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『斜陽』太宰治

没落貴族の滅びの物語、と国語便覧や時折見かける紹介で聞き及んでいたが、実際に読んでみると死や滅亡よりもずっと「生」を感じる作品であった。

物語は主人公のかず子の目線で進んでいくが、時折文脈からは理解しきれないぽつりと差し込まれる一言が、不穏さ、というか彼女がただの没落貴族のお嬢様ではないことを予感させる。冒頭の無邪気にも思える母娘の暮らしは、可憐な少女たちが暖かな昼の光の中でひらひらと舞うようであるのだが、物語が進むに連れ、かず子からはじわじわと「女」が立ち現れてくる。

その「女」は旧来的な価値観を打ち破り、新時代を生きていこうとする、新しい女・母の姿である。

物語の終わりには自ら望み新たな生命を宿した女が佇んでおり、これは単なる没落の物語ではない。彼女の立ち姿にはおそれすら感じる。

その姿は、薄暮のなかひとつ真っ赤に燃えあがる生命の炎のようだと思った。

『武家の女性』山川菊栄(岩波文庫)

著者の母である千世のお話を主に、水戸の古老たちからも聞き集めた幕末・水戸の武士の家庭……血生臭い時代の中で生活をつくっていた女性たちの姿を、まるで見てきたかのように描かれているのが本書。

著者は『おんな二代の記』でもそうであったが、高性能カメラのような繊細さと色鮮やかさで聞き集めたお話をまとめられるゆえ、まるで本人が体験した話だと錯覚する。たとえば
> まだしらじら明けの、霧の深い夏の朝です。手習い子たちの「トン、トン」と門を叩くのを合図に、奥の方の女も子供も一せいに起き出して、雨戸をくります。庭の草にはまだ夜露がしっとりと、時には開けきらぬ空に名残の月が仄白く残っていることさえあります。井戸にはつるべの音、勇ましい水の音。そして台所にはチョロチョロ、パチパチ、大きなかまどの下に火が燃え始めて、白い煙が連子窓から外へ流れ出します。部屋部屋には、ハタキや箒の音。(p.11)

この筆致により描かれる幕末社会の庶民生活の証言をぜひ体験してほしい。

iwanami.co.jp/smp/book/b246161

『物語のカギ』渡辺 祐真/スケザネ

もし、小説や映像作品等の鑑賞などをして「面白かった、よかった」以外の感想も言いたいのだけれど、どうしていいかわからないという人に、ぜひ読んでほしい。

本書は、物語を読むだけで終わらせない「視点」を持つための方法を提示してくれる。

文章を読んで感じたことは「全部正解です。」(p.003) と、いうところから本書ははじまります。感想コンプレックス(?)を感じている人は「これなら感想持ててるよ」と安心できるのではないでしょうか。読んでいる間というのは必ずその人が感じた素朴なことばがある。しかし、素朴な言葉にあれこれ飾り付けないと外に出すのはちょっとな……みたいな抵抗がある。

でも、考察や感想は素朴な言葉から始まる。全てはココがスタートライン。それが示されているのが素晴らしい。こういうことはなかなか誰も言わない。初っ端から「この本、大好きだな!! 」と思いました。

大好きな物語を、もっと楽しんで読めるようになりたい。そう願う人はもちろん、物語は苦手なんだよなという人も、本書を読むと物語を読むときのコツがわかったり納得感があると思います。

ありとあらゆる人に、ぜひ読んでほしい一冊です。

shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/97

平等と公平の違いみたいな微妙な言葉の違いを大事にできないのなら、生きやすい世の中にはならんのではないか。と してて思うなどした。(言葉狩りの話ではないよ)

『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー 村井章子 訳

貪欲は人間本来の性質であり、それを律していたのは宗教や思想などによるモラルであった。過去の知者もそれらや時代的価値観が前提にあった故「歯止めのない経済成長」というまさかの必要充分を超えた富の追求を想像していなかった。

