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視力 さんがブースト

コチラ本日から!

「トーナメントアート1stアニバーサリー展inスプレッドシート」
私視力のトーナメントアート作品もいくつか展示されますので、ぜひご覧下さい

展示会場
docs.google.com/spreadsheets/d

ですが、
現状はそのちいかわ的なコンテンツの持つアングラ性ではなく、むしろそれと清濁されてるポップ性の方が目立ってて、ヴィレバン的な磁場と化学反応を起こす事なく、ややハック気味に喰われてしまってる状態なのだと思います
ちいかわがヴィレバンに置かれてるというより、
ヴィレバンがちいかわのセレクトショップ化してる雰囲気がある

その上で、ネットカルチャーは基本的にそれを踏まえた上で包括的にどちらでも成立するような二極化を同時並行で進めてゆくようなバランスを携えたヒット作がほとんどだと思うので、ざっくりと端的に言うとちいかわ的なネット発のコンテンツは、かつてのラーメンズのように「ヴィレバンというハブを経由しなくてもアングラファン層にもポップファン層にも各受け手に届く」ようになってるのだと感じています
(というかもっと単純に、その隅々にまでSNSのプラットフォームが敷かれただけとも言えます)

ヴィレバンに対するネット上での一連のネガティブな話題はそういった、「ツールとしてのサブカルという機能が解けた事によって引き起こった現象」だとも思います

しかし、
個人的にはそういうカルチャーが好きなので、ヴィレバンという伝統芸能と化してほしいなとも思ったりします

bunkaonline.jp/archives/5696

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思うに、
かつての70年代〜90年代のテレビ黄金期に耕され発酵し純正栽培されてたサブカルチャー的なものの最後の収穫物に、上記したラーメンズや鳥肌実などの露悪文化なども注入されてたであろう曖昧な半ネットサブカルみたいな感触のゾーンがあって、

それはかつてのヴィレバン的な領域の中心点でもあって、
これが2000年代のインターネットカルチャーの下地に敷かれて今現在のSNS文化に繋がっているのだと感じています

例えば
ちいかわとかって
本来ならその内容やストーリーのメタファー的な複雑さやコンセプチュアルな社会批評的な視点などを加味すると、
むしろかつての露悪カルチャー的な要素も孕まれてると言いますか、それを子供にも見せれるように昇華した作品性があって、それってバカボンとかみなしごハッチとかの70年代辺りのテレビアニメーション的な大衆に紛れ込まさせてるアングラ(をトレースした作品)みたいなバランスでかつての「ヴィレバン性」にフィットしてるようなコンテンツだと思います
(それは、おぱんちゅうさぎや地元最高!とかも)

x.com/chikapon291/status/17739

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さらに
個人的な思い出で言及すると、ヴィレバンと言えばラーメンズだと感じてて
彼らの売れ方がそのヴィレバン的な領域とプラス2000年代インターネット掲示板&フラッシュ動画文化が当時の深夜ネタ番組の領域と肉薄していたからこそ取れた局所的天下だったと思っています

ラーメンズがかつて居た地点がヴィレッジヴァンガードのある種の黄金期で、その活動が公共化していった(小林賢太郎さんが劇作家化し、片桐さんは俳優やNHK子供番組とかのレギュラーになってライヴシーンのカリスマとは異なっていった)時系列とヴィレバンのモール出店による大衆化が重なっているように思えます

x.com/sirunashit/status/333147

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それが出版やテレビ業界の経済的縮小や小劇場や短観上映の映画館などの現場エンタメ的なものがネットの台頭によって煽りを受けて(コンカフェ化していってる?)そのハブ的機能を有してたヴィレバン的な存在が地方ショッピングモール展開を経て大衆化した事とタイミング的にも相まって、"今のサブカル(かつてのアングラ性、マニア性が目減りしてるように感じる)"的なニュアンスに落ち着いていったように感じています

x.com/mogilongsleeper/status/1

x.com/mogilongsleeper/status/1

x.com/oganomushi/status/178889

ある種、
70年代〜90年代サブカルのその果ての現在地として

ヴィレバンの今の雰囲気とかつてのサブカルに込められてたスノッブさやカウンター的なものは、そのジャンルの立ち位置で論じようとしたところで、
陰キャ陽キャで分ける必要が本来的にはないとされる程、嗜好属性は複雑化内面化しているし、この二項対立が本質的にも実用的にもそこまで意味を成さないとは感じますし、むしろ

