これを機にお師匠さんのナディア・ブーランジェも併せて聴かれたらよいと思う。
R.I.P. Quincy Jones
youtube.com/watch?si=OGWH2MlF4

私は改憲派なんだが与党のボンクラに弄らせるのは、護憲よりリスクの方が高いと思うから、これに関しては護憲派に協力するつもり。日本人、ネットならいくらでもやってるんだからまず署名を集めるところからでいいと思う。あと市民運動のオーガナイズを音楽ライターやってるアナーキズムに近い立場の人たちに主催してもらうこと。「極左立ち入り禁止」とかバカなルールを設けないで、誰でも自由参加でいいんだよ。もちろん警察に届け出も必要なし。人集めなんて基本的にレイヴと同じ要領でいいんだから。

今後の展望として、一応、≪議会の外で≫人々が連携する方法を模索していく方向は間違っていないと思う。しかし、護憲派のリベラルが一国主義に陥りがちであることを自覚することは重要。大上段からの言い方は避けるべきだが、国際的な関係を「個人のレベルで」構築し、必要に応じてフィードバックを行うようなネットワークが必要だと感じている。

友人に教えてもらったこの記事は非常に興味深かった。アメリカのネオコンが韓国を支持する理由が詳しく説明されており、韓国はアメリカの介入によって自由を獲得し、K-Popがその文化の象徴とされている。著者は、韓国の成功がアメリカの軍事支援に支えられていることを指摘し、他国で同じ成果を再現するのは難しいと述べている。この視点は、韓国や日本が似た状況にあることを示唆し、文化が政治に影響を与えることに触れている点も重要(自明だと言われがちだが、実際にはまったくそんなことはないので)。
theamericanconservative.com/wh

Diddyの件、2Pac殺害の捜査にまで発展する可能性も出てきたらしい。当初は当て擦りだと思われていたエミネムのKillshotが皮肉にも的を射ていたかもしれないわけだ。ビヨンセやJay-Zへの波及のみならず、この件のインパクトが大きいのは、これが70年代以降の黒人のゲットー・スタイルの一部であった「ピンプ」の否定であり、ひいてはギャングスタ・カルチャーそのものの終焉を意味するからだ。私たちはひょっとするとヒップホップ史上、いちばん大きな節目に立ち会うことになるのかもしれない。

LLとラキムが56歳で同い年。エミネム(たった)5つ下の51歳でNasと同い年、Jay-Zが54歳、そしてドレーが59歳…と見てくると、この辺の人たちはみんなそんなに離れてないんだね。意外にも。

"I have a black friend."をエクスキューズとして持ち出すのがダサいっていうのはわかるんだけど、なぜ自分には黒人の友達が一人もいないのかはそれとは別の話で、みんな一度は真面目に考えたほうがいいんじゃないかと思う。

SNSで画面をスクロールしながら、わかるけどそれ無理だよ、という主張をけっこう見る。だからといってやる気を削ぐようなことを言うのは悪いから何も言えないという…ジレンマがあるんだよね。

「原則、差別は悪い」のはその通りで異論も何もないんですけど、そのことと「いま現実に(目の前に)差別がある」とはやっぱり別の問題で、あまりに原理主義的な態度だと後者を認識できなくなるおそれがあるとは思う。

ビヨンセでもテイラー・スウィフトでもいいけど、彼女らにはポップの象徴としてあらゆるコミュニティから切り離されるという「孤立」の覚悟はあるのだろうか。

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マイケル・ジャクソンの『インヴィンシブル』を評した2001年のSnoozerの記事に「ポップ」についておもしろい考察があった。それは大雑把に言うと、マイケルは普遍としてのポップを目指したがゆえに、黒人コミュニティからも切り離され、世界中で愛されると同時に、あらゆる人種や国家からさえ切り離され、とうとう世界中でひとりぼっちなった、というもので、これはマイケルの圧倒的な孤独と「ポップ」というものについて、本質を突いていると思う。

人種や性別、国籍、地域性、経済的格差、その他さまざまな差異を無視して「平等に」というポップのコンセプトは最初から破綻しているんですよ。そんなのビヨンセが体現している民主党的なグロテスクさを見れば一目瞭然でしょう。理想を掲げることは無理を強いることじゃないよ。

子どもっぽいことを言うようだけど、例えばフランス人やドイツ人と話していても、誰にも「西洋中心主義者」とは言われないんだよね。これが相手が韓国や台湾、香港の人たちになると、途端に「アジア主義者」ということになるわけ。日本では。極端に言うと「ネトウヨ」と呼ばれる人たちの逆をやっているだけで、対話という行為さえただちにイデオロギー的なものとみなされるんだよ。それだけ地理的に近いはずのアジアは日本から「遠い」ということなんだろうと思う。「思想が強い」のはどっちだ、とときどき言いたくなることがある。

同じ陰謀論と言っても、平沢進とマジカル・パワー・マコの方向性はほぼ真逆だし(前者はオルト右翼的、後者は新左翼的)、ともに「一般的によく知られた事件や歴史の背後に別の策略があったとする、信憑性に乏しい説」(陰謀論の一般的な定義)ではあっても、その言説の政治的な作用や影響まで分析しないことにはこの時代に何か言ったことにはならないと思う。それはミュージシャンに限らず、サドやセリーヌについてもそう。陰謀論だからといってエンガチョだけしても何にもならない。

何かすごい大きな問題が起こってその解決の見通しがきかないとき、必ず誰かが一種の比喩として「ソフトランディング」とか言い出すんだわ。この国では。そうじゃなくて、こっちは具体的に、どうやって、という話がしたいわけだよ。別に好き好んでおおごとにしたいわけじゃなくて。そこで既に齟齬が生じている。

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