『斜陽』太宰治
没落貴族の滅びの物語、と国語便覧や時折見かける紹介で聞き及んでいたが、実際に読んでみると死や滅亡よりもずっと「生」を感じる作品であった。
物語は主人公のかず子の目線で進んでいくが、時折文脈からは理解しきれないぽつりと差し込まれる一言が、不穏さ、というか彼女がただの没落貴族のお嬢様ではないことを予感させる。冒頭の無邪気にも思える母娘の暮らしは、可憐な少女たちが暖かな昼の光の中でひらひらと舞うようであるのだが、物語が進むに連れ、かず子からはじわじわと「女」が立ち現れてくる。
その「女」は旧来的な価値観を打ち破り、新時代を生きていこうとする、新しい女・母の姿である。
物語の終わりには自ら望み新たな生命を宿した女が佇んでおり、これは単なる没落の物語ではない。彼女の立ち姿にはおそれすら感じる。
その姿は、薄暮のなかひとつ真っ赤に燃えあがる生命の炎のようだと思った。