=2cXWu0wlzl_wAQuwvdvWBg
重要な訂正)
私の「幼児的全能感」(字数制限のため言葉を削りましたが、再読して、誤解が生じる可能性があると気づきました。
正しくは「私の定義する幼児的全能感」です。
「ヒト」は人生の初期の段階で、この「全能感」を断念し、「児童」へと移行する、とも言える。
ただ、この「移行」の仕方は人さまざまで、場合によっては、母の強烈な承認と、首都圏高学歴男性エリートのように「集団の同質性」が高さのために、この「全能感の断念」をスキップしてしまう人間も出てくる。
そして「ヒト」の「全能感」の典型は「他者」に対する「支配」。従って、対等を前提として「他者」と向き合えない人間、多数出てくる。
特に「知的な女性」の存在には我慢ならない。浅田、東浩紀などはこの典型。また自分が「不利」な立ち位置に配分されると感じる「マイノリティ」も必死で否認する。これ、浅田、東及び日本のライノベル、SFなど文化産業に顕著な傾向。
今一つは自分は安全地帯にいながらの「暴力」の美学的消費。これも浅田、福田和也、そして残念ながら我が旧友スパルタカスに共通する嗜癖。
東浩紀の暴力性は、もっと「がさつ」で直接的なものだが。
この連中、相手が強い(「権力」)と見るや、途端に子犬のようにおとなしくなる。この点でも東の軌跡が参考になる。
あまりにも、あまりにもひどい東京都の対応。人間を大切にする気が全くない。ゼロだよゼロ。せめて落としどころを見つけようという姿勢すらもないのか。
少しでも「めんどうな」ことが起きると自治体も助成団体もサーッと手を引いていく。こんなんじゃ、言いがかりでもなんでも面倒ごとを持ち込みさえすれば気に入らない団体の活動を停止に追い込めるってことじゃないか。人権を無視してくる奴らになぜ毅然とした対応がとれないのか。人の命を守るのが国や自治体の使命じゃないのか。いったいなんのための自治体だよ。困ってる人を助けないのなら政府は要らないのだよ。
そんなこと言っててもすぐにはどうしようもない。今できることはたとえわずかでも寄付をすることだな。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1642459013781807106?t=SOJcfAAtTrq9IExfxNlpPA&s=09
コラボの活動について、こういう記事が出ることを、嬉しく思う。難癖つけたミソジニストの方は、ことごとく門前払いされ、目的は達成困難(最初から不正なんてなかったんだから、当たり前だが)、仕方ないんで、オレってなんて凄い男なんだろうと自己陶酔に明け暮れている模様www
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e00d513bdb46c3ed794031119e825e27d5f1d46
先日、小学校で銃乱射があり、9歳の子ども含む6名が犠牲になった事件がテネシーであった。州議会に大勢が詰めかけ、厳しい銃規制を求めた。腰抜けの保守政治家が、それを阻んでいる。アメリカ市民のマジョリティは銃規制厳格化をじっさい支持している。いつまで、こんなバカげたことをやってるつもりかアメリカ。
https://twitter.com/nytimes/status/1641831493927333890?s=20
ツイッターからいきなり追放されてみて、強く思ったんだけど・・・
SNSって、やっぱり、「仲良し」さんたちと接しているのが、いちばん楽しいよね。変なひとたちに絡まれて不毛なバトルもよくやってたけどさ(苦笑)、リアルで会ったことあるひともそうでないひとも、仲良くしてくれるひとたちがいるから、だから、やっていて楽しい。
そして、これまでの経験からいって、SNS上で仲良くなれるひとって、リアルでじっさいに会うことになっても、たいていスッと打ち解けて、まるで何年もずっとお友達だったような気持ちになれる。
ありがとうございます。
Colaboの仁藤さんと彼女が生きる希望を与えようとしている若い女性達の記事。
仁藤さんに出会って、進学する目処と自信を手にした女性は、家族とは連絡は取っておらず、卒業式には仁藤さんに父兄として来て貰いたいと願っていた。でも、学んだ福祉関連の学校の先生に、「炎上している人でしょ?学校の敷地内に入って貰っては困る」(私の読後の記憶、言葉づかいは若干異なってます)と言われ、断念したと。
先日のアフリカ系米国人とのミックスの生徒が卒業式に参加させて貰えなかった件とも繋がってる。
米国だったら、友人やクラスメートらが式をボイコットしたりすると思う。そして、学校が、仁藤さんを出入り禁止にするどころか、堂々と卒業式に来てもらうと思う。日本では、米国みたいな乱射騒ぎになるリスクは低い。ネトウヨみたいなのに怯えず、連帯して、卑劣なことは許さない、と社会が示すことが大事。米国だと軍隊みたいに武装した白人至上主義者の集団がいて、身の危険があるけれど、日本のネトウヨなんて、今のうちに叩いておいた方が良い。
東京都もネトウヨを恐れて、仁藤さんを逆に悪者扱いにするって終わってる。小池ゆりこが都民ファーストじゃない証拠
日本生命という会社もこういう会社なんだなと思わされる。
安倍元首相銃撃で辞任した警察庁長官が日本生命に天下り…過去には「性加害揉み消し」報道も(SmartFLASH)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7fe2d21daee9db85854f61bfac6702b024c112e
「鉛筆で文字が書けない、考えずに答えを選ぶ‥‥ 急速に進むデジタル学習に高まる現場と保護者の不安 https://www.tokyo-np.co.jp/article/240339 」を読んで、
4.5pさんの「教育ボランティアで出会った小4の子の話 https://note.com/yontengop/n/n8d68fbddb1e8 」を思い出した。
『「AIドリルは学びを機械に任せてしまうため、学力の低い層ほど途中で投げ出す傾向がある」』という記事中の意見と、
『ある時、その子は算数の問題を解いていました。
たしか、「32÷8」とかそんなやつだったかと思います。
その子は「10!」とか「6!」とか答えていました。
僕の当時の理解では「ああ、掛け算というか9×9から理解が遅れてるのかな」と思い、「うん、まずは問題を読んでみようか」と伝えました。
しかしその子はなおも「あ、5?…7?」と当てずっぽうを繰り返します。
まさしく、このtogetterで言われている「答えをひたすら当てに行く」というやり方でした。』というごぴーさんの体験が何となく重なって見える気がして。