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ノリタカ さんがブースト

日本のメディアって大体クソだけど、朝日新聞がヘリを飛ばして朝鮮人追悼碑の破壊をドキュメントしたのは正しい判断だし、もっとそういう報道がないと日本はますますヤバいヘイト国家になってしまう

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群馬の森上空から撮影された瓦礫の山となった朝鮮人追悼碑の画像が忘れられない。差別の矛先で亡くなった人達を再び殺しているのと同じ。物を破壊する行為にヘイトと威嚇が込められていて、ただの撤去作業ではない暴力性を感じる。

最近見たパレスチナ西岸地区のドキュメンタリーで、イスラエル軍が「不発弾の処理」を口実に街中の車道と水道管をブルドーザーで破壊していたイメージとダブるし、ナチス政権下の11月ポグロムを連想する。11月ポグロムは「水晶の夜/クリスタルナハト」と呼ばれてる出来事。物が破壊された日として記憶されているけれど、多くの人が殺された日でもあるから私は「11月ポグロム」の名称を使ってる。ナチスと一般市民の暴徒はユダヤ人の貴重品を押収して、使えない物は郊外に輸送して瓦礫の山として放置した。瓦礫の山で始まった排除は、最終的には死体の山になった。

こういう「物の破壊」という暴力行為は、ノンポリな人にとっては「たかがモノが壊されているだけ」。でも、そうやってファシズムは社会的に受け入れられるヘイトや暴力の目盛りを少しづつ動かして、いずれは人間に暴力を振るう事も許容できる社会に変えてしまう。

群馬の森の追悼碑の他に撤去運動のターゲットになっている追悼碑が瓦礫の山になってしまったら、その後何がゴミの山として日本社会から排除されるのかを考えるとゾッとする。

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連載、 ドラマレビュー第4回公開されました。
南天さんの絵は、道長とまひろ。それぞれある事実に気づいてしまった瞬間ですね…!土曜日再放送、NHKプラス配信と共にレビューをお楽しみいただければと思います。それでは、どうぞ ↓

croissant-online.jp/life/21189

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ファンタスティックビーストみてる
・魔法使いは暖炉を使ってワープができる→わかる
・魔法使いは電車にも乗る→一般人に紛れる必要もあるだろうしわかる
・電車にワープ用の暖炉が備え付けられてて皆わざわざ走ってる電車の暖炉に飛んでくる→ちょっとよくわかんない

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福山和人さんは多様性の重要性を強調されてるし、頑張っても出来んことはあるけど見捨てないと正直に吐露している。この時代、正直さはかけがえのない財産やと思う。「共産党ガー」というカビ臭い立場主義など霞んでいく。厳寒の京都、心ある人たちがなんとか組織的な人でなしたちから自分たちの街を守りきる結果が出ますように。

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松井氏を応援していた立民(あえてこう書いてます)コア支持者のポストを追っていくと数日前まではRPしてた。
でも松井氏の素手便器(トイレ)磨き政治アピールが出てくるととたんに止めてた。
泉健太氏も野田佳彦氏もやってる素手便器(トイレ)磨き政治アピールだぞ。
松井氏がそれやってるから気持ち悪い支持できないってんなら泉健太氏や野田佳彦氏も支持できないとならなきゃダブルスタンダードだよね。

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福山和人さんを支持すること、それを大っぴらに表明することを立憲民主党支持者が躊躇しなくなったな。

一方、松井氏の支持はそうではなくなった。

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群馬県知事・山本一太の非道ぶりがすさまじいが、あれが安倍晋三のツイッターアカウントの中の人をやってたわけだから、安倍晋三という者の振舞いがいかに非道であったかも同時に物語るわけである。

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“良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるというようなことは真実ではない。植民者がいる。それだけのことだ。”(J-P・サルトル)

米、ユダヤ人入植者に制裁 異例措置、イスラエル反発(共同通信)
news.yahoo.co.jp/articles/e1f1

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日帝は被害者である朝鮮人労働者の尊厳を何度踏み躙れば気が済むのだろうか。
#群馬の森朝鮮人追悼碑撤去に抗議します

朝鮮人追悼碑、群馬県が撤去し更地に がれきの山も、本社ヘリ確認:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASS105HSLS1

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朝鮮人等追悼碑に関する小さなルール違反をあげつらう人に限って、自民党による裏金作りという途轍もなく悪質な話にはだんまりなのですわね

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いつだったか、タイムラインに流れてきた投稿にちょいと衝撃を受けた。うろ覚えだが「アメリカは世界一の大国だが、その中にいる国民の大半は世界のことに関しては無知、そしてそれどころか知ろうともしない」というようなことが書かれていた。

そしてそれを在パースのアメリカ人に言ったら、いきなり真顔になって「実はそれがアメリカなんだ」と言ったのでもう一度ビックリした。そのあと延々ともう一人のアメリカ人と政治談義になってしまい、残りのわたしたちはただ聞いていただけ。

海外にいると自分の国を違う視点から考えるようになる。在外日本人のわたしもそうなのかもしれない。

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 南アフリカのランペドーザ大統領は、ICJの判決を受け、「イスラエルが民主主義国家として法の秩序を守ることを期待」と表明。
 
 同時に南ア外相バンドール氏はICJがガザでのイスラエル軍の行動を「ジェノサイド」とは認定しておらず、また戦闘停止も命じていないことを不十分として、「イスラエルへの軍事支援軍事用の資金援助の停止」は「全ての国の義務」と指摘。

