視力 さんがブースト

ほとんどの記事に目次を付けたので少し読みやすくなっていると思います ぜひ
note.com/shi_ryoku/m/m8c8de8cb

みうらじゅんの「ゆるキャラ」とか「冷マ」とか、
タモリ倶楽部でうまい棒で30分やって「これは教養的だ」と言ってみるムーブとか

そういうものが、ナンシー関という山の1番ふもとの第一歩目には立ち込められてて、それを本人も身近な周囲も踏まえて山頂まで登っていった歩みなんだろうな…と感じました(本人もコラムで「これは芸である」と言ってるのはそういう事なんだろうし、そう考えて改めて読んでみると文体口調も批評家に寄せているのがわかります)

今だと
オモコロライターで元々はTwitterのおもしろい人として有名になっていたダ•ヴィンチ•恐山さんに小説の執筆をやらせてみるとか、

元々は「AVを面白く見よう」みたいなブログ記事を書いてた雨穴さんにホラー小説を書かせて「変な家」を映画としてヒットさせてしまうとか、

サブカル的な文脈の「あえて」が、かなり成功して職業批評家に擬態できてしまったパターンの一例がナンシー関なんだと思いました

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なんというか、もはや現代の視点から見るナンシー関さんは伝説化してて神格化しててその初期段階の雰囲気ってこのドラマを見てるだけではキチンとは捉えにくいし、

ものすごく審美眼を持った批評家、物書きとしてテレビ業界や出版業界などの空気には完全に染まらず立ち位置としてそれらからは独立した存在になってるんだけど、

実際に語ってるいとうせいこうやリリーフランキーの他の媒体での活動や、本人たちが触媒してゆくための術を語っている話などある程度見聞きすると、ナンシー関って

すごく、あの時代の
「サブカル」から出てきた人なんだなぁ…

と感じられます

ちょっと根本的にだし、冷めるような事を言うと、

「“これ”を、『面白い(すごい)』と言ってみる」

という面白さというか…

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テレビコラムニストという肩書きでここまでの隆盛を誇ったのはテレビ自体の黄金期プラス、バブル期前後の出版業界が経済的に余裕があったからこその偉業だと思います

今彼女のようなカリスマ性を執筆のみで成立させるのは、やはりネット社会での読者のダイレクトな反応と、王手メディアのスポンサーへの配慮などを含んだ広告ブランディング等の要素を包括しないと難しいので、実際生きていたらどうだったんだろうなとは思います 
そら自体よく語られる事ですが

あと、やっている事は純粋批評的な事ではあるのだけど、それが業界内から支持されてひとつの視座としてその時代の漠然とした価値基準と融合してゆく(ここら辺は昨今の「冷笑」という言葉の語られ方とかと混ぜれそうな話題ですが、というか実際混ぜられて語られがちですが、それは今は置いておいて…)そういう流れがあったと思っているのだけど、

自分が今回見て思ったのは、
このドラマの雰囲気こそがナンシー関が批評していた面白いポイントだったのだろうし、あと
そこに出てくる実際当時を知る人(いとうせいこう、リリーフランキー、デーブスペクター)のインタビューで喋ってる姿が、年月を重ねてるからというのもありますが、「なんか、こんな感じで神輿を担いだんだなぁ…」といった舌触りがあって、それが新鮮でした

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NHK BSプレミアム「ナンシー関のいた17年」
放送当時、話題になっててちょっとだけ見た気がするのですが、改めてフルで見ました

www2.nhk.or.jp/archives/movies

三中さんはクロちゃんほどじゃないですが、


「自分を含めた全体の絵面をコントロールするために過剰に定型のリアクションをしてゆくこと」


(演じ込みとは違う表層的な振る舞い、上記の動画でもクロちゃんがゆきぽよの服を別に欲しがってない事は皆わかってる上でそのムーヴを披露してる)


によって存在感を示していたし需要の供給をしていたのではないでしょうか
それってやはり全体の絵や別の対象者の方の引き立てに意識があって、自意識としての主人公性が薄いように感じます


(岡村さんはもっと自分に注目させてるような感覚がある)


