「ビートたけしが「質問=回答」というTV的同一性の場に意識的なのは一目瞭然だ。彼の発する信号は別の意味へと反転し得る同時的両義性を具えていて、それが「点滅」に代表される、非常にTV信号的な彼の運動を高度に実現しているのだ。彼もまた「同一性」の場にいるのだが、そのさい彼が等号で結ぶのは、彼自身の「羽目外し」と「照れ」といった程度のものであり、結んではいけないものを等号で結んでしまって、悪無限の「同一性」に加担する「ストーリー」をTVが捏造する手助けを、彼は自ら行おうとは決してしない。注意深く見ればそこに彼の倫理性を看取し得る。しかしそうした彼の倫理をもってしても、TVという強力な同一性の場はいっさい揺るがないだろう。彼自身が同一性の中のあえかな差異として魅惑的にゆらぐことはあっても」
阿部嘉昭『北野武vsビートたけし』(1994)
聴き方とセットで提供すればIDMもポップスになる!!!!というポップス精神
https://twitter.com/2r96/status/1584256344361533440?t=Lrz2dHMza6sJqi_1nX8rjg&s=19
それを発し手側が自覚を持って、堂々と放つためにそれが一周回って、意図的に面白くなっている(観客に"この状況"そのものをツッコまさせている)という形状なのだと思います。
それは、かなり絶妙な匙加減が求められる
ふかわりょうという芸人は、
その中でもかなり「シュール」という概念のど真ん中の針の穴に糸を通し続けていると感じます。
この使い分けをもっと濃度を高めると、
ラッセンの永野みたいな
「シュール」を大声で叫ぶ事で「すべり笑い」に無理矢理到達されるという両儀性が強まる形になるし、
分配そのもののバランスを極めようとすると、
バカリズムのトツギーノみたいな
「すべり笑い」と思わせない程に「シュール」を分厚く施す作業で固めて価値を高騰させる手法になってゆく、
それらと比較してみると
ふかわさんの小心者克服講座は、そのどちらの要素にもバランスが取れたまま堂々と放たれていると感じます。
一言ネタの精度に笑ってるような気もするし、
それをあの音楽と表情と佇まいで唱えている空間に笑っているような気もするし、
シュルレアリスムが超現実主義という意味である事を体現してるような面白さだと思う。
コンビ芸以上の人数だと「ボケ」に対して「ツッコミ」という補足説明が可能なため、観客はそれを俯瞰で見つめやすくなり面白さを理解しやすくなります。
(仮にツッコミという行為がなくとも「集団でボケる」事の異様性でもって客観的視座を持ちやすくなっている)
ただ、ピン芸人はそれを一人で行うために「ツッコミ」の代替者を必要として常に模索しているのです。
往々にして、それは「リアクション芸人」的な、"振り回される側"つまり、観客の加虐心に乗っ取った集団心理的なボケへの、ツッコミという役回りになるケースが多々見受けられると感じています。いわば技術としての「すべり芸」を身に付けているタイプ。出川哲朗や狩野英孝、山崎邦正、江頭2:50とか。
それに対して「シュール」という笑いは
言ってしまえば「リアクション芸」的なものの延長線上にある「すべり笑い」という地点にまで届いた上で、その"すべり方"にクリエイティブ的なセンスが発生している、という状態なのだと思います。
雑に言えば、
「シュールな笑い」は
「面白いすべり方」をしている笑い。
話をふかわりょうに戻すと、
彼は
「シュール」が通じる層と
「すべり笑い」が通じる層とで
自身のキャラクターや立ち位置を微妙にズラしながら提示して芸能界でのポジションを成り立たせてる。
発言内容とかはそこまで変容させてないのだけど、それがどう受け取られるかは場所によって把握していて、自虐として提示する事もあれば、相手をイジるスタンスで笑いを取る現場もある。有吉弘行のサンドリと五時に夢中でのスタンスはまるで違うし、内P周辺の先輩と絡む時とロケットマンショーでの政治的発言は雰囲気ごと変えている。ただ、面白さや着眼点とかにまではメスを入れてるわけではないと感じます。
「シュール」を雰囲気として享受するか
「すべり芸」を状況として認識するのか
そのどちらも概念として同一性を孕んだままひとつにまとまっていて、どちらにも捉える事が出来てしまいます。
これはピン芸人というジャンルの特異性でもあると思う。
「シュールな笑い」は「すべり芸」の発展系
である事は、ふかわりょうの活動領域横断を見てると、よくわかる。
しずちゃんの面白さの骨組みは、
実は古き良きバラエティ番組で目にした
「不思議ちゃん」キャラ造形をしてると思う。
本人の素の発言(狙っている事、スカしている事も含めて)
を、周囲が拡大解釈したり、メタファー的に捉えたり、その世界観にある程度乗っかる裏笑いにしたり、うっすらとした協力体制になることでグルーヴを生んでいる構築物。
