「マチネ・ポエティック」のこと
「マチネ・ポエティック」とは『1946・文学的考察』著者、加藤周一、福永武彦、中村真一郎の他、白井健三郎や窪田啓作(サルトルの小説の翻訳者)などメンバー。近代日本語で「押韻定型詩」をつくろうとする試みた。
福永武彦は1979年に亡くなっているので、1969年生の私はさすがに面識は無い。三人の中では最も詩人的な気質であり、堀辰雄に加藤、中村とともに師事しながら、ボードレール研究も行った。
若きの加藤周一と中村真一郎はしばしば文学上の論争を内輪では激しく行ったが、福永は論争には興味がなく、主に調停役に回っていたという。
ただし、渡辺一夫は、「詩人」が「文学」の領域に自閉する傾向に批判的であり、福永への評価もやや厳しめであった(中村の回想による)。
中村真一郎は実は「知識人的」な気質もあり、戦中は加藤周一とともにソ連型とは異なる「地中海型社会主義」の構想を練ったりしていた。
しかし、戦後直後、「確信犯」で三木清を利用し(獄死)、そのことを全く後悔していない高倉テルを含めた共産党の後の「所感派」グループと、議論する機会があり、「政治」について発言するのを完全に諦めた。
実際、当時の政治はあまりに奇々怪々なだけでなく、危険すぎたのである。