朝からTwitterで、知らない人が虚空に向けた嫌味に臓腑をえぐられていました。RTで回ってきた一連のツイートを、頑張ったんだな、よかったねえ、見習いたいものだ、と読んでいたのに、最後に「おまけ」と断ってつけていたツイートが(おそらくその人の視界にいるであろう誰かに対する)嫌味でした。「おまけ」なんだからほんとうにささいなことなのかも、いや、わざわざ最後につけ足さずにはおれなかった強い感情なのかも。
わたしも同じようなことを別の人からですが言われたことがあるし、出会う人の8割くらいにはこういうこと口に出さなくても思われているな、という体感があるので、改めて文字にされたその嫌味を目にして、喉の詰まるような気持ちになりました。
ツイート主はものを書くひとのようなのですが、少なくともこの人の書くものを今後読みたくない、と心中で反発し、名前を覚えました。ただこの嫌味に同感を覚える人のほうが世の中には多いわけで、わたしが書いたり作ったりしたものより、この人のほうがずっとたくさん読まれ見られるでしょう。フ◯ック
すこし前の話ですが、友人をMisskey.ioに誘ってみました。
昔からのネット友人でしたが、Misskey.ioにアカウントを作ると、ここの文化をすぐに面白がってくれました。ベイクドモチョチョがどうだの、にゃんぷっぷーがかわいいだのということで、ずいぶん盛り上がっていたようです。
ある日、友人とDiscordで通話をしながら、ゲームをしていたときのことです。Misskey.ioの話題になったのですが、その際、「たまにMisskey.ioで見かける、あの風景は何の写真なんだ?」と聞かれました。
Misskey.ioで、見かける写真?
サーバー選択画面に表示されるヘッダー(あれは川崎市だそうです)のことだと思いましたが、友人の話によると、どうも違うようでした。どのような写真なのか尋ねてみると、このように答えるのです。
「おそらくは山の中。曇り空の下に雑木林のようなものがあり、奥には建物らしきものが見える写真」
ずいぶん、困惑してしまいました。そんな写真を見た記憶はないからです。よく、ネットで話題になる、ミームのような風景があります。Windows XPの壁紙の草原だとか、ああいう類のものです。だけれども、少なくともMisskey.ioでそのような風景がバズったような覚えはありません。
友人によれば、その写真はみんながネタのように使うのではなく、ローカルのTLなどを眺めていると、ごくまれに流れてくるものだそうです。しょっちゅう見かけるわけではないのですが、その風景が本当になんでもないもののため、逆に記憶に残っている、と。
その時は、友人に「さあ、自分は見たことがないから」と返すことしかできませんでした。そんな写真など、本当に見たことがなかったのです。
しかし、しばらく経ったのち、友人は「あの写真の風景が、夢にまで出るようになった」とまで言い出しました。
ネットで見かけた写真が夢に出てくるというのは、笑い話の類でしょう。しかし、それが何の変哲もない(友人の説明を聞く限り、自分にはそう思われました)風景の写真ですから、なんだか妙な気持ちになったものです。そんな不可思議なことがあるものだろうか。というよりも、「そんなことがあるはずがないだろう」という、呆れたような感情を抱いていました。
ある日、戯れにローカルのTLを眺めていたときのことです。みなさんもご存知のように、Misskey.ioのローカルは流速がとても速いものですから、ただただ雑多な情報が流れているのを、暇つぶしに、ぼーっと見ていただけに過ぎませんでした。
そこに、妙な写真が現れました。
あっ、と小さな声を出して、自分はそのノートをタップしていました。そこには、どうということもない風景の写真がありました。写真の上半分はどんよりした曇り空で、下半分には草むらのようなものがあり、奥には雑木林があって、その中に、木々の隙間に、かすかに建物が見えるのです。あいにく、その建物の大きさも、形もよくわからないのですが、とにかく何かがあることはわかります。
これは、友人の言っていた、あの写真ではないだろうか。
そう思った一方で、「もしそうだとするのであれば」、妙に納得できない気持ちになりました。とくにおかしいところのない風景です。まあ、人によっては、「暗い雰囲気の写真だ」ぐらいは思うかもしれません。しかし、そうはいっても、けっして不気味ではない。心にひっかかるようなものでもない。
これが、あの風景だとしたら、そこまで記憶に残るものだろうか?