アイドル的な虚像精神
たしか、南海キャンディーズが出だした頃の時代は、小倉優子やさとう珠緒とかの
「不思議ちゃんを演じている事を本人も含めて全員が把握している上での不思議ちゃん」というキャラが市場に出回っていたと思うので、女性タレントの素の発言は、もう何周もして裏返ってた状況だったと思います。
(そののちにヘキサゴンとかから「おバカキャラ」「ぶっちゃけキャラ」などの不思議ちゃんの向こう側的なかき乱しアイドルの流動が引き起こる。で、鳥居みゆきとか壇蜜を経由して、今はあのちゃん的な「不思議ちゃんを演じるリアリスト」というキャラにまで主流が到達してると思う。)
しずちゃんは、その飽和したアイドルのキャラインフレの連鎖で御鉢が女芸人にも回ってきたという、その文脈の最後の不思議ちゃんだと思う。
これは、しずちゃんに対する批判ではもちろん無いのですが、彼女がお笑い芸人として成立している事の異様性そものものを我々はかなり最初から前提を飛ばして認識していると感じます。
なぜなら、その面白さは山ちゃんの自虐や侮蔑を駆使したツッコミによって際立つしずちゃんの朴訥さを笑う事で成り立ってる代物なので、見ている側はそのキャラクターの味わいを抽出されて享受しているために引き起こる現象なのだと思うからです。
つまり
山ちゃんの過剰なへりくだりを土台に、
しずちゃんの素人のような雰囲気は許されてる。
しずちゃんの素人感は、あの声質とテンポと見た目で相乗効果が増して愛玩性すら発生していますが、でも仮にピン芸人として一人で舞台に登場したとしたら、笑っていいかの戸惑い、もしくはインパクトこそあれ興味が持続するのか、という疑問は浮かびます。
朴訥さをキャラにしてゆく手法は
つぶやきシローやU字工事のような訛りの強調、
フット岩尾やダイアンユースケのようなコメント大喜利の向上、
などが多いと思うのですが、それらと比較した時しずちゃんの面白さは上記の要素を持ち合わせてる上で、だけども「デフォルメをしない」事の方に重きが置かれていると感じる。
しずちゃんはしずちゃんを演じてる成分が薄いし、それを本人がわかってる。
「南海キャンディーズのしずちゃんの人気に嫉妬して山ちゃんが相方としての仕事を放棄し本番中無視してた」
というエピソードが今は、「山ちゃんヒドイ…」「仲悪かったんだなぁ…」「今は改心して良かった…」的な解釈の元、バラエティ番組での感動トークに着地していくわけですが、
これって当時の段階でそんなスタンスなんだろうなぁ…ってなんとなく伺い知れてたし、むしろ視聴者はその"性悪山ちゃん"と、"不気味なしずちゃん"の組み合わせを楽しんでいたと思う。
しずちゃんがそういう扱い(山ちゃん以外も含めて)を受ける事が面白さの中に含まれてたと思う。
なんなら、しずちゃんは山ちゃんと組んでなかったら、女子プロレスとか参加させられたりとか、もっと過激でぞんざいな扱いを受けるキャラクターになっていたと思う。
安藤なつのマゾヒズム版みたいなモンスター芸人としての立ち位置が強まってたんじゃないかな…
山ちゃんに無視されてるしずちゃん
って面白さは確実に成立し共有されてたという体感的な思い出があります。
厳密に言えば、なんとなくの時系列があって
語感→発想→システム→フォーマット→脚本
みたいな感じでネタの主要部分が変容してる。
で、それによってどんどん大衆化してるようなイメージ。
最初期の語感の面白さ(「屋上」「憎しみの雨」「ラジカセに言葉を吹き込む仕事」とか)から、
そこに大喜利の回答を球種としてバリエーションを増やしていって(「ラジオ挫折」「トツギーノ」「イニシャル教師」)
それを羅列してゆくためのルール設定自体に革新性を持ち込みながら量産し(「贈るほどでもない言葉」「地理バカ先生」「いろは問題」)
その、土台から構築するタイプだと認識され浸透してきた辺りから根本的な骨組みそのものに妙味を入れだす事が目的化しだし(「架空OL日記」「トップアイドルと交際する事への考察」「女子と女子」)
さらに、それも把握されだした辺りで物語の構成的な要素を吸収していって、設定のシュールさを前提共有しながらブランディング(「来世不動産」「素敵な選TAXI」「バカリズムライブのプロローグ」)
というような大まかな変遷があると感じます。もちろん、これら全ての要素は始めから持ち合わせていたと思いますが、主力商品がその時々で実は変わっているのだと思う。
バカリズムは発想の人というより、
トレースの人だと思う。
モノマネ芸、言い方芸が基本で、それをネタの範囲で強調部分を触媒させてる。
「発想」での集大成は、トツギーノで到達してると思う。
男性ブランコの音符運びから見る演技と物質と空間の関係 https://togetter.com/li/2147159
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