オタク⇌ヤンキーの方程式も、もはやそのニュアンスが逆転しているまであると思うし、そういう意味ではあらゆるカルチャーの内壁はその選民思想含めて一旦解けて無くなってるとも言えるのではないでしょうか

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ちょっと前の話題ですが、
ヴィレッジヴァンガードの経営不審について書かれた記事によってSNS上でそれぞれのヴィレバン論が展開されていました

toyokeizai.net/articles/-/8226

この話って
ちょうど90年代サブカルと2000年代初頭のインターネットの狭間で隆盛を誇った「ヴィレバン的なカルチャー」という特殊領域への言及だと個人的に感じてて、

コチラ本日から!

「トーナメントアート1stアニバーサリー展inスプレッドシート」
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docs.google.com/spreadsheets/d

めちゃくちゃ長くなっちゃいましたが、
以上が「インターネットと誹謗中傷」の問題として、僕個人が関心のある「お笑い(エンタメ)との境目」がどこなのかという内容に該当すると思い勝手ながら自己解釈でまとめました

批評と誹謗中傷の違い、
過激な物言いをビジネスにする事、
講義の仕方として周囲を巻き込んでいいのか、
SNSの構造と心の問題

などなど、これらの話の事例としてとても参考になる件だと思います

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youtube.com/watch?si=C-Bw6xoEW

あと、プラス要素として前述したベテランちさんがこの件について今なのずっと俯瞰的な距離感で全員をいじってて(しかもわかりやすい誹謗中傷的な毒舌芸じゃなく、逆に「こうちゃんは面白いやろ」「堀本さんに間に入ってエンタメにしてくれと言われたけど、"まだ早い"のでお断りします」などの丁寧なフリをしながらめちゃくちゃ小馬鹿にしてるというコントをやってる)

その中で落合さんにも言ってた「インターネットで顔出ししてる時点である程度はいじられるから仕方ないやろ」「というか、こうちゃんや落合陽一は高学歴で社会的地位も高いから、いじられてない(から裏街道的にいじられてる)」「もっといじられろ(じゃないと潜在的ヘイトが溜まる)」的な事を言ってて、

これはこれで真理だよなとも思いました
一般論としてのネットと誹謗中傷の問題というよりも、「出る側」「インテリ」「社会的強者」的な視点ではありますが、ただこのネット社会で誰しもがスマホで発信できる状況は一般大衆もこういう感覚はもはや内面化してるとも感じます

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note.com/kenhori2/n/n314a26de7

結果どうなったかと言うと、
堀元さんがnoteで落合さんに謝罪して(ただ、不快にさせてしまった事を謝ってて、件のブログなどはあくまでコンテンツ批評であると主張、そしてこれ以上周囲の人を巻き込むなら法廷で会いましょうと言ってる)それに対してアッサリと落合さんが許す(というか、やはり上記のようなネットと誹謗中傷の構造に関しての問題意識として絶妙なサンプルなので実験的言及をしたのと、単純に落合さんはこういった風に感情が激しくなったりする時期が何回もある人ではあるので、そのタイミングだったのかも)という結末になりました

なので、とりあえずは一件落着(こうちゃんさんの方が片付いてるとは言えないけど)

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と、同時に反対側から考えて思うのは、個人的には落合さんの方も以前から定点的に見てはいて、彼が「誹謗中傷とネット社会」については常に問題意識がある事も知ってはいたので、こういう反応になるよなぁ…とも思います

今回のムーヴは単純に怒っているというわけでも微妙になくて、「どうすれば誹謗中傷的なものが発生しにくい構造を作れるのか」という研究者としての感覚もかなりあった上での実験的言及だとも感じます

