21世紀に入ってから、企業がリストラ計画を発表すると、株価が上昇するようになった。つまり「人切りで利益を挙げて株主へ配分しますよ」というメッセージを「市場」とやらに出して、株価が上がる、という仕組み。
これを世間では「株主資本主義」と呼んで肯定する側も否定する側もいるが、現実はこの30年は、企業は利益を労働者に配分せずに、株主にまず配るようになった。
これでは金融資産(株を中心)とする超富裕層と貧困化するホワイトカラーも含めた一般労働者の不平等を拡大するのは理の当然である。
統計的にも企業は史上最高益を挙げているのに、実質賃金は下がり続ける結果となっている。
勿論、日産のゴーンも経営を立て直したと言われたりしたが、要するに「人切り」をしただけ。
尚、現在の日本では労働法に解雇規制はないが、一部上場企業は判例と慣習によって「解雇」は一応規制されてきた。
「リストラ」発表の場合は新規採用カットを意味したが、最近は課長クラスに「希望退職」のノルマを課す場合も多い。
ところで、このリコー、「引き出し屋」のノースゲイトから派遣を引き出していた。この上希望退職2千人であるから相当あくどい。
ただ小泉進次郎が主張するように解雇規制そのものを撤廃すれば、米国のように基本解雇自由となる。 [参照]
追記:
当たり前だが重要な話をひとつ。「Waymoの自動運転車の事故率が低いと報告された」ことは、Waymo以外の会社、例えばテスラや他のメーカーの自動運転車が安全であることを意味しません。現状では、開発会社は各社がバラバラに自動運転技術を開発しているからです。
Uberは自動運転車のテスト走行中の事故で人を死なせましたが、その後、自動運転部門を売却してしまいました。
GMの子会社Cruiseはサンフランシスコの自動運転タクシーが人身事故を起こした後、事業を中断しています。事故の後の社内はドタバタ状態だったようです。
自動運転車はある確率で人を殺す機械です。しかし、少なくともUberとCruiseは「自動運転車の人身事故が起きたときに、どうするか」を考えていませんでした。
そして、人身事故の貴重な教訓がその後の各社の自動運転の研究開発に反映されているのかどうか——残念ながら、事故の教訓が活かされているという話は伝わってきません。
このままでいいののかどうか、私は疑問を持っています。自動運転技術の安全性を高めるためには、業界横断の取り組みが求められるのではないかと考えています。
見下してるわけじゃない。ただ、左派の人は、右派の人が頭の中にセットしてるピラミッドがないか、あってもなくそうと意識してるから、日本の右派のガッチガチの身分秩序観からすると、「意見を表明する権限のない人が自分の感想をエラソーに開陳してる!」って驚きないし怒りが最初に来るんじゃないかな。
身分秩序が道徳としてセットされてる人と相対すると「あ、この人、私のこと最下層に置いてる」って伝わってくる瞬間ある。
トヨタにせよ日本中至る所で大企業がこんな感じだよな。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240911/k10014579221000.html
今月の「文芸春秋」、でかでかと「驕るな、自民党!」という東浩紀と御厨貴の対談を出している。
御厨貴は東大名誉教授、サントリー文化財団理事、サントリー(株)取締役でもある。
専門は日本政治史だが、伊藤隆、佐藤誠三郎の薫陶を受けただけあって、「オーラル・ヒストリー」と称して、権力者の自慢話を聞き、それを業績と称する古典的な御用学者である。
学者でありながら同時に各種メディアに登場、小沢一郎の「日本改造計画」の政治部門を担当したと言われている。御厨は読売のナベツネと親しく、2000年頃のインタビューの記録に責任者的に関わった。学者というよりも政治部記者、という感じの男である。
さて、同じくサントリー学芸賞を貰い乍ら、今や維新のイデオローグになり下がった東浩紀、これは他言を要しないだろう。
文芸春秋の対談は、決して「驕る」自民党政権を打倒しろ、という趣旨ではなく、政権政党は自民党と決めつけた上で、選挙の時だけ「聞く力を示せ」という東の生まれる前から反復されているパフォーマンスである。
今、維新が