竹中平蔵「マイナンバーカード批判者にみる日本教育の失敗」…ロジカルシンキングができない日本人がもたらす人的資源の劣化ーYahooにこの「記事」が流れている。
いやはや、ここに肩をすくめて立ち去るべきだろうか?
しかし今更竹中平蔵の「戯言」に耳を貸す人がそれほどいるとも思えないが、一応見てしまったからには批判はしておこう。
竹中は「マイナンバーカード」を批判する人は「論理的思考」ができない、と主張している。
しかし、「常識」があれば現行の保険証廃止によるカード強制に賛成する人はいない。
東浩紀によれば「左翼が高齢者を騙している」らしいが、ま、これは東ならではの中味のない「反共」。
「記憶」はするな、「考えろ」というのが竹中の言う「イノベーション」を起こせる人材とやららしい。
竹中は、「記憶」なしに「考える」ことはできない、ということを知らないのだろう。
イノベーションを体現していると自負する竹中本人は小泉・安倍に取り入って、人材派遣業のボスに収まり、さらに税金にたかって収益を上げているだけ。
要するに提灯学者が政治家にぶら下がって、暴利を貪るという時代劇おきまりの「ワル」なだけではないのか?
この後に続く「人材」などを再生産などしたら、社会は崩壊してしまうだろう。
多くの科学者が X(Twitter)から離脱し、代替手段を探しているとの報告
“調査で最も移行先としての回答数が多かったのが、約7年前から存在しているMastodonで、約47%の研究者が過去1年のあいだにこのオープンソースプラットフォームの利用を開始したと述べている。次に多いのはLinkedInで35%、そしてInstagramの27%が続いている。また先月ローンチしたばかりにもかかわらずTheadsが4番目に使用開始が多かった。”
「マチネ・ポエティック」のこと
「マチネ・ポエティック」とは『1946・文学的考察』著者、加藤周一、福永武彦、中村真一郎の他、白井健三郎や窪田啓作(サルトルの小説の翻訳者)などメンバー。近代日本語で「押韻定型詩」をつくろうとする試みた。
福永武彦は1979年に亡くなっているので、1969年生の私はさすがに面識は無い。三人の中では最も詩人的な気質であり、堀辰雄に加藤、中村とともに師事しながら、ボードレール研究も行った。
若きの加藤周一と中村真一郎はしばしば文学上の論争を内輪では激しく行ったが、福永は論争には興味がなく、主に調停役に回っていたという。
ただし、渡辺一夫は、「詩人」が「文学」の領域に自閉する傾向に批判的であり、福永への評価もやや厳しめであった(中村の回想による)。
中村真一郎は実は「知識人的」な気質もあり、戦中は加藤周一とともにソ連型とは異なる「地中海型社会主義」の構想を練ったりしていた。
しかし、戦後直後、「確信犯」で三木清を利用し(獄死)、そのことを全く後悔していない高倉テルを含めた共産党の後の「所感派」グループと、議論する機会があり、「政治」について発言するのを完全に諦めた。
実際、当時の政治はあまりに奇々怪々なだけでなく、危険すぎたのである。
Washington Postが伝える背景と経緯は次の通り。
南アフリカの政治集会で、反アパルトヘイトの伝統的な掛け声"kill the Boer "が出た。これをイーロン・マスク氏は「白人の大量虐殺を推進」とツイート。
https://twitter.com/elonmusk/status/1686037774510497792
NY Timesはこの掛け声の文化的背景やマスク氏批判を含めて伝えた。
https://nytimes.com/2023/08/02/world/africa/south-africa-kill-boer-song.html
New York Timesの記事に怒ったマスク氏は、不買運動を呼びかけ。その後、New York Timesなど複数のWebサイトへの遅延措置が始まった。
https://twitter.com/elonmusk/status/1687520435825745920
感想:
南アフリカの白人を怒らせる掛け声が、イーロン・マスク氏を直撃した。それをたしなめるNew York Timesの記事に逆ギレ、不買運動を呼びかけ遅延措置を取った。イーロン・マスク氏は南アフリカ出身。そして彼は極右・白人至上主義との親和性を隠さない。
こういう人よく見るけど、特にこんな景気の悪い国で金持ちになった人が国家社会の力を借りずにそこまで登ってこれたと何故思えるんだろう。 https://t.co/lfADW8cIi3
藤井聡太王位、佐々木大地七段に破れる 王位戦第4局 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230816/k00/00m/040/228000c
周囲でかつてない数の陽性報告を聞いています。再感染は後遺症になる確率が高いです。自分は軽症でも既往症のある誰かを重篤化させてしまうかもしれません。マスクしましょう。一番安価で手軽でとても効果的です。
「グーテンベルクの印刷術には歴史的意味はなかったのか?」
ここで蓮実重彦は、ルネサンス期のグーテンベルクの印刷術の画期性にこだわる林達夫を小馬鹿にし、「あんなものは、私の専門である19世紀に入らなけらば、ほとんど何の意味ももたなかった」という趣旨の発言をしている。
しかし、この蓮実の主張、現在の歴史学からは完全に否定されている。
グーテンベルクの印刷術は折からの宗教改革と絡まり合って、「聖書」の普及に巨大な影響を与えた。
アナ―ル派が統計的手法で明らかにしたところでは、聖書の普及率と識字率、それにプロテスタントの拡大が連動してドイツからフランス北部へと波のように拡大していったのが確認されている。
中世カトリックでは、聖書を読んだことのない教皇の方が多いくらいである。その代わりを務めたのは、カトリックという汎ヨーロッパ的組織を束ねていくための「教会法」。
プロテスタントは基本、家で聖書を読むことを重要視するが、カトリックは「一人で聖書を読んではいけない」とする。それでは教会の解釈からはみ出し、「異端」に陥る危険があるからだ。
いずれにせよ、近世における印刷術の普及は、18世紀には脱宗教化にも決定的な影響を与える。
要するに蓮実の林達夫批判は完全に間違っていたのである。