落合さんは上記の動画で週刊文春編集者の方と番組で対談し「スキャンダル的なものとジャーナリズム的なもの」「国家などの完全なる権威側から独立したメディア意識」「市民感覚に従順になりすぎると個々人の露悪の助長になってしまう現象」などについて話してて、感心しながらも疑問を呈する議論をしていました

なので、そういったザックリとした「誹謗中傷」的なものをインターネットというツールを使用した時にそれが自然発生しかつ繁殖的に広がって常態化の温床になってしまう事を防ぐための、「構造」を考えててその上での今回のムーヴなのかなと個人的に思ったりしました

(今回それをシチュエーション的に発動させてみるのが正しかったかは分かりません)

youtube.com/watch?si=9j9IAzxlW

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堀元さんのこうちゃんさんへの言及note自体は、そういう空気感を知っていれば「やや強めにいじってる」(上記のキンコン西野さんのビジネス本批評的な文脈)ぐらいの感じだと思うのですが、それがこうちゃんさんのファン層に届き、有料記事がスクショ拡散され、こうちゃんさん本人もそれに言及し、堀元さんを「誹謗中傷ビジネスライター」だと認識してた落合陽一さんにも目にする形になったという流れだと思います

なので、ある程度までは「こうちゃんVS堀元」という図式(ただこうちゃんさんは上記の引用くらいしか反応していない)そこに、ベテランちさんが外側から関わってた感じなのですが、

youtube.com/watch?si=cd4J_JvBj

そこにその空気感をちゃんとは理解してないであろう落合陽一さんが50万人フォロワーとアカデミック領域の識者たちを携えて「インターネットと誹謗中傷」の問題として言及し、なおかつ堀元さんだけじゃなくその周辺のこの件には無関係な人達まで巻き込んで発信したのでかなり賛否が巻き起こったという状態でした(しかも、その上で落合陽一さん独特の言い回しを使うので、より混乱と嘲笑を生んでいました 普段お互い関わらない層がバッティングした事でおこる連鎖相互差別?的な現象)

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堀元さんは大学生時代からブロガー、クラウドファンディング、ネットイベント系の活動をしてて、その流れで村おこしビジネスを立ち上げて失敗しているようです
ただそれを文章で発信したところ、その失敗談がウケてバズって逆に作家としての地位が確立されたという稀有な例で、そしてその時の語り口が今の芸風に繋がっていると思います(元々素養はあったのでしょうが)
ken-horimoto.com/2018062022173

そして
その冷静な分析かつ自虐と毒舌が混ざった語り口で、
落合陽一さんがNewsPicksに出演していた時のコンテンツをブログでいじって、それもまたバズります
ken-horimoto.com/2018122811531

堀元さん自身はコンピュータ科学的ものは学んでて落合さんの専門領域はある程度認識できた上で、でも「何言ってるかわかんねぇw(喋り方が独特すぎて)」といういじり方をしていました

実際にNewsPicks側の目にも届いて抗議されるほどに拡散されたそうです

これら説明で今回の件の前提が整いました
そういう流れがあった上で、今回の元QuizKnockこうちゃんいじりのnoteに落合さんが「これは誹謗中傷だ」と反応したという経緯みたいです

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本題と若干ズレますが、もう少し堀元さん個人について考えてみると、少し前に下記の呟きがバズってて、
..

x.com/bateaza/status/182685837

インターネットサブカルのここ5年くらいの主領域の中に食い込んでる立ち位置なのかなと感じます

僕は速水健朗さんがPodcastでゆる言語学ラジオについてちょっとだけ触れてることがあって、そこから入ったのですが、
こういったちょっと教養的+お笑いっぽいものという商売でそれぞれ隣接しながら漠然とひとまとまりになってる感はあります


QuizKnock(クイズ界隈)
バキ童(大学お笑い)
オモコロ(サブカルライター)
ゆる言語学(知識、評論系)


というような感じで大体分類できて、その上で堀元さん個人は評論系の中でも上記のアベプラのように、とりわけ「ネットビジネス」的な領域から出てきた面白い素人(しかもやや毒舌系)という立ち位置になるのだと思います

