Audible で澤村伊智氏の「予言の島」というのを聴いているのだけど、あまりに苦痛で中断。
4人が犠牲になったメインの謎が解けた後、不要(そうに見える)エピと、だらだらと同じフレーズの繰り返しが続き、単にページ増を目指しているだけにしか聞こえない。クドクドしたお涙頂戴式の表現があまりにも長いせいで、もう本当に無理!耐えられない!と気が狂いそうになった。
これが最後のどんでん返し(?レビューにはそういう記述があったが)に必要な部分なのだろうか?いやしかし、もしこれがトリックにかかわるのだったら読者には拷問でしかない。
それともコレ、苦痛に耐えて貴重な時間を使って最後まで聴くべきなのだろうか。そんな対価を払う価値が果たしてあるのか謎である。
Audible はそうはいってもまだ品揃えは全然少ないので、選択肢が限られる。良く知らない作家の方の作品は相性的なものもあり、最後まで辿りつけないことも結構ある。
その点アガサ・クリスティ氏や宮部みゆき氏の作品群は、どれを聴いていてもダレたり聞くのが苦痛になるようなことは皆無。
こういうところに、作家の力量が出るのだろうなぁと思う次第。
緑内障の進行を遅らせるために、レーザー治療を行うことに。
とりあえず今日は左目のみ。普通に検査の時のような椅子に座って顎を乗せ、先生が機械を覗き込みながら私の目に「バシバシバシッ」と何か(いや、それはたぶんレーザー)を30回ぐらい打ち込む、という施術であった。
直後は目が非常にウルウルした状態でよく見えなかったし結構痛みも感じた。しかし2時間ぐらいで痛みも引き、今度はかなりゴロゴロした感覚に。これから5日間にわたり、専用の目薬を1日に4回点眼する。
2週間後は右目の施術の予定。思っていたよりずっと簡単な感じではあったけど、いったいいくらの請求書が来るのかが一番恐ろしい。
そしてこれが効果があって、少しでも眼圧をさげ、病の進行を遅らせてくれるとよいのだけれど。
日本に一時帰国した友人から「母親から服装への同調圧力が強くて面倒だった」と愚痴られた。
言われてみると自分も日本へ行くときは滅茶苦茶服装に悩み、わざわざちょっと高見えするコンサバな服を購入したりするなぁと自覚。日本以外への海外旅行なら全然気にせず、アメリカで生活するときと同じでかなり適当なのに。
ただこの問題は根深くて、自分もついつい高校生の娘に服装のことで「そんなおへそが出た服で学校にいくな」とか、「Hocoパーティに行くのにそんな丈の短いドレスはやめて」とか文句を言いそうになるので自省が必要。いつもぐっと言葉を飲み込む。
結局彼女も実際は「この辺の一般的な高校生たちがしているような服装」をしているだけ、という厳然たる事実はあるのだけど。
いずれにせよ、自分の下の世代に同調圧力を押し付けないように、自分自身が気を付けて過ごそうと思った。
映画 Barbie に関して日本の旧鳥ランドで散見するつぶやき、単純化すると、
1.いくつかの男性アカウントが「自立する女性を描いているけどこれが大ヒットするってアメリカ大丈夫か」とか、「男性は不要とする映画で大いに不満」とか「男性(ケン)をバカにしている」などと表明
2.女性が「自立する女性の何がいけないのか」と不思議がる
3.不満を述べている男性アカウントがどのような人々か理解した女性たちが、「もともとは映画に興味なかったけど、彼らがああいう反応なら俄然面白そう、観に行く!」
となっている。面白すぎる。
それにしてもこの映画、「男性を不要と主張」してもいないし「男性をバカにしている」わけでもない。そもそも、ケンが「現実社会の女性のメタファー」だと理解できないってどういうことなんだろう...。そっちの方が不思議になる。
そして素晴らしいレビューを読んでしまったので影響を受けすぎてしまい、これ以上のことを自分が言語化できるわけもなく。
色々読んだレビューの中でこれが最高峰、例のワーナーブラザーズ社による軽率なミーム事件が発生した遠因にも触れられていて秀逸(北村紗衣氏のレビューにハズレなしと再確認)。
ただかなりのネタバレなので、映画を観た後に読んだ方がよいです。
映画『バービー』レビュー──作品と“バーベンハイマー”対応に見る「創造主の地位の簒奪」