自分はひどく訝しんで、その写真を保存し、友人に送りました。「もしかして、これがあの写真か?」と。
返事は、ありませんでした。
今にして思えば不思議なのですが、この写真を投稿した人が誰なのか、自分はそれをしっかり確認していなかったのです。写真を見つけた、前触れもなく現れた……という衝撃が大きすぎたのでしょうか。ブラウザの履歴を辿っても見つかりませんでした。Misskey.ioの流速の中に埋もれてしまい、今では、投稿主のアイコンさえ思い出せません。
そして数日後、驚くべきことに、あの写真の風景が夢に出てくるようになりました。
どういう夢なのか。あの写真で見た風景の中に、自分がいます。そして、雑木林の中にある建物に、行かなければならない気がするのです。すると、後ろから、「行ってはいけない」「やめておいたほうがいい」などと、たしなめる声が聞こえてくる……というものです。そして、その声が聞こえてしばらくすると、急に目が覚めてしまいました。
それだけの夢だというのに、ずいぶん気味が悪い思いがして、起きてからしばらく冷や汗をかいたのを覚えています。
それから何度か、その夢を見ました。どうして、あんな風景の夢を立て続けに見るのでしょう。怖い、気持ち悪いという感情もありましたが、それ以上に、ただただ不思議でした。
その夢を見るのが、4回目、あるいは5回目頃のことだったでしょうか。
あの風景の中にいる自分は、とりあえず前に進もうとするのですが、またしても、「行ってはいけない」という声が聞こえます。このとき初めて、自分は、そこまでしてこちらを止める声の主はいったい何者なのだろうと思い、振り返りました。
そう、何度も、この夢を見ていたわけですが……初めて、振り返ったのです。自分の後ろを、つまり、あの写真を「撮影した」側の状況を、見たわけです。
ようやく、わかりました。
自分を呼び止めていた声が何だったのかを理解するとともに、あの写真を見せても、友人が返事をよこさなかった理由もわかりました。もう遅かったのかもしれませんが、ともかく、理解はできたのです。
その日以来、あの夢は見なくなりました。友人と、あの写真の話をすることもなくなりました。
もっとも、これですべてが終わったわけでもありません。一つだけ、自分は問題を抱えています。それは、友人に見せるために保存したあの写真が、未だに自分のスマートフォンの中にあることです。そして、あの日、夢の中で後ろに振り返ったときから、ずっと困っています。
この写真を、Misskey.ioに投稿したくてたまらないのです。
どこかの誰かに、あの風景を見せたい。そして、その人の夢の中に、あの風景が現れたら。自分と同じように、“振り返って”ほしいと思うようになってしまったのです。
おそらく、ローカルのTLにこの写真が流れてきたのも、友人が何度かその写真を目にする機会があったのも、投稿した人が自分と同じような気持ちになったからでしょう。あまり良くないことだろうとは思います。ただ、そういった理屈とは別のところで、どういうわけか、写真を人に見せようとしている自分がいます。
それがなんだか、恐ろしくてしょうがありません。
ときどき、Misskey.ioを開き、TLを眺めながら、あの写真だけを投稿したらどうなるだろうと考えることがあります。そうすると、どうしてなのでしょう、笑顔になってしまうのです。なんだか、自分が自分でなくなったようで、しかし、笑みがこぼれる理由はなんとなく理解しているような気もして、腑に落ちるような、落ちないような、妙な気分になるのですが。
楽しみにしている展示
「野又穫 Continuum 想像の語彙」@東京オペラシティ アートギャラリー
2023.07.06 thu - 09.24 sun
https://www.operacity.jp/ag/exh/upcoming_exhibitions/
空想建築・温室のような絵を描く野又穫の展示。東京オペラシティ アートギャラリーは野又穫の作品を40点収蔵しており、最大の収蔵数だそう。
空想で描かれた建築や、実際に設計図まで描かれたのに建てられなかった建築に、もし入ることができたらと想像するのが子どもの頃から好きです。オペラシティはよく行く美術館だけど、いちども観れたことがなかった。画集でしか目にしたことのない作家なので、楽しみにしています。
最近、ちまたではいままでにない著者名が跋扈しているのと、出版社を寡聞ながら知らなかったのと、テキスタイルみたいな装丁画で題名がカモフラージュされているみたいに見えるのとで、著者名・出版社名・題名のどれがどれなのか店頭でしばらくわからなかった。
文字の大きさ自体は題名>著者名>出版社で、一般的なんだけど、題名が模様に近く、それぞれの配置がイレギュラーなのがややこしさにひと役かっている。
ちなみにホラー小説のようです。もしかしたらこの混乱するかんじの装丁がぴったりなストーリーなのかも。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784768317839
親に対するただの愚痴です
医者が楽観的なこと(大丈夫だと思いますよー、くらい)しか言わなくて信用できないので手術したくない!とずーっと言い続けている父親に、怖いのはわかるけど、具体的にできれば数字で可能性をこちらから聞いてみたらいいよ、たぶんあなたは具体的なほうが安心できるタイプでは?とこちらも言い続けているのだけど、ぜんぜんわかってもらえない。
そんなこと聞いたら先生は気を悪くするのではないか? と返してくるばかり。
なぜ心配なことを尋ねただけで医者がへそを曲げると思いこんでいるのか、さっぱりわからない。
直接、楽観視がムカつく、と言ってはいないものの、あやふやに手術したくないと逃げ回っている今のままでは信用してないことが伝わってしまうだろうし、そのほうが気を悪くする可能性があるよねえ、とわたしは思ってしまう。
もしかしたら父親としては、昔の医者のように「やるべきです!まかせてください!」くらいの強い言い方をしてほしいのかも。
それは現代ではなかなか難しい要求だ……
靴下裏返しで歯医者行ってた…
気になる展示 その3
「Tameshigaki(lignes de vies)」@ INS Studio(東京・渋谷)
2023.6.30 fri. - 7.16 sun
http://dailypress.org/wordpress2017/wp-content/uploads/2023/06/tameshigaki_release.pdf
文房具屋のペンの試し書きを収集し、サンプリング、リミックスして絵に仕立てるシャルル・ムンカ(Charles Munka)の個展。同時に代官山のコンランショップでも開催されているそう。同時開催って渋谷のギャラリーとは違う作品が展示されてるってことなんだろか…ちょっとわかりにくい。このギャラリーのサイトも、スマホから見るとなにがなんだかわからない作りで展示情報にたどりつけなかったので、上のURLはプレスリリースのpdfです。
展示される作品は、試し書きが拡大されて大きな一枚絵になっているという感じ。芸術を意識しないものを集めて絵にしていく、という考えかたが好きなので、見てみたいなーと思っています。