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田舎にこそ公共交通機関が必要だという事は、事実ではあるのだけれど、費用の面での難しさが非常に大きいだろう。

私の集落には、かつて、町営のコミュニティ・バスの停留所が出来たことがあった。今から17年前、2006年11月のことだ。

当時は誰も乗る人がなくて、「幽霊バス」「走る障害物」と陰口をたたかれていた。私も、バカなことをするものだと嘲っていた。

私は自分の不明を恥じる。

今、このバスがあれば、どれほど助かる人が多かっただろうと思う。

町営「のぎくバス」は、数年前に大幅に運行路線を縮小した結果、今はもう我が集落には上がって来なくなった。老朽化したバスを更新する資金が無いのだそうである。

何も小型とは言えバスを使う必要は無い、10人乗りぐらいのワゴン車を使えば良い、という考えもあって、実際、そういう線でコミュニティ・バスを復活させようという動きもある。しかし、それでも、費用面での困難が大きいと予測されているので、実現するかどうかは分らない。

isarigami.net/isarigami/chron/

もうすぐ89歳になる私の母は数年前まで車それも MT の軽トラックに乗っていた。

見ていて特に危なげな所は無かったので、車の運転をやめるように勧めることはしなかった。

免許証の書換えが迫ってきた時にも、高齢者用の講習を受講し、認知機能等の身体能力の検査も受け、最後には、私を運転手にやとって遠くの免許更新センターまで行き、実技試験を無難にパスして見せた。後は事務手続きをするだけになっていたのだが、「もう運転はやめとくわ」と言って、免許の更新をしなかった。

母が自動車を諦めてくれてほっと安心したかと言うと、微妙なところだ。

もちろん、事故を起したり、人を傷つけたりする前に車を降りてくれたことは非常に有難いと思った。この賢い人が自分の母であることを感謝しなければなるまい。

しかし、同時に、今後は母の運転手として自分の時間を使う必要が増えることを思って、罰当たりな息子はちょっと渋い顔をしたのである。

母は今のところ、柚子で味噌やマーマレードを作ったり、コンニャクを作ったり、家族の食事や弁当を作ったり、テレビを見たり、小説を読んだりして、元気に日々を過ごしている。さすがに、以前に比べて疲れやすくなったように見えるし、乗せて行ってやると言っても遠くには行きたくないと言ったりするけれどね。

> 地方は公共交通機関をもっとなんとかしないと再生の道は無いよ。車無いと詰むって都会の人にはちょっと分かんないんだろうけれど。

自律的な移動手段は本当に重要だ。

都会で歩くことが苦にならない人であれば、十分に路線が張り巡らされた電車やバスがあれば良いだろう。田舎でも高校生までの若い人であれば自転車で十分だと言う人も多いかもしれない。

けれど、一般的に言って、田舎では自家用車が唯一の自律的な移動手段であって、それを失うことは自由を失うことを意味する。

買い物するのが不便になるとか、病院に通院するのに苦労するとか、そういう現実的な生活のハンディキャップを背負うこと以上に、行きたい時に行きたい所へ行くという自由がなくなることの方が人間にとってダメージが大きいと思う。

数年前、友人の一人が脳梗塞を患って半身に麻痺が残り、自動車を諦めざるを得なくなった。当初、彼はひどく塞ぎ込んで自宅に閉じこもってしまった。ところが、介護保険を利用してシニアカー(バッテリーでゆっくり動く小さな4輪車)を借りてからは、見違えるように明るくなった。身体の状態はさして良くなってはいなかったけれど、生き返ったように元気を取り戻した。

移動の自由はそれほど重要なんだ。

google.com/search?q=電動シニアカー

きはら F さんがブースト

ツイッターのフロントエンドアプリ商売もそうだしyoutube商売もそうだし、他所が作ったプラットフォーム上での商売は実にあやうい。そしてプラットフォーム側があまりに大きな権力を持ってしまっている。インターネットが分散型の情報網として生まれたのに、どのようにしてネイティヴアプリを前提としたクローズドな中央集権の傾向を見せるようになったかを考えることは、自由を考えることになるし、インターネットどころか情報一般について根本的で批判的な目を持つ必要がある。人間に必要なのは自由なのに、あまりに情報と馴れ合ってしまっている。

集落の自治会長として自腹を切って贈った食べ物で一番喜ばれたのは、夏の盛りにお寺の掃除をしていた婦人会の人たちに持って行ったアイスキャンデーだった。スーパーなどで売っている、5本か6本が1箱に入っている安いやつです。あれ以来、集落の女性たちがいろいろと話をしてくれるようになった気がする。

時と場合によるけれど、あんまり高価な物じゃない方が良いんだろうな。経済力を見せつけているようで、反発を受けることもあると思う。

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若い時に文庫本で読んだヒルティ先生の『眠られぬ夜のために』だったか『幸福論』だったかに、

人と和解するためには、ほんのちょっとした贈り物が効果的ですよ

というライフ・ハックが書かれていたのを何故かよく憶えている。

『そのとき、日本は何人養えるか?』の著者篠原さんも、彼のお父さんの言葉として、同じ趣旨のことをツイッターで書いていた。

二人ともいわゆる政治的な人間からは程遠い人柄であるのだが、贈り物というものが人間関係において果たす絶大な効果について肯定的に言及しているところが面白い。

私としては、更に一歩進めて、贈り物の中でも食べ物がいちばん良い、ということを付け加えたい。

ほら、キリスト教でもパンと葡萄酒を振る舞うでしょう? あれが無かったら、いくらイエスの教えが素晴らしくても、ここまで普及はしなかったんじゃなかろうか。そもそも、聖なる饗宴なしの宗教は考えられないでしょう。

そういう理解の下、集落の自治会長である私は、身銭を切って住民や役員に旨い食物を提供することを厭わないようにしている。実際、そうやって、こちらには敵意が無いことを示すと、相手方の秘められた敵意や警戒心が解けて、物事が少しだけスムーズに進むようになるのだ。

(何だか言ってることが田舎の有力者じみてきた)

田舎に移住したいと思う人は、その所在地の役場に問い合せをするのが良いですよ。

たいていの田舎地方自治体、特に人口減少に悩んでいて積極的に移住を受け入れたいと考えている所は、そのための窓口や部局を持っていて、それなりの対応をしてくれます。

例えば、私の町なら「移住推進課」というのが役場にあって、更に、既に移住して住み着いている人から適任者を選んで「移住コンシェルジュ」という役に就いてもらっている。コンシェルジュ? センスの無い命名だけれど、要するに、移住についていろいろと相談に乗ってくれる人です。非常勤の嘱託職員になるのかな。

私の町では、移住推進課や移住コンシェルジュの仕事の成果として、かつて外部から見えにくかった集落コミュニティの不文律がかなりの程度まで明文化されつつあります。

・自治会費はいくらか
・参加することが求められる共同労役奉仕はあるか
・参加することが当然視される自治会の集会や社寺の祭礼はあるか
・それぞれ、どの程度強い決り事なのか

等々。「集落の取扱説明書」とでも呼ぶべき公開資料を作成している自治体が増えています。

きはら F さんがブースト

そう考えていくと、私が故郷の両親の家に住むことは、現実的ではないように思えてくる

仙台の街中に独りで気楽に住んでいても、ここまで書いたこととそう変わりのない「自民党以外はひとにあらず」とでもいうような傾向は強く感じます

私は今、障害を持ったことでやっと「障害を持つ人」のコミュニティに属することができ地域社会に受け入れられつつありますが、親しくなった人の大部分は選挙に行かないし政治に興味を持たないことを一般的な生き方として「お気楽に生きているから」と肯定している
そして政治に興味を持つことは自民党に何らかのコネを持つことだったりする

そこを意識しだすととても生きづらくなる
上に書いた理由で私は一時は親しくなった人数人と距離を置きました
人柄が善くても、付き合っていて日常会話の中に出てくる外国人を差別する発言に腹を立ててしまう自分に疲れてしまったからです
相手を自分と同じ人間だと見れなくなっていくのが耐えられませんでした

自分の内面の問題ですが、距離を取る以外いかんともしがたかった

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きはら F さんがブースト

故郷には自民党がという以外にも土地の「だんぽ(旦那さん)」と言われる有力な家系があって、他人の家の中で起きていることを偵察に来るよその家のおじさんというのがいました。ゴシップを収集し、ことあればあることないことを吹聴して歩く人が少なからずいて、父もかつて私たち姉妹を大学にやったことで中傷を受けて一升瓶を下げて変な噂をふりまかないように「だんぽ」であるおじさんに頭を下げに行ったことがありました。

今はどうなっているか知らないけれど、故郷の家族からはいまでもずいぶんひどい話を聞きます。

これで田舎に住もうと思える方がどうかしていますが、私は農業をやりたいし両親の家に住みたいとも思っている。

田舎の人間関係の困難さ(中にいるものにとっては困難ではない)がそれを阻みます。
ムラの一員として認めてもらい円滑に暮らすことが非常に難しいと思われてしまう
わたしは精神障害を患っているしいったん東京に出て帰って来た女性でしかも結婚していないいわば「変人」ですから、地域社会では「異端」なわけです

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きはら F さんがブースト

私は共産党員だった伯父夫婦に可愛がられて育ちましたから、自民党には強いアレルギーがあります
10代に見聞き、体験したことだけでも自民党嫌いになるのには充分でした

そのため故郷ではのびのびと生きられないという思いが今になるまで強いです

それは故郷を離れた一因でもあるし、実家で暮らすことを困難にするであろう原因の一つでもあります

しかしそれもあくまで私一人の体験と志向で、地域の共同体は私が幼いころからずっと自民党を受け入れてそのやり方で暮す人々によって運営されている

良し悪しではなく

悪いと言ったところで何もできない

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きはら F さんがブースト

共産党(や自民党以外の政党)嫌いはほとんど生理的な嫌悪なのでしょう
議会で何を提案してくれたか、またどんな活動をしているかを見るのではないようなのです

自民党の議員は、子供の野球チームのコーチ、商工会の会長、区長など、生活に密着する形のポジションについてから、議員になることが多い

かたや共産党は病院を立てたり観光や箱ものの誘致にばかり注視する自民党が「しない」福祉方面で力を発揮している

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きはら F さんがブースト

もう亡くなってしまいましたが、私には自民党と共産党両方の町会議員の親族がいました

それをつぶさにみていて思うのだけど、どう見てもよく政治を勉強していて人格高潔だったのは共産党の伯父だったにもかかわらず、そういった事は地方政治には求められていないかのようだった
逆に言えば、少しの事で足元を掬われるために伯父は高潔でなければならなかったとも言えます

私はその伯父と親族であることを職場などで公言しないよう、家族に必ず一言言われたりしていました
その伯父を慕っている人間であってもそうした注意を受けます

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きはら F さんがブースト

きはらさんのおっしゃること、よくわかる

私の地方でも議員と言えば自民党
自民党以外はうさん臭いものとして見られる傾向が強い

とにかく自民党が家庭の台所のことまで知るぐらい深く地方の社会に食い込んでいることは確かなんです

どんなに共産党の議員が地域のために尽くしていてもそれはなかったこと、透明になってしまうばかりか反感の対象になる

良い悪いではなくてそういうものとして地方はある

きはら F さんがブースト

:hyuki: 段階を踏んで作業をする話

私は、段階を踏んで作業をするのは苦手でした。

学生時代はずっと、何かをやるとなるとぱぱっとやってしまうタイプでしたね。準備して、整えて、予定を立てて手順を踏んで作業するというのはもどかしいタイプです。

でも最近は、というか1人で仕事をするようになってからは、もうちょっと手順を踏んで作業するようになってきました。

そのきっかけとなったのは、リファクタリングの本を書いたときじゃないかと思います。リファクタリングでは「ステップ・バイ・ステップ」が大事になります。

1度に複数のことをしない。手順を守って進む。おおよそそういう話です。

たくさんのことを一緒くたにグワーっと処理する。それは、まるでブルドーザーのように進むのは小気味良いし、「おれってば、すげー」と気持ちがいいものですけれど、それもときと場合によります。

仕事をしている快感を得るために仕事をしているのではなくて、きちんと進むために仕事をするのであれば、ステップ・バイ・ステップは大事です。

ステップ・バイ・ステップの良いところの1つは、途中で中断ができることです。別の言い方をすれば、すべての情報を自分の頭の中に保持しておかなくても良いのです。

これは、複数の仕事を抱えているときや、なかなか集中できないときなどにも有効です。さらに言うなら、自分の状態や、能力に依存しにくくなります。ですから、成果物の品質にブレが少なくなるメリットもあります。

もっというなら、ステップ・バイ・ステップを洗練させていくことで、過去の自分が現在の作業に寄与することができますし、現在の自分が未来の自分を応援できるようになるともいえます。

もちろん欠点もあります。ステップが複雑になりすぎて、その管理が難しくなったり、手順を守ることだけに意識が向いてしまって、全体の勢いや品質チェックに抜けが出てしまう危険性です。でも、これは、ステップを見直すことによって改善できる危険性です。

ステップ・バイ・ステップのメリットは、再現性にあると表現できるかもしれません。自分の今回の作業と同じことを次回も行うことができるかどうか。もしも今回と同じような考え方をすることができるなら、次回も同じような成果物を作る再現性があるでしょう。

でももしそれができないのであれば、何らかの形で今回の手順を記録しておき、次回はそれを参照して行うのは有意義なことでしょう。

今回作業していて、自分がふと思いついた改善項目があったとします。今回はその改善項目が言うように働きました。では、次回は同じように、その改善項目を思い出すことができるでしょうか。そういう話です。

実は、いま確定申告の作業をしていて、昨年自分が行ったチェックリストを見ながら毎日作業をしています。

そして、もしもこのチェックリストがなかったら、作業はなかなか大変だろうなと毎日思うのです。このチェックリストに書かれていることは、私固有の情報がたくさん含まれていますから、世の中にあるどんな本を読んでも、またウェブサイトを検索しても見つかることはありません。

自分がこれまで何年もかけて育ててきた手順だからこそ、今年の私に有効なのです。

そんなことを考えながら朝の散歩をしています。

これは、「やっぱり自民党が良い、自民党じゃなきゃ駄目だ」とか、「野党はだらしない」とか言いたい訳ではないんです。

何年前だったか、大雨で村が被害を受けたときに、共産党の町会議員がやってきたことがあった。そのときに、村の人は「村が困っているときに物見遊山でやってきやがって」という反応を示した。それは、議員がどんな行動をしたかということよりも、彼が共産党員であるということに対する反応だった。共産党というだけで受け入れられない訳だ。

田舎で政治家として何らかの仕事をしたい場合には、自民党の公認を受けるか、少なくとも支持を得ることは、普通に考えれば、必須の条件であるように見える。

で、これも、「だからやっぱり田舎は駄目だ」ということを言いたい訳ではないんです。

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他所ではどうなのか知らないが、私が住んでいる田舎では、事実上、自民党の議員以外に政治家は存在しないと言って良い。

私の集落で1月に開催される住民総会に、ある衆議院議員が毎年挨拶状を送ってくる。そればかりか、日程の都合さえ付けば、総会の場に顔を見せて話をしていく。また、もう一人別の県議会議員も、同じように挨拶状をよこして訪問もするのが毎年の例になっている。どちらも自民党の議員だ。

戸数わずかに17、 人口約30人のいわゆる限界集落の住民総会ですらそうなのだから、選挙区内のすべての自治会や集落に対して同じようにしているだろうことは想像に難くない。

自民党以外の議員がそのような「どぶ板」戦術で選挙区内の住民に接触しようとする例はまったく無い。

住民総会準備の役員会(予算決算会)が、つい先ほど、無事に終った。

新年最初の役員会だし、前年度の会計決算をしたり、新年度の予算を立てたりする大事な役員会なので、昔から慣例として、仕事が終った後に、自治会長(「区長」と呼ばれている)がポケット・マネーで役員に酒食を供することになっている。かつては自宅に招いて鋤焼きなどで酒宴を催していたが、近年では公会堂を場所として使う。

区長としては、予算決算の中身より、みんなに何を食べさせようかと、そのほうが気になる。最近では、仕出しの弁当やオードブルを出すのが一般的だが、旨いものを食べさせたい(自分も食べたい)と思ったので、今回、私はネット通販で鴨鍋を注文した。

旨かった。

みんなも喜んでくれた。

美味しいものを共に食して満足するということは大事なことだ。それによって、みんなが幸せになり、コミュニケーションが捗り、物事がスムーズに進むようになる。コミュニティのリーダーにとっては、そのために少しの自腹を切ってメンバーのために旨いものを調達するぐらいは、安上がりな事だ。

それって、旧い村の政治そのものじゃないの? という批評は当っているだろう。その通りだと思う。

「YMO高橋幸宏さん死去 70歳」

ええー、何で? っちゅう感じ。

私なんか、70歳まで、あと4年しか無い。

いや、彼のドラムが好きだったという事は全然ない。肉体が刻む有機体のビートではなく、半導体から生まれる無機質のリズムを面白いとする YMO のコンセプトは、はっきり言って、好きではなかった。

そういう音楽の話ではなく、高橋幸宏も70歳で死んでしまったんだ、という話。

私も後せいぜい10年ぐらいだな。今のうちに好き勝手しよう。

何か熱が出て来たのか? それ、無茶苦茶こまるんだけど。

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