“左翼あるいはリベラル派の中には、8月15日を「日本人が日本帝国主義から解放された日でもある」と言う人がいます。しかし、いまだ日本の人民は日本帝国主義を克服するべく自らの手で天皇制を廃止して真の民主化を果たすことができずにいることを考えると、日本の左翼あるいはリベラル派が8月15日を「日本の人民が日本帝国主義から解放された日でもある」と言うのは、やはり欺瞞であり、そして傲慢であると言わざるを得ないでしょう。”
https://yukito-ashibe.hatenablog.com/entry/2023/08/15/154031
フェミニズムやLGBTQの活動家が勢力活発で知られるアルゼンチンで絵に描いたような極右トンデモ候補が本命に。左派与党は(候補者は複数いたようだが)三位に敗退。ヤバい……。 https://t.co/SHaTdHP0ZE
内藤佐和子、徳島市内では無茶苦茶してるんだけど、徳島の外の人たちは徳島になんか興味ないじゃないですか。事情なんかわからないし。それをいいことに、外では「性差別と戦うリベラルな女性市長アピール」して「旧弊な徳島と戦ってます!」って全国紙やテレビ、話題のYoutube番組でやるもんだから、ほんっとーーーにタチ悪いんだよね。
だからこちらもTwitterやMastodonでは「一言で言うとあいつは維新です」って言ってる。徳島市長こんなにひどいんですって言ってもだーーーれも見ないけれど「徳島も維新に支配されてます」ってやると、反維新の人たちが強く反応する。
自分はそういうことをここで意図的にやってる。ってことを言及しておく。
敗戦の日なので。
うちの母方の祖父は大陸、南方と二度徴兵されて、その南方でオランダの捕虜となり、それが幸いして生き延びた。大陸で目撃した、日本軍の朝鮮中国への虐待は凄まじかったらしく、その経験を孫の前で口にしたのは、たった一度の「日本軍は虐殺したんだ!」という叫びだけ。ただその声、込められた感情は30年経ったいまも鮮烈に残っている。引き上げ後、一度だけ夢だった早稲田を受けたものの不合格、すぐに商売に転向し、国籍民族関わらず地域全員にものを売り、後に引き上げていく朝鮮の人たちの信頼も厚かったと。子供たちには差別はせぬよう説き、自身もそのように生きた。 飄々と海千山千、韜晦していて煙に巻く。そんなじいさんだった。
ゲッとりんちって今Fedibirdにいるのかよ。Twitterで散々トランスヘイトを批判されたのに何の反省もなさそうなポストしてるし。
私のフォロワーさんは見かけ次第ブロック推奨です。話の通じる相手じゃないので、リプなども避けた方が良いと思います。
高市経済安保相が靖国参拝 「感謝の思いを伝えた」 萩生田氏も - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230815/k00/00m/010/088000c
台風7号が和歌山・潮岬に上陸 近畿縦断の見通し - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230814/k00/00m/040/256000c
みんなと知る戦争:両親にも言えなかった毒ガス製造 地図から消されたウサギ島 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230815/k00/00m/040/009000c
海外のアーチスト(DJってこの括りで正しいのかな)に対する性暴力の件、「他の国では起きなかった」というのはこのアーチストの経験としてそうなのだろうし、日本が酷いのもその通りなのだけれど、彼女の告発のポイントは他国との比較ではないわけだし、日本は他の国と比べて云々という話にせずに他で起きようが起きまいが性暴力はダメといういわば前提の部分からあまり動かない方が良いのでは、と思っている。
正直、探せばかなりどこでも性暴力は起きているし、あちらの性暴力よりこちらのほうが悪質だからみたいな話が混入しやすくてそうなると逆効果だし、性暴力の報告数と告発のしやすさとの関連という問題もあるし、性暴力の酷さの国比較とかを始めるのはあまり良い結果にはつながらない気がしている。たとえばキャンパスでの性暴力とか英米はかなり酷いのがあってそこだけ見れば日本の比じゃないようにも思えるけど、じゃあ日本の大学は安全なのかと言ったらそんなわけない、みたいな事が実際あるわけで。
性暴力ダメだけだと当たり前過ぎに感じられるかもしれないけど、その当たり前の、いわば面白みのない繰り返しに留まることも、大事なのではないかと。
『ダントン』(監督A.ワイダ、1983)
このワイダのダントン、3度目か4度目だと思う。リマスター版であるから、画質はかなりいい。
また元来が戯曲であることもあり、演劇的な撮り方になっているが、それが決してマイナスになっていない。
ダントンとロベスピエールの権力闘争の最後の数日間であるので、ダントン、ロベスピエール、デムーラン、サン・ジュストなど限られた人物を近い距離からとっても不自然ではない。
活人画的な場面などは、P.ブルックの『マラー・サド』を思わせる場面もある。
ワイダは88年の『悪霊』の後、冷戦終結後は急速に緊張感を失ってしまった。
『ダントン』における各人物の描き方は基本ミシュレ以来の伝統的なもの。ただ、この映画、俳優の演技がパワフルである。ちょうど30年経った今、やはり映画界全体の衰退を感じる。
特に英米の白人男性俳優の演技のレベルが劇的に下がった。これはもう「時代」の問題だろう。
ところで、この映画を観た仏大統領ミッテランは非常に「不機嫌」だったとされるが、何故だろう?
ミッテランは青年期極右団体「火の十字団」のメンバー、ペタン崇拝者。個人的にダントンは愚かロベスピエールに親近感をもっていた筈もない。
ただ「ナショナリスト」故にということかも?