究極的に言えば、テレビや芸能の中における「素人性」というものは、そういった どう見られているかの"自意識"のことなのかもしれません

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これって、何かに似てるなと思ってたのですが、今書いてて気付いてのは

ドッキリをかけられた時のクロちゃんの振る舞いに近いんじゃないかなと感じました

クロちゃんも「タレントクロちゃん」から出てこない、アイドルを目指してたプロフィール設定を崩さないし、声の高さもある程度維持しています

リアクション芸として素の誇張であり、未完成の演技をし続けているのですが、それはやはり岡村さんと違って「過剰にその規範から出ない事で、むしろクロちゃんが想定している画面の中の他の登場人物の動きすらも操作出来てしまえている(ツッコまさせている)」感が発生してると思います

端的に言えばサディスティックな性質であって、受け身だけど"待ち"じゃないと言いますか

もっと単純に言うと"天然"度合いが薄いと思います

youtube.com/watch?si=kTQKSI0a9

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改めて三中さんが初めて出演した当時の番組を見てみると、たしかに緊張している素人として番組側からイジられているではあるのですが、どこか「やってる感」も覚えます笑 (今の三中さんと比較しちゃうからそう見えるのは必然ではあるのですが)


で、その感じがやっぱり岡村さんのような体当たり的な素の誇張というよりは、


「緊張している感じがウケている」と皮膚感覚で分かってるところがあるし、先んじてその立ち振る舞いを設定していってるところがあると思います

(何かコメントやミニコント的なくだりを事前に準備してるとか、完全に緊張してる人を演じきってやろうという気概とかじゃなくて、「緊張している自分」「誠意のある素人」という見え方と「それにリアクションをするメンバー」という絵面を作る事に出力してるような感じ)

youtube.com/watch?si=0dGskhpJu

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あと、

今回の三中さんが映画を作ったという話を聞いて、前々からうっすら思ってたのですが、
もしかすると三中さんはナイナイで言えば岡村さんより、むしろ矢部さんのような「絵面を作るために 自分もそこに出ながらも引き立てる役割をする」というタイプの人なんじゃないかなぁ…と感じました

見た目のキャラ的にも、憧れを公言してるのも岡村さんなので、混同されがちな気がしますが、

「ヒーローに憧れて、ヒーローの映画を撮る」という行為は
そこに登場したいという主人公願望というより世界観のイメージ共有の方に意識があるように思います

「岡村さんが欠けためちゃイケオーディションに、岡村さんのジャージの格好で来る」という行為も、自己PRというより「岡村隆史像の強化(こんな熱心なファンがいるんだという補強)」になってる部分があると思います

その思考回路って、役者ではなく監督的な塩梅がある気がして、それって岡村さんというより、矢部さんや欽ちゃん側のアプローチだよなぁと思いました

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ameblo.jp/ameblojpvbctv3do/ent

この、おそらく当時からのコント55号ファン(?)であろう方のブログのこの文章の雰囲気が、

めちゃイケやナイナイに注ぐある種の「青春的カタルシス(素の誇張演技、未完成な状態の芸の提示による親近感の誘発)」が含まれてるんじゃないかと思って似てる舌触りがしました

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なので
欽ちゃんが二郎さんから分離し独り立ちしてゆくに当たって素人いじり番組を主戦場にしていった原理と同じように、

矢部さんが外側から岡村さんにフワッとしたツッコミを入れ続けることで追い込んでゆくフォーメーションのナイナイを中心として輪が広がっていっためちゃイケという番組の

長期的な維持と終盤の岡村さんが欠けた時の打開策要員として、三ちゃんという"素人"が選ばれたことはとてもよく似ていると思います

番組側がその素人性を無理やり維持しようとするがために力関係のバランスが偏っていったのは想像がついてしまうなとも感じました

ニューヨークチャンネルの動画のコメント欄で

「岡村さんが思っていたより早めに復帰しちゃったから、オーディションメンバー自体の存在意義が不明瞭になり、その中でも素人という特殊な立ち位置の三ちゃんが特に宙ぶらりんになってしまった」

こんな感じの事が書かれていましたが

この状態はまさしく視聴者目線でも潜在的に共有されてた感覚なのだと思います

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コント55号やナイナイの類似点は、
それを「映像媒体(テレビ)」に深く結び付けてタレント像を形成してゆくという芸に施したとこだと思っていまして、そこにのみ強く出力していった事で築き上げたスター性ブランド性なのだと感じています