という話から、本書は哲学や倫理学を引き人間の「よい暮らし」とは何かから国家のあり方や資本主義を考えていこうとする。

提示される基本的価値=よい暮らしは、基礎的で素朴だが決して侵されるべきではない人間としての生き方である。

最近ニュースサイトで目にする「Z世代の働き方の価値観」などは、本書で提示される「よい暮らしを形成する七つの要素」にとても近いのではないかと思った。彼らは、優先したいものは趣味や友情、家族であるというが、本書で提示される七要素は「健康、安定、尊敬、人格または自己の確立、自然との調和、友情、余暇」なのである。

そう考えると「よい暮らし」が重視される時代になるには、もう少し時間が必要かもしれないが、ただの理想ではないのかもしれない。


chikumashobo.co.jp/product/978

> これから日本がしようとしている税率引き上げのときには、生活必需品は軽減税率というようなことをやろうとすれば、これはいまの帳簿方式ではとても無理です。インボイス方式に改めてインボイスをその品物ごとに送ってもらわないといけません。たとえばドラッグストアで売っている医療品について、ゼロ税率だから還付しましょうといっても、インボイス方式を入れないと無理なのですね。
▼『財政のしくみがわかる本』神野直彦 岩波ジュニア新書 p.81

消費税増税の布石ってことは、個人事業主だけの問題じゃなくて、生活者すべてに関わる話だな。10月にはじまるインボイス制度。

読んだ『女になる方法』キャトリン・モラン

女にとりまくさまざまなこと……化粧、ハイヒール、性差別、生理、恋、結婚、子供について、老化現象などなと……を話題に、とてつもないユーモアと映画や音楽の例えをまじえマシンガンをぶっ放すかの勢いで、俗にそれが女だとされる「女らしくなる」から脱し「女になる」を綴るフェミニストのエッセイ。出てくる例えはほぼわからなかったが、笑ったり恐ろしくなったり痛かったりしながら、なんだか元気になった。

フェミニスト、フェミニズムって横文字がゆえに意味理解がふんわりしてたのだが「女性解放」という言葉でやっと理解した。であればわたしはとっくにフェミニストである。「らしさ」と「強制」「するべからず」は三大逆鱗ワードである。

「らしさ」はもう社会の空気や染み付いた常識に紛れ込んでいて、なにがらしさで、なにが"思い込まされ"なのかがわかりにくい。よくわからないなにかに首を絞められているかのように感じており、それに光をあててはっきり認識するのに本書、『ダイエット幻想』磯野 真穂(ちくまプリマー新書)をおすすめしたい。

seidosha.co.jp/book/index.php?

chikumashobo.co.jp/product/978

 

久しぶりに読んだ『知的複眼思考法』苅谷剛彦

なにか出来事や物事に出会った時「どうしてこうなんだ」と思って、そこで終わってしまうのならまずはこれを読むとよいと思う。思うだけの状態からの変化がはじまるはず。
この本のいいところは、読む・書く・考えるが文庫一冊にコンパクトにまとまっているところ。それらを体得する頃には本書に書いてあるいろんなことにツッコミを入れられる。

bookclub.kodansha.co.jp/produc

 

読んだ『ええ、政治ですが、それが何か?』(岡田憲治)

SNS上で「政治のことを言う人は消えて」「切実だから意見してるだけなのに。何故あんなに他人事なんだ」それぞれを目にする。すっきりしない思いであったが、読中自分の中で腑に落ちた。「切実でない・である人」という存在であるという見方である。であるならばリアルな人間同士がそうするように話し合いが行われなければ理解も不可能だが、そういったことが行われない。対岸で罵ったり嘆いたりという状況になる。

その役職がどんな仕事をするかわかっていないがその仕事に対してとんちんかんなことを言う、切実な理由があって訴えている人と慰撫的娯楽で大声で叫ぶ人を一緒くたにして冷笑する、政治は特別なもので自分には関わりがないと予防線を張る。色んな人がSNS上で観測できるが、これらを大雑把にまとめ政治の話としている状況から整理できスッキリした。

よくわからないが自分たちの生活を左右し、文句は言うがどこか他人事で、口にすると邪険に扱われる「政治」。本来人間の営みそのものであるが、特異なものと思われている。その勘違いというか無知をどうにかし、政治を考え評価するための基本軸を立てるのが本書。

akashi.co.jp/book/b178145.html

久しぶりに『ゲド戦記 影との戦い』を読む5 

ずっと自分が生み出した影(欲、恐れ)を受け入れることを拒否し(といってもそういう描写ではないがそういうこと)逃げていたが、とうとう他者が他者の欲望のために、力をとつゲドを利用しようと現れてくる。