https://www.gqjapan.jp/article/20230810-barbie-movie-sae-kitamura-review
自分へのメモとして記録。
映画 Barbie を観てきたので感想を描こうと思ったのだけれど、ピンクの能天気なバービーランドと現実社会の複雑な入れ子構造になっており、ある意味わかりやすかったオッペンハイマーよりずっと深く哲学的な内容だったためか、非常に難しかった。
一つ確実に感じたのは、「男性と女性では視聴後の感想が全く異なるだろう」という点。様々な暗喩や間接的表現を使いながらフェミニズムを時にコメディ的に揶揄しつつ(そうやってオブラートに包んで観る人が見ればわかるようにしてあるのだが)、女性が見ると「現実感が胸にせまり辛くなる」エピソードが、おそらく男性にはほぼ理解されないだろう、と思った。
例えば、ケンの鬱屈した「身の置き所のなさ」、「意見の尊重されなさ」、「軽んじられる日常」みたいな空気感は、その立場に置かれたことのない人には実感がわかないだろう。
しかし日本人としては、映画全体として、広島や長崎の犠牲者に対するリスペクトは全然感じられなかった。監督が描きたかったのはそれではないのだと言われればそれまでだが、そのこと自体も、『トルーマンが「日本に原爆を落とす」ことを対して熟考もせず決定した』ことと、結局つながっているのだと暗澹たる気持ちになった。
あと私には彼が女たらしであったエピソードはもっと違う形で表現できたはずだと感じた(あの女優さんのヌードシーンは全く不要だったという立場)。が、あれをもってR指定にしたのは逆説的に正しかったのかも。ある程度社会性と理解力が培われた年齢を過ぎてから観ることが望ましい主題であると思われる。
映画として、3時間は全然長く感じなかった。非常に印象深く個人的に評価が高かったのは音響や音楽、そして彼が見る幻影(?幻覚?)あるいは心象風景の描写手法。映像美も素晴らしかった。演出として時間軸を行ったり来たりすることで、観る者を常にストーリーに引き込み主体的に考えさせる効果があったと思う。
「Oppenheimer」 長女に誘われて一緒に観てきた。
3時間超と長い映画で、しかも英語ネイティブの長女ですら「用語が難しくてわからないところが多かった」という私にはハードルが高い内容だったものの、おそらくだがノーラン監督の伝えたかったことは理解できたと思いたい。
映画のメッセージは、「彼は確かに素晴らしい天才科学者だったし、人並みの倫理観も持ち合わせた社会的には普通の人であったが、自分が何をしているかその時点では全然理解していなかった」というのが私個人の理解である。
鑑賞後にいろいろな関連記事を読んだら、ノーラン監督自身も『彼は「絶望的な世間知らず」だと思う』と語ったらしい。そう、「世間知らず」が正しいのかも。
彼のように若くしてそのすさまじい天才ぶりを発揮し社会的にも認められ、あまつさえあれだけのプロジェクトをリーダーとして成功に導いたという点で、並大抵の人物ではない。しかしその才能は結果として22万人の一般人を殺し、その後何万と言う人々を後遺症で苦しめた。彼が自分が何をしたかを悟ったときの絶望はきちんと描かれていたと思う。
さっき私におこったことが極めてアメリカ的だったので記録。
何か月か前ー州立パークのキャンプサイトの予約(キャンプは8/9から)
8/1ー「このキャンプ場のリモデル工事が終わっていないのであなたの予約は自動的にキャンセルされます」とのメール
8/2 ー急いで別のキャンプ場を探し回り別サイトに来週の同じ日の予約を何とか入れる
8/3 -「やっぱり工事は終わったのであなたの予約は生きてます」と言うメール(!!!)
8/4 ーオリジナルの予約をキャンセルしてもらうべく電話を掛けたら、もろもろの手数料32ドルが取られるという
どう考えても不当なので、色々説明したが、「3日前のメールの3時間後に、やっぱり大丈夫と言うメールが送られたはず」と主張される。そんなメールは一切受け取っていないが話にならず。というか、たとえ「3時間後に送った」のが本当だとしてもそれが免罪になるとでも?
