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"Roni Size Reprazent - Centre Of The Storm (feat. Zack De La Rocha)" を YouTube で見る youtu.be/Os0MrFna1LM

"Zack de la Rocha & DJ Shadow - March Of Death - Lyrics & 和訳" を YouTube で見る youtu.be/d0jdZy7yLuc

音楽の嗜好は安定しないね。一つ一つの作品と一期一会みたいな関係になってきたなと思ったら、途端にハマってそれしか聴かなくなったり、聴き方も音楽そのものに対する興味と付随する風俗に対する興味が両方あって、分離したりくっついたり、体系的・系譜的に整理してみたくなる一方で、没入するような感覚もまだあるし。常になんか聴いてるけど、リスナーとしてのスタンスはぜんぜん定まらないな。

バーバラ・ハンニガンとルートヴィヒ楽団の『Dance With Me』って去年リリースされたアルバムを今聴いててすごい内容に唸っているんだけど、それぞれのプロフィールについてはWikipediaに譲るとして、まず取り上げられている楽曲のヴァラエティの豊かさ。ショパンとかのモチーフになった民族的舞曲から、19世紀~20世紀のジャズをベースにしたダンス音楽、チャチャやサルサみたいなラテン系、ヴァイルとフェルネのタンゴ、ミュージカルの定番まで、快楽志向でありつつ網羅的で、古典主義的。こういう「企画もの」をクラシック畑の人たちがサッとやっちゃうの、ほんと凄いと思うんだよね。これだからインテリは…という気分になる。

"Prophets of Rage - Pop Goes The Weapon (Official Video)" を YouTube で見る youtu.be/b8AV8_egMiU

『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』の中でジョン・マックスウェル・クッツェーがポール・オースターにリーマンショックの性質をプラトンの『国家』になぞらえて説明しようとするくだりがあって、知性ってこういうものかと感心するしかないんだけど、クッツェーによれば、リーマンショックで何が起こったかというと数字の下落だけだと言うんだ。何も対応するものを持たない、純粋な数字な下落によって明らかに自分の生活が貧しくなっていることの驚きを彼はプラトンの「洞窟の比喩」(ja.m.wikipedia.org/wiki/洞窟の比喩)を使って、説明しようとする。これに対して、オースターはもっとも馴染み深いフィクションとしての金について語り、別のところでそれを第三者のゲラの内容を借りて「金融資本主義」として定義しようとするんだけど、この一連のやりとりに関しては、オースターの咀嚼の上手さより、クッツェーの着眼点の鋭さのほうが印象的。

今、法律について考えている。きっかけは景気対策の一環として配られるという商品券だった。批判があちこちで聞かれるが、実現しそうだ。批判というのは、基本的に「励まし」の側面を持っている。怒ったりするのは、まだ何かを信じているからだ。
たとえば、わたしが映画監督をしているときに、セットの図面を持ってきたアートディレクターを批判し、怒るとする。
「バカ野郎、何を考えてるんだ、やり直せ」
アートディレクターを根本的に信用しているから批判し怒るのである。本当にどうしようもないときは、はいはい、よく頑張ったね、とそのアートディレクターに笑顔で言ったあとで、あいつはクビにしてくれ、とプロデューサーに電話するだろう。
もはや日本政府は批判の対象ではないと思う。たとえば教育や金融問題にしても、相変わらずさまざまな批判や討論がメディアで繰り返されている。そのほとんどに、実は法律が横たわっている。教育改革は教育「法」改革なのだ。そして、法律を変え、新しい法案を官僚に準備させ、新しい法律を作ることができるのは、今のところ、あの、国会議員たちだけなのだ。
(12/1/1998)
村上龍『すべての男は消耗品である。Vol.6』p.31,32より引用

『Closet Romantic』(『トレインスポッティング』のエンドロールで流れる曲)がジョージ・マーティンへのオマージュだったとしたら素敵だと思う。...ボンド映画つながりで。
ブラー | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 ameblo.jp/kaikosumiiyoshi/entr