他者の欲望は、行動や言葉から客観視しやすいし、本人に意思があれば飲み込まれずにすむ。ここは人生訓だね。その先の物語進行にも関係があるし示唆的。

計略にかかって、大切なものを失い、向かった先は故郷。ゲドは倒れるたびに常に誰かに助けられている。主人公目線で意識失ってその次の描写で意識を取り戻すのではなく、助けている人が描写される。大賢者になるものと目される人間も、人の助け無くして生きられはしないというなのだろう。

この物語で重視される言葉は他者との関わりがあるから必要なもので、ずっと主人公と他者という関係性が重視されている。

信頼する他者の目線、他者の知恵を得て打ち負かされようとしていたゲドは再び自信をつけるのだが、親として最高すぎる!オジオン!LOVE

対決の旅路についてきてくれるのは、真の友人であるカラスノエンドウ。
小学生以降子供の成長って親子で行われるものではなく、子供と友達とは育児書に書いてあるけれど、ここはまさしくそれなんだよなあ〜

久しぶりに『ゲド戦記 影との戦い』を読む4 

読み終わった!要素がモリモリなので今の知識と私の文章力では表しきれん。

科学が拾わない物事が核にある世界の話なので、言葉による支配や、目に見えないが確かに存在し、それらは名前を持つ=どんなものでも存在するのであり、それと関わり合うことがあればそれには意味がある、という世界の捉え方。

精霊信仰や雰囲気的に錬金術的なものもあったりするんだけど、この世界の本当に世界を知る者は理を重視し、均衡を崩さないように努めている、というところに、科学信仰に関することが頭をかすめた

描き方は客観的で、ハイタカのモノローグはほぼなく、人との会話や関わりにより理屈をつけ自分自身の理解を積み重ね、どう自らを生きるかを決めていく成長物語。

目に見える強大な力には、知恵と賢さと言葉の力で打ち勝てるのに、自らの欲が生み出した影にはいつまでも怯え、それが何者かもさっぱりわからず、負けてしまうことばかりを考える。

自分のことはなかなかわからないのよなあ。わたしも数年前に自分が恐れる者の正体がわかったけど、成育環境により生み出した自らの影であった。

影にやられ心身が傷ついたときのゲドの描写って鬱症状のメタファーにも読める。表現ってすごい。

「インターネット使ってるけど、なんもわからん」な人にオススメ。個人的にはいちばん読みやすいインターネット入門の本だと思っている。これを読むと、できることや気をつけなきゃいけないこと、問題に遭遇したとき事態の想像がつきやすくなると思う。

bookclub.kodansha.co.jp/produc

読んだー。
「小さなトロールと大きな洪水」トーベ・ヤンソン 訳・冨原 眞弓
bookclub.kodansha.co.jp/produc

この物語は1939年のソ連のフィンランド侵攻の頃に書き始められ、1945年に執筆を再開。そして出版された。
その背景を知って読むと、はじめに暗い森(未知と危険)の中に入りお日様と自分達の住む家(安住)を求める旅に出るというお話は、当時の心境を表しているように読める。

人から与えられる作り物の安心安全ではなく、自らの手でそれを手に入れなければならないというムーミンママの強い意志と、前へ前へと突き進み、失われた大切なものを探し求める姿は時代背景を絡めることでより強いイメージとして焼き付いてくる。

詳しいことはいずれ気が向いた時に自サイトでまとめるとして、楽しかった箇所をひとつ。
ムーミントロールという生き物は、人間の家にある「ちゃんしたストーブの裏」に住まうもので(セントラルヒーティングは居心地が悪いんですって)その存在を人間もなんとなく感じ取っていたらしい。その関係性がこちらでいうところの妖怪みたいな感じがして、存在の感触がわかるような気がするのはこういうことかあ〜と思った。