二郎さんや岡村さんの素(っぽい未完成の演技)を面白がらせる演出構造に欽ちゃんや矢部さんは専用芸人と化していった事で視聴者に親近感を抱かせ興味を持続させ注目度を上げてゆくエンタメになっているのではないでしょうか

(重ねて言いますが、バナナマンや極楽とんぼはそれをコントorフリートーク(ネタ)に落とし込んである程度どこでも応用できるようにしているため、ナイナイやコント55号のようなドキュメンタリー性とは違う面白さになってると思います)

これは
ピン芸だと山田邦子やフワちゃん、
もう少しプロデューサー的な立ち位置になると島田紳助やYouTuberのヒカルとかになってゆくタイプだと思います

本人の面白さ(キャラクター)ももちろん保持していますが、何に注目させるかが別の対象物や事件性などがあってそこにどう絡んでゆくか、切り取って料理してゆくかがメインコンテンツと化している状態

そしてその手法の1番原始的な形は「客いじり(素人いじり)」になるのだと思います

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個人的にナイナイのフォーメーションと作っている笑いの種類として近いニュアンスのコンビってコント55号だと思っています

youtube.com/playlist?list=PL6C

安直な結びつけの視座だと感じながら話してみようと思うのですが、

欽ちゃんが二郎さんにやってた「ネタ以外の部分の追い込み芸(というネタ)」の原理を心理的なポジショニングとして設定したのがナイナイなんじゃないかなと思っています

(それをまんまキャラクタープロフィール的になぞってコント師としてのみ追求していったのがバナナマンや、フリートーク的な話芸に特化させていったのが極楽とんぼ)

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こちら面白かったです
めちゃイケという番組の面白さと危うさ

かつて上岡龍太郎が言った「テレビで面白いのは、素人が芸をやるか、玄人が私生活を見せるか、2つに1つだ」という話を思い出しました

三ちゃんは素人なのでしょうか?玄人なのでしょうか?

youtube.com/watch?si=giVEQ4bmO

youtube.com/watch?si=egCGiBo4a

そういう点からも考えると、8月22日の彼女が男女コンビである、という部分も面白いです

やってる笑いの種類的には、ぐんぴぃさんのDT自虐的な文脈のさらに先鋭化させたものとも言えるわけですが、それが例えば南海キャンディーズの山里さんのような非モテ自虐ツッコミみたいな方向に行くのではなく、かといってダウ90000のようなメタファーに留めながら集団演劇化するわけでもなく、

そのニュアンスをど真ん中から描くためにむしろ男女コンビである必要があるといった感じ(そういうタイプのネタだけをやるコンビじゃもちろんないですが)

千代園さんがそのニュアンスを汲み取れるタイプだと言うのも大きいと思います

みなみかわさんは解説の中でエロ系下ネタ芸人界に最近はDT芸人が増えてきてると言っていましたが、そのニュアンスは鶴光さんやケーシー高嶺さんの進化の進化の進化を重ねた地点の先に8月22日の彼女というラーメンズの系譜みたいなコント師が立っている、という状態にも捉えられるのが面白いです

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nhk.jp/p/ts/47NWJQ9RP7/

NHKの性教育番組にぐんぴぃさんが出れる事から考えられる事は、バブル期以降の平成中期から令和までの下ネタ芸の在り方は、「(2次元的な)性産業の細分化」×「性教育」というような塩梅で、個々としてはニッチなフェティッシュが促進しているが、大衆領域では例えば性風俗店やナンパ術のような男性中心のエロ(もっと言えば家父長制度とも結び付いている気がします)ではない方向に向かっていってると思います 

すごく単純に雑に言ってしまえばこの番組のメインMCにサーヤさんが選ばれている事から分かるように女性を中心に置く事で提示している方向性があるという事です(これらを男性的、女性的、と分ける価値観の時点でちょっと違うのかも…とも個人的には思っています)

