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せめて〇〇に自分の言葉を届けるにはどうしたらいいか、ツールとしてTwitterがふさわしいかどうかも含め、真剣に考えたほうがいいと思うけど、自分が物事に関与できていないことに対して十分な実感と危機感がないように見える。論敵に対する蔑視ないし過小評価や愚民論的な発想等、他責的な論の立て方も特徴的。

〇〇は××すべしみたいなSNS上の放言を尻目に実務家がシャキシャキ仕事してるの、毎度のことながらそれはそうなるよなという気持ちしか湧かない。

"𝐖𝐮-𝐓𝐚𝐧𝐠 𝐂𝐥𝐚𝐧 - 𝐖𝐮-𝐓𝐚𝐧𝐠 𝐌𝐞𝐞𝐭𝐬 𝐓𝐡𝐞 𝐑𝐨𝐜𝐤 𝐌𝐮𝐬𝐢𝐜" を YouTube で見る youtu.be/KXEUn7om-dc

"Biggie Vs. Led Zeppelin "whole lotta biggie" mash-up by Dj Muggs" を YouTube で見る youtu.be/2CzabWSk84M

サイバースペースにおける既存の音楽著作物を利用した創作行為に対する著作権法上の制約と表現の自由に関する調査研究
taf.or.jp/files/items/524/File

ヒップホップで最も使用された言葉は?他のジャンルの歌詞と比べたデータから見る「コンテクスト」の重要さ | Playatuner playatuner.com/2017/09/most-hi

歌の意味とはなにか?──声・歌・歌詞の意味論に向けて | 増田聡 ‹ Issue No.29 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース db.10plus1.jp/backnumber/artic

"Public Enemy - Public Enemy Number Won (Audio) ft. Mike D, Ad-Rock, Run D.M.C." を YouTube で見る youtu.be/EjvSC-p3Iwg

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シクロフスキーが異化を論じた代表的論文「手法としての芸術」(1917年)の、以下の一節がよく参照される。

そこで生の感覚を戻し,事物を感じ取るために,石を石らしくせんがために,芸術と呼ばれるものが存在しているのだ。芸術の目的は,わかることとしてではなく見ることとして,事物の感覚を与えることである。(……)芸術においては知覚のプロセスが目的そのものであり,長引かされねばならないからである。芸術は,事物=作品の制作を体験するための手段であり,芸術において,完成しているものは重要でないのだ。(八木、18頁)

異化・ロシアフォルマリズムとは何か|意味をわかりやすく徹底解説│なるほう堂 naruhoudou.com/whatika/

…修辞学的思考は、普遍的であると同時に惰性化、 固定化されやすい〈共同幻想的〉な論理学的思考を刺激し、動かしていく役割を担っているのである。このことは、〈異化〉という述語によく現れている。 大江健三郎は、この〈異化〉をヴィクトル・シクロフスキーを参考にして説明している。彼は「日常・実用の言葉は、われわれの現実のなかで自動化、反射化している」という。このことはとりわけ説明する必要はあるまい。ものの認知がされていないのならば、我々の生活はスムースには動かないだろう。しかし、このスムースさに「もの」そのものの実感を涸れさせていき、我々の意識を冷たく硬化させ、平板化させる。そこで、そのような平板な意識を目覚めさせるものとして〈異化〉が行なわれる。

ありふれた日常的な言葉・クタビレをいかに洗い流し、仕立てなおして、その言葉を、人間がいま発見したばかりでもあるかのように新しくすること。 いかに見なれない、不思議なものとするか、ということ

これが大江が〈異化〉 の定義とするものである。

『喩法論序説』(keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploa)

…あらためて氏の文章をふりかえると、その最後の病床での言葉のはしばしにいたるまで、氏はつねにただ行動と同義語の「書き方」でのみ語った人であったと端的に納得されるのである。それゆえに僕は氏の死の報せを悲しみつつ、その悲しみが時の流れによって穏やかにとけさってゆくものでないと予感する。それは重く硬いものとなって僕の意識にとどまり、いつまでも根本的な反省をうながしつづけるであろう。根本的な反省とはなにか?それはあの行動の「書き方」の人間にとって僕の「書き方」はいったい何であったろうか、あの死者の魂から発する光が、僕の「書き方」の全体をふたたび徹底的に照し出しているのではないか、という恐しい反省にほかならない。その反省に立ちながら、しかもなお僕は自分の「書き方」で書き、そのむこうに新しい自分の「書き方」をつくりだそうとするほかない。
大江健三郎『状況へ』プロローグ「書き方」の問題より

階級といえばカーラ・ブルーニ的なものとどう向き合うのかという問題はあるよな。教養があって、権威志向で、才能や容姿に恵まれてという。音楽はわりと好きなんだよな。彼女の問題は、彼女に魅了される多くの男たちの問題でもあると思うけど。

ラップメタルを推すのは政治的な配慮であり、いわば「Pop Goes The Weapon」のささやかな実践に過ぎず、実際にはどなたかの整理仕事の一助となるよう、やっているだけです。そのこととは別に、最近ハードコア経由で、そっち方面から黒人文化への接近が気になっているという事情もあるにはあるんだけど、まぁそれは枝葉。

蓮實重彦のプロレタリアートは負けた発言、よくわかるんだよね。アメリカ的・20世紀的なポップカルチャーの中でひとしきり楽しんだ後、ヨーロッパの叡智の結晶みたいなものに触れるとはぁ〜って気分にはなるでしょ。得られる快楽の総量がダンチだし。そこで、そっからどうするかなんですよ。

声楽つながりで『アヴェ・マリア名曲集~10人の作曲家による』(tower.jp/item/2321991/ベスト・オブ-ク)、偏見抜きで聴くと陶酔的な快楽が得られるので、浸りたいときにオススメです。

車の中でアッレグリとかギヨーム・ド・マショーのCD聴いていると、アルヴォ・ペルトやヘンリク・グレツキの和声の感覚に親しんでいたことがこれらを聴く上で自分にとっていかに大きかったかわかる。さらに言えば、マイケル・ナイマンの仕事でいわゆる古楽から現代音楽まで軽微に触れていたことがペルトやグレツキへの導入になっていたことにも気づく。「感性」とか言っても決してレディメイドのものじゃないんだよね。

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