 南アフリカ政府(ANC)は「白人アパルトヘイト政権」から、派スティナとの連帯を表明し続けてきた。他方、米国とイスラエルはアパルトヘイト政権を支え続け、ネルソン・マンデラは「テロリスト」とされてきた。

 ネルソン・マンデラは大統領就任後直ちにパレスティナの置かれた状況を「アパルトヘイト」と批判、パレスティナ自治政府を国家として承認。

 また、バンドール氏は先週「ICJはプーチンを起訴できるのに、何故ネタニヤフは起訴しないのか?」と質したが「ICJ側はそれには返答せず」とも明かしました。

 ところで、米・英は1960年からブラックアフリカの反植民地運動の軍事的弾圧に関与。独立コンゴ初代首相ルムンバと国連事務総長ハマーショールドもCIAとMI6の関与によって殺害された。

 また南アを軍事支援、アンゴラ・モザンビーク国内を内戦に導き、破滅に追い込んだ。

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(社説)朝鮮人追悼碑 知事は撤去を中止せよ
asahi.com/articles/DA3S1585113

遅すぎるという指摘もあるけれど、日本の大手メディアとは思えない朝日新聞の真っ当な社説。

”山本知事は「公益に反する状況が続いている。一日も早く正さなくてはいけない」というが、損なわれている公益とは何か。碑が県民にどんな不利益をもたらしているのか。納得できる説明はない。
設置許可の更新を拒んだ県の判断の妥当性については裁判で争われた。一審は県が裁量権を逸脱し違法としたが、二審で県が逆転勝訴。最高裁で確定した。知事は最高裁の判断に従うという。
しかし、司法は撤去まで求めてはいない。また、二審判決は形式的なルール違反を過大に重要視する一方、憲法が保障する表現の自由への悪影響に対して目配りに欠けており、承服しがたい内容でもある。公園で「強制連行」を語ることを一律に禁じるべきなのかも疑問が残る。
撤去に突き進む県の姿勢は不可解だ。碑の目的や碑文の中身に問題はないが、運営の仕方にルール違反があったと知事はいう。ならば目的を生かす策を考えるべきだろう。
戦前の日本を美化する風潮が強まるなか一部の勢力から抗議を受けた県が、政治的中立を盾に事なかれ主義に陥っているとすれば、歴史改ざんに手を貸すことにもなる。きわめて危うい事態だ

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地震/災害対策も弱々なのにネトサポが擁護したり、メディアも首を突っ込んで批判してるってわけでもないし、
裏金・脱税の脱法行為が明るみになっても、結局なあなあにされてるし、
植民地主義への反省を無かったことにして、追悼碑をぶっ壊そうとするし、
パレスチナへの虐殺に欧米追尾でさらに加担するし、
ミャンマー国軍が利してるODAや、違憲立法(入管法)、マイノリティへの差別(杉田・和田…)…も放置状態。

なんかもう2024始まったばっかなのに、失望がどんどん蓄積されてる。
ふざけんな。
この国も世界もそうだけど、何が「自由」で何が「民主主義」なんすかね。

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ヒントは、アマルティア・センの言葉「人権は法だけでは守れない」。センは、法のレイヤーによる保護も大事だが、同時に倫理・規範のレイヤーも大事だと言っている。

世界中の人々が人権のアイデアを共有し、不完全義務として人権擁護を実行する。これにより法と行政の網をすり抜けた人権侵害を防ぐ。

なお、ここで「不完全義務」はカント哲学の用語で、「完全義務」=「必ず果たされなければならない義務」と対になる「なるべく果たした方がよい義務」を指す言葉。私はざっくりと「完全義務は法、不完全義務は倫理に対応する」と考えています。

日本でよく聞く「人権意識を高める」という言い回しがある。厳密かつ実効性を持たせる上では「不完全義務としての人権のアイデアを、わたしたち全員で共有しよう」と言い換えてみると分かりやすいと思う。

国際機関や政府機関による人権の保護はもちろん必要だが、(そして国際機関や政府機関の人権保護機能の実効性を高める努力も必要だが)、それだけでなく、個人のレベルでも「できることをしよう」と考えるのである。

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お題:人権は法か、倫理か?

私の意見は「人権は法(国際法)でもあり、倫理でもある」。ただし、その背後にはやや複雑な文脈がある。

哲学研究者レザ・モサイェビは、『カントと人権』の序章で「人権は政治的構想か、道徳的理論か」と論じている。

「人権は政治的構想である」という観点では、人権は国家主権より上位にある国際法である(つまり国際人権法と国連システム)。ただし、この構想は「強制力がない」という一点において否定、嘲笑される(柄谷による要約では、ヘーゲルはこの観点でカントを批判した。そしてイラク戦争やガザ虐殺時のアメリカは国連を嘲笑した)。

「人権は道徳的理論」という観点では、人権は世界共通の/グローバルな倫理的リンガ・フランカ(共通言語)である。グローバルサウスを含めて、世界中に人権を重視する人々が存在することは重要だ。

この2つの理論は相容れないとする考え方もある。「法」や「権力」は道徳と混ぜてはいけないと考える立場だ。

一方、私の立場では、人権は法(政治的構想)であり、倫理(道徳的理論)でもある、と言い切りたい。
(続く

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