そして、これは考えすぎ的な視点でも捉えてみると、テラスハウスであった木村花さんのような件からも分かるように、ステータス的な側面で異性を選んでゆくゲームの状態化(とそれをショーにした時に噴出する義憤的な感情含めて)マッチングアプリ的な恋愛観の裏街道的な波及、BL的なもののビッグコンテンツっぷり、などを見ると今までの反動でコチラの側の方も時代性と共に膨らんでいってるようにも感じています

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また、もう少し過去の視点も取り入れてみると、ここ最近みなみかわさんのチャンネルで下ネタ系芸人の振り返りというトーク企画があって、なかなか面白かったです
みなみかわさん自体の批評芸的な側面が感じられたのも良かったです

youtube.com/watch?si=NgRdAAiKE

それを踏まえた上で、ただやっぱりこれってバブル期前後の昭和〜平成にかけてのテレビを中心に組み立てられたエロ芸人史という感じで、かなり男性向けエロという文脈を汲んでて無意識に分離的なスポットを作り出してる側面はある気はしますね(それが上記したような世代的なものなのだと感じています)

紺野ぶるまさんやハナイチゴの関谷さん、中村愛さんなどのメンツは出てきましたが、それは二次元的な性産業や女性向け的なものとは微妙に違うニュアンスで

サーヤさんのやってる下ネタの提示とか、ぐんぴぃさんに対比する形での土岡さんの触れ方とか、みなみかわさんがそこら辺の微妙な塩梅までは感知していないという事実によって、エアポケット的に分離してるゾーンが今まさに育まれていってる感を逆説的に感じました

なのでFANさんのやってる上記のコントとかって密室的に爆笑を生んでる状態になってるのかなと

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上の世代はネタとして扱う事自体のアナーキーさで笑いを取ってる感じが強いですが、下の世代はその性癖にはどういう精神性が伴うのかまでを観客含めて把握しててそれをイジって笑いにしてるようなイメージ)

FANさんはそういった2次元的エロも含めた性的なものに対する心理構造を俯瞰的に見たり発露のメタファーで大喜利してたり、エロスとインテリジェンスをものすごく上手く絡めていると思います

中でも上記の動画「ショタを語る」で話してた、性の揺らぎの考察は分かりやすくて面白かったです
FANさんは同性愛者じゃないし漫画コンテンツとしてショタを愛好しているという部分も含めて、こういうかなり入り組んだ性癖の解説役として適役だと感じました

youtube.com/watch?si=yn3y9F8UO

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世代的に見渡してみても、
ラランド、youtube.com/watch?si=9R3xM_2Am
空気階段、youtu.be/V-8-BVY-2ns?si=7VkOPU
ザ・マミィ、youtu.be/t7pVCCy--E0?si=0_CKJf
とかの2次元エロみたいな領域を文化的に通過してないようなコンビでも割と下ネタとしてはやや入り組んだネタを自身のYouTubeチャンネルでは披露していたりします

(これが少し上の世代だと、入り組んでたとしてもおぎやはぎがゲイネタをコントにしてたりとか、youtu.be/HUeLDpBUasI?si=TGQ2kt

深夜番組で性風俗や自慰行為について直接的にネタにするケンドーコバヤシぐらいの塩梅になると思います、youtu.be/lRHwPh0vbM8?si=LDypp0

そこに対しての照れなどを含めた心理的前提共有がそもそも違う気がします

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FANさん、東大出身で元公務員→素人大喜利&兼業芸人活動から作家や動画編集の裏方を経てコンビを結成してるという流れなので、知性と地下ライブ界隈の不思議な両立を可能にしてる雰囲気があって面白いです

この年代のネット大喜利界隈を経由してる芸人さんのある領域の中で「性コンテンツ」をテレビでできない笑い的な形で昇華しているタイプが多いと感じています

カラタチや春とヒコーキ、あと微妙に真空ジェシカとかも該当すると思いますが、やはり年代的に2次元エロ産業みたいなジャンルの細分化がネットの登場以降進んだ事と、またそれと並行してアイドル産業が推し活的な土壌を耕して芸人さん側も推される立場として、上記したラーメンズのような世代の露悪お笑いの在り方(思想を伴う過激な発言や露骨な暴力表現)を避けていった結果、入り組んだエロスによる笑いの表現に辿り着いているようなところがあると感じています

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