近くて遠い人、というのがいる。趣味や関心の一部をシェアしてはいても、その人の成り立ちのパーツやそれらの組み合わさった経緯がよくわからない人。わからないからそれなりに気にはなるんだけど他人の域を出ないっていう人の枠。

"Cypress Hill - What's Your Number? (Official Video) ft. Tim Armstrong" を YouTube で見る youtu.be/NFE7gTvalHw

モグワイのステュアートは、デーモン・アルバーンが何か言う度に穴があったら入りたくなるってインタビューで言ってたけど、ジョナサン・グレイザーの撮った『The Universal』のビデオとか観ると、ちょっと気持ちわかるんだよね。シニックを狙って滑ると普通にコケるよりダメージでかいっていう意味で。田中宗一郎はSNOOZERでデーモンを「カジュアルな着こなしが下手くそ」と評していた。象徴的な意味でそう言ったんだろうけど、着こなしに限らずデーモンって人はわりと不器用な印象がある。一方でブライアン・イーノがイギリス人はアバとか本当は好きなくせに人前ではバカにするって言ってて、それに通じる話のような気もするんだよね。地域差も、文化圏の違いもあるにせよ、モグワイのほうにある種の気取りがあるんじゃないかっていう。ロンドンからグラスゴーへは「ヴァージントレイン」で約630km、およそ5時間かかるらしい。

映画でも小説でも物語なんぞのためになんで人が痛い思いしななくちゃならないんだと思うことはある。人類が悲劇を好む性質はどこから来ているかとか、人が死ぬことなしにオチのある話を作ることは可能だろうかとか、文物に「有限性」を越える価値が本当にあるのかとか、これらの疑問は「普遍」に関わっている可能性があると思う。

"Inside Out- No Spirituell Surrender- full album" を YouTube で見る youtu.be/zLl2CqrtdA4

『お兄ちゃんはおしまい!』、両親不在で、元ひきこもりみたいな設定いつの間にか違和感なくなっちゃって複雑な気分にはなるけど、動きまくるエンディングや髪色2色の配色(メッシュみたいに見えるやつ)等、作画のクオリティーが特筆もの。

モグワイの同世代感がすごい。ブラック・サバスとストゥージズが並ぶのってグランジ以降だよなとか、ノイズとアンビエントが一緒に聞かれるのゼロ年代のトレンドだったよなとか思うところがいろいろあります。マーク・アームのほうはスピリチュアル・ジャズを挙げながら、ストゥージズの『ファン・ハウス』を選ばないのは微妙に意外ですが、それ以外はわりと王道だなという印象でした。とにかく、オール・トゥモローズ・パーティ的っていうか、インフルエンスごと転移したことがよくわかる選曲だなーと。

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比較してみると膝を打つ二者のセレクション。

マッドハニーのマーク・アームが「お気に入りのアルバム 13枚」を発表 - amass amass.jp/57054/
モグワイのスチュアート・ブレイスウェイトによる、「モグワイに影響を与えた10枚」
rockinon.com/news/detail/45619

BLMのアンセムとして運動を活気づけ、人種差別を扱ったドキュメンタリーのタイトルにもなった『Killing In The Name』をはじめとするRATMのリバイバルは「ラップメタル」の再評価とも時期的にはシンクロしてる。「ラップメタル」に関しては、多方面からまがいもの扱いされてたリンプ・ビズキットやリンキン・パークにもフォロワーがあらわれて系譜と文脈が引き継がれているのはあまりその方面に明るくないリスナーにとって驚きしかないけど、今はよくもあしくもリスナーの価値観を束ねる音楽雑誌の価値が下がっているから、アーティスト間の直接の関係が、系譜に反映されやすくなっている面もあるのかもしれない。一方かつてマッドハニーのマーク・アームは政治的活動に信頼の置けるアーティストとしてメコンズを例に挙げて、レイジ等大手の売り出すアーティストをインディーの立場からディスっていたけど、今はメジャーとインディーでアーティストの売り出し方に大差がないから、資本に対するリスナーの態度によってしか区別されていないような気がする。

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