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堀元さん自体は僕はゆる言語学ラジオの人と認識してて、
今回のことでちょっと遡ってみたら、
以前Abemaで「自己啓発書を100冊読む企画」で記事を書いてたライターさんか…!と前から見たことあったのを思い出しました

ビジネス本のやつの企画自体は表面的には自己啓発書をリスペクトするていで、実はけっこういじって小馬鹿にするという内容
キングコング西野さんの本や、ひろゆきさんの本とかもそこに含まれてて、個人チャンネルのライブ配信でかなりけちょんけちょんに批評しててコメント欄も盛り上がってて面白かったです

youtube.com/watch?si=dG_Aqv3ps

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コトの発端は元QuizKnockこうちゃんさんの離脱後のYouTubeを堀元さんが「つまんない」的な感じでいじるnoteを上げていたところから始まっています(僕はその記事の有料部分は読んでいません)

note.com/kenhori2/n/nc80fbabe4

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インターネットと誹謗中傷というトピックで興味深い件が最近ありました
かなり文脈性が高くてややこしい話なのですが、筑波大学の落合陽一さんがゆる言語学ラジオの堀元さんにX上で抗議をしていました

togetter.com/li/2425468

松岡正剛さんの今回の賛否反応って、

「鶴瓶の家族に乾杯ってアレ嘘くさいよ」
「A-Studioは感動させようとしてる」

とタモリに言われてる状態と同じようなものにも感じます

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断片的で離れた情報を独自視点で繋げて体系立てて全体像を作る
その上でそこに当事者性の投影は積極的にはせず、あくまで俯瞰的である事そのものに価値を生じさせる

そういう運動ってコミュニケーションや情報のそれ自体だったり、
なんなら僕が今話してる"これ"すらも該当するものだと思います

それを意識的に知覚して取り組む精神は、言語、情報、批評、話術、編集行為に他ならないなぁと思いました

松岡正剛さんがアングラ劇団の批評から当時のカウンターカルチャーを寄せ集めた雑誌の編集長になり、そのままその知名度で「編集工学」なる学問っぽい領域を構築してそのまま本当に知識人文化人言論人然として存在してゆくあり方は、
鶴瓶さんが新人の頃に落語で音響を用いたり時代錯誤な演出をして脱構築的な落語家として目立って関西圏でタレントとして人気を博したのちに、テレビ芸能界内での噺家然とした振る舞いによって批評的に芸談を語りながらも国民的噺家のアイコンと化す
その歩みと重ね合わせれるのかも

そしてその俯瞰的、編集的気質は、
その立ち位置の視点からじゃないと見られない価値観の提示を生じさせると同時に、
だからこそ、批評自体の評価、言語の定義、情報の正確性、などのそのツールそのものへの言及を求められた時に摩擦が起きやすいのかなと思います

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そして、
それが前述した「鶴瓶噺は自己啓発系ビジネストークと実は性質的に似てる」というようなことに重なるような気がしています

松岡正剛さんの賛否をいろいろ見てると、彼もまたそういう言語能力を持った話術師だったんじゃないかなと感じてきました

世代ではない(というか、マキタスポーツさんとの対談動画やかつてタモリさんと対談本を出していると知ったりしたから存在を認識してるだけで、千夜千冊や遊は通っていません)のでその善し悪しも含めて実際どのような影響力を持っていたかは個人的には分かりかねるのですが

ただ、喋ってる声や姿や話の持っていき方とかを芸人的な話術に当てはめようとしてみると、たしかに連想ゲーム的に別ジャンルの知識や固有名詞を多用して、ゆったりしたテンポで自分のフィールドに持ってゆくような引き込み系の話芸っぽいところはあるなぁ…と
それが、プロの落語家でありながら辿々しくとっ散らかし気味に座敷話芸を披露する事でハードルを下げて大衆性を獲得する鶴瓶さんのトークテクニック的なものに近接しているとは思います

と同時にそのタイプの喋り手って声質やテンポ的に応用が効かない人も少なくないと感じてて、中心性が薄い喋りなので批評家に留まる傾向があるのではと思います
それはそのまま「編集」的な気質とも繋がるのかなと

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Fedibird

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