BLMのアンセムとして運動を活気づけ、人種差別を扱ったドキュメンタリーのタイトルにもなった『Killing In The Name』をはじめとするRATMのリバイバルは「ラップメタル」の再評価とも時期的にはシンクロしてる。「ラップメタル」に関しては、多方面からまがいもの扱いされてたリンプ・ビズキットやリンキン・パークにもフォロワーがあらわれて系譜と文脈が引き継がれているのはあまりその方面に明るくないリスナーにとって驚きしかないけど、今はよくもあしくもリスナーの価値観を束ねる音楽雑誌の価値が下がっているから、アーティスト間の直接の関係が、系譜に反映されやすくなっている面もあるのかもしれない。一方かつてマッドハニーのマーク・アームは政治的活動に信頼の置けるアーティストとしてメコンズを例に挙げて、レイジ等大手の売り出すアーティストをインディーの立場からディスっていたけど、今はメジャーとインディーでアーティストの売り出し方に大差がないから、資本に対するリスナーの態度によってしか区別されていないような気がする。