「マネージャーに代わってくれ」と頼むとながーく待たされた末に、彼女が電話に出たとたん全額返金を了承。
決定権のない人とどれだけ話しても無駄。あっさりマネージャーに代わってもらうのが吉。
日本はWBCで盛り上がっていたみたいだけど、朝の注目ニュースのランキング等で上位を独占しているのをみると、なんだか複雑な気持ち。
私は、わずかな国だけが参加する試合に「World」と名付けるのにも、それに優勝したことをもって「日本すごい!」と誘導しようとしているメディアが多いことにも違和感がある。
もちろん、今回の決勝は稀に見る名勝負だったそうだし、野球好きな人たちが非常に良質な試合を楽しむことは当然のこと。
しかし野球ってまともに力いれているのも競技人口がそれなりにいるのもおそらく日本とアメリカだけで、すでにオリンピック種目ですらない。スポーツとして人気がないからアメリカ含めほとんどの国では話題にすらならず、アメリカでも観客数は年々減る一方なのではと思う。
インタビューを聴いている限りでは、大谷選手も「日本が優勝した」ことを重要視するより「より多くの国でもっと多くの人に野球が好きになってほしい」というメッセージを送っていると感じるんだよね。
まだ数冊しか経験していなくリストばかり伸びているのが現状だけど、Audible について今思うところをメモ。
メリット:
- テレビや読書と違い、他のこと(家事やウォーキングなど)をしながら聴ける。常に時間不足の現代人には非常に有難い。
- ダウンロードしておけるのでオフラインでも聴ける(森の中を歩く時、一部のエリアがネット外になるが問題なし)
- 定期購読していると、キンドル本などを個別で買うよりはるかに安い
デメリット:
- ナレーターの声に違和感があることがある。例えば女性が男性の声音をまねたりその逆が起こる際、ナレータのせいではないのだが、少々興がそがれる。
- 明らかにストーリーの語り手が年配の女性のような場合に、若いアニメ声のような人がナレーターだと違和感が続く
- 同音異義語やなじみのない単語が出てくると、意味が理解できないことがある
こう考えると、読書がどれだけ万能だったのかが逆説的に理解できる。音読できない単語でも漢字を見れば何のことか理解できるし(表語文字最高)、登場人物たちの声がどんなものなのか、勝手に想像して違和感なく進んでいかれる。必要時にはさっとページを戻って再度読むのも簡単、そしてスピードも自由自在。
読書の楽しみを再確認させてもらえたのは本当にありがたい。
Audible で「同志少女よ、敵を撃て」を読了。さすが本屋大賞を受賞しただけあり、リーダビリティは抜群で、グイグイ先に進まされた。
本の紹介文に「おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?」と書かれているのだが、この答えについて読んだ人と語り合いたい気持ちになった。私には短絡的な「アレ」が真の敵としか思えないのだが、他の人はどう理解したのだろう。
ただ、主人公は4年も戦場にいて生死が紙一重の戦火を潜り抜けたにしてはナイーブ(世間知らず)すぎる気がしたし、今から80年も前の第二次世界大戦時に本当にこんなことを考えたのだろうか?とその思考性が時代錯誤なのではないかと少々戸惑った。これは単に私側の知識不足のせいかもしれないが...。
次は「戦争は女の顔をしていない」を聴き、もう少し知見を得る予定。
「ザリガニの鳴くところ」を Audible で聴き終えた。素晴らしい名作で語りも美しく、途中何度も涙させられた。
主人公を取り囲む過酷な状況や環境も、コーンミール一袋が12セントで買えた1950年代であれば、十分なリアリティがあるのだろうと想像する。裁判に引き出された彼女の弁護士の、最終弁論の尊さたるや。
そして何もかも終わり、湿地の少女が本当には何者だったかがわかる「その後」のストーリーも涙なしには聴けなかった。なぜ彼女がそうなるしかなかったのか、他の方法はなかったのか。
なかったのだと思う。
彼女の心細さや苦しみ、人間として、女性としての辛さや葛藤は、おそらく主人公と同じ時代を生きた70代の著者だからこその深みをもって語られ、心を揺さぶる。久しぶりに読書だけがもたらす大きな喜びを感じられる時間だった。
Living in the Evergreen State for over 20 years. 在米20年以上になりました。
子育てもほぼ終了。大学生と高校生の娘がいます。仕事は密かにそろそろと、 Quiet Quitting に移行中です。
好きなこと:キャンプ、読書、森の散歩
好きなもの:古き良き少女漫画、佐藤亜紀さんの著作、オールドパイレックス