> 自分を普通だと思っている人たちは、自分は特別なことにはコミットしないと思ったまま、結果的には極めて不寛容で抑圧的な力学に知らず知らずのうちに手を貸すことになり、それでは自由の下で弱者が協力し合って生きる社会を構築しづらくなります。これは善意を持って生きているのに、実際は他者を抑圧してしまうという不幸が生ずるということで、これが大規模に起こると、もう社会は自力でこの状況を克服することが困難になります。p.25

見ないふりとか無視ってどのジャンルでも同じような結果になるのねん。まあ、そらそうか。生まれた時にはすでに「社会」に放り込まれており、そこで何かを振る舞えば社会的行動だもんな

『ええ、政治ですが、それが何か?』岡田 憲治
hanmoto.com/bd/isbn/9784750340

第二次世界大戦後、市政の人々は暮らしや経済の話はすれども、政治は政権と官僚任せであった。しかし、グローバリズムと原発事故、そしてSNSの発達が政治についてひと言物申すハードルを下げた。ところが「政治」を評価するための「そもそも政治とは」という基本を持たずに話題にしているため同じ「政治」という言葉を使いながらも全く意味の異なることを言っていることが、報われない事態を引き起こしている。
この本は「政治はウザい」「政治はヤバい」というような言葉から抜け出、新しい言葉とイメージを獲得することを目指す。

「はじめに」をざっくりまとめただけだが、SNSで見ててナンダコレってなるやつの理由がハッキリしてスッキリ。

『ええ、政治ですが、それが何か?』岡田 憲治
hanmoto.com/bd/isbn/9784750340

疲れたときにランダムで開いて読んでるんだけど、これ好き。

キーワード解説系の語釈で個性が廃されているものはあまり頭に入ってこないんだが、これは書いている人がいる感じがするので頭に入ってくるし、読み物としてめっちゃおもしろい。

筑摩書房 高校生のための評論文キーワード100 / 中山 元 著
chikumashobo.co.jp/product/978

読んだ。
『「みんな違ってみんないい」のか? ─ 相対主義と普遍主義の問題』山口 裕之 著
chikumashobo.co.jp/product/978

多様性を尊重したように見える「人それぞれ」という言葉、実は人間の相互理解を放棄する易きに流れた思考停止の言葉である、と初手から重めの一撃。この言葉は新自由主義そのものであり、人々の連帯を分断し、結局は権力と金を持つものを優位にする便利な言葉であるという。

第2章で人間は生物として言うほど「人それぞれ」ではないこと、第3章でさまざまな学問の歴史的流れの点検を行いながら「道徳的な正しさ=人間行為の正しさ→他人に対する行為や他人を巻き込む行為の善悪」のためには人同士の十分な話し合いの努力が必要であるということを見ていく。

第4章ではオルタナティブ・ファクトの問題から実在論の復権と問題点、科学はどのようなものであるかを点検し、科学における「正しい事実」はみんなが認めることによって成立するのである、ということを確認する。

「より正しい正しさ」のためには、面倒くさい他者ととことん付き合い、頭を使って考えるということが必要である。というお話。

これってめっちゃ卑近なところでいうと夫婦関係もそれなのよね……とこれを書いてて今思った。

【読んだ】日本人のしつけは衰退したか/広田 照幸 

よくある「昔はちゃんとしていた」が良い記憶のみが残ったノスタルジーでしかないことを過去の文献やデータをたどりながら、そんなこたあねえよと明らかにしていく。当然のことながら「最近の若者は云々」「最近の親は云々」は主観であって客観的な話ではないのだ。

素朴な「放っておいても子供は育つ」という考えや地域共同体の因習が絡む「しつけ」からは離れ、家族単位の親主導による教育となり「しつけ」への関心は増しているとデータは語る。
なんだったらしつけへの関心は増しており、現代になればなるほど、親個人が子供のしつけ・教育に全責任を負う状況になっている。
失敗することのできない「完璧な親」による「完璧な子供」を求められる逃げ場のない家族という人間関係となっているのが社会が現代であるという。これが1999年に書かれたお話。

日本人のしつけは衰退したか 広田 照幸(著/文) - 講談社 | 版元ドットコム hanmoto.com/bd/isbn/9784061494

> 明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果すために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。●『自省録』マルクス・アウレーリウス (岩波文庫)p71
iwanami.co.jp/smp/book/b246669

五賢帝最後の皇帝も、布団の中から出たくない

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