20cm ぐらい雪が積っている。
普段どおりに車で移動するのは本当に大変だな。私は、さいわい、毎週水曜日は休日なので、今日は苦労して出勤する必要は無く、一日中、暖かい家の中でぼーっとしていれば良いのだった。
こんな日に無理して普段どおりにしなくても良いのに、と思う一方で、普段どおりにするために普段より苦労しなければならない人もけっこう沢山いるということも思う。
私が勤めている病院などもそういう人が多い職場だ。私のようなパソコンのお守り役は今日一日ぐらい働いていなくても何とかなる。しかし、人工透析の送迎とか、訪問看護とかは、そうは行かない。
話が跳ぶが、最近ちょっと気になることがあって、何かって言うと、郵便局の配達の仕事。
先日、夕食をとっていた時に、玄関のピンポンが鳴って、こんな時間に誰だろうと思って出てみると、もうあたりが暗くなっている中に郵便局の人が荷物を持って立っていた。辛そうな、静かに怒っているような表情だった。
郵便局のサービスは、ここ数年、質の劣化が激しい。遅配は常態化しているようだし、郵貯でも硬貨の預け入れにべらぼうな手数料を取るようになったし。
そういう「営業」不振の尻拭きを集配の仕事をする人たちがさせられているような感じで。
村の神社で「二十三夜」のお祭り。
当番の人たち以外はほとんど参拝しないのだが、自治会長としては知らん顔も出来ないので、夕食後、賽銭にする小銭を持ってお宮さんに詣った。
御供部屋で、供え物のお下がりである洗米、蒸し米、お神酒をいただいて世間話をする。明日の夜からえらい雪が降るみたいやな、とか。
二十三夜って、どういう意味のお祭りなん? と聞いても、誰も、さあー、知らん、としか言わない。元々は、旧暦(太陰暦)23日の夜、下弦の月が夜中に出てくるのを待つ祭だったんだろうね。
https://kotobank.jp/word/二十三夜-591778
昨日の住民総会で、二十三夜はほとんど誰も詣らないから、当番の負担軽減のために、やめたらどう? という話をしたのだが、誰もやめようと言わなかった。
で、昨日の今日だよ、もう少し詣ってくる人が多いだろうと思ったのに、やっぱり少なかった。
柿の木を強剪定(ほとんど伐採)した。昼休みを挟んで、11:00 頃から 14:00 頃までかかった。
段取り良く作業が出来たと思う。
・○○さんが設置している網と電柵を枝の落下にそなえて外す
・高枝切りチェーンソーを使って、切れる限りの枝を切り落とす .・脚立を使って、さらに上部の枝を切れる限り切り落とす
・脚立を使ったり、太い枝に足を掛けたりして、ハンディ・チェーンソーで切れる枝を切り落とす
・最後に残った幹にロープをかけ、近くにある樒の幹とつなぐ
・エンジン・チェーンソーで幹の山側に切れ込みを入れ、谷側を少し切り、ロープを引いて山側に倒す ... よし、上出来、うまく行った
・エンジン・チェーンソーで太い枝を切り落とす
・○○さんの海苔網と電柵を復元する
切って落とした枝は、量が少ないうちに、こまめに除去した。作業空間はきれいにしておくのが良いことを再認識。
切った枝は、いつものように、電動剪定鋏を使って小さく切る。柿の木は好き勝手な方向に枝分かれして伸びているので、細かく切らないと、非常に広大な置き場所を占有する。そのままだと、火を付けても、燃料となる枝の密度が薄すぎて十分に温度が上がらず、燃焼が持続しない。半分ぐらい処理が済んだ。まだ残っているが、16:30 に作業を終了する。
既に耕作放棄した農地にイノシシ用の柵が残っている。亡き父が50年以上前に設置したもので、波板トタンとL型アングル鉄棒が使われている。
常々、あの柵をばらして、材料を再利用しようと思っていたが、今日、やっと、L型アングル鉄棒を12本、波板トタンを4枚、回収することが出来た。まだ何本か残っているが、引き抜くのに結構な労力を要するので、今日はもう力尽きた。
地中に埋まっていた部分は腐食して脆くなっていたので、村の備品である切断機を借りてきて、切り落とした。
父は、物にはそれを作った人の命がこもっているので、無駄にしてはいけない、と言い、廃材に含まれていた折れ釘を叩いて伸ばして使う人だった。今も、父から受け継いだ道具箱には、そういう釘が残っている。
父がいれば、今日の仕事の成果をどや顔で自慢するのだが。
森林組合が村山の間伐作業に入っているのだが、墓の近くに木が倒れたのでどのように処理すべきか指示してくれ、と言ってきた。
区長(自治会長)としては、それなりの手順を経て決めるべきだと思ったので、山林係と墓の関係者に声を掛けて、現地検分に行った。
墓は林の中にある。現在は4軒の家の墓があるだけで、しかもそのうちの2軒は最近になって人が絶えたり村から出て行ったりした。薄暗い場所にある寂しい墓地だ。
うち捨てられた墓石がいくつか残っていた。
しかし、この場所は「平野(ひらの)」という名の比較的なだらかな山腹で、現在は人造林になっている(だから森林組合が間伐に入っている)が、かつては牛の放牧場(マグサ場)だったそうだ。そして、村中の墓がここにあったと言う。その当時は明るい墓地だったのだろうな。そんな景色を見てみたかった。
山の中の集落、岩座神(いさりがみ)に住む面倒くさい爺さん。
プログラミングと社内PC環境の保守を糊口の資としてきたが、引退してゆるゆると野良仕事三昧中。
本拠は @kotobaphil-mtd.eu に移しました。