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今、法律について考えている。きっかけは景気対策の一環として配られるという商品券だった。批判があちこちで聞かれるが、実現しそうだ。批判というのは、基本的に「励まし」の側面を持っている。怒ったりするのは、まだ何かを信じているからだ。
たとえば、わたしが映画監督をしているときに、セットの図面を持ってきたアートディレクターを批判し、怒るとする。
「バカ野郎、何を考えてるんだ、やり直せ」
アートディレクターを根本的に信用しているから批判し怒るのである。本当にどうしようもないときは、はいはい、よく頑張ったね、とそのアートディレクターに笑顔で言ったあとで、あいつはクビにしてくれ、とプロデューサーに電話するだろう。
もはや日本政府は批判の対象ではないと思う。たとえば教育や金融問題にしても、相変わらずさまざまな批判や討論がメディアで繰り返されている。そのほとんどに、実は法律が横たわっている。教育改革は教育「法」改革なのだ。そして、法律を変え、新しい法案を官僚に準備させ、新しい法律を作ることができるのは、今のところ、あの、国会議員たちだけなのだ。
(12/1/1998)
村上龍『すべての男は消耗品である。Vol.6』p.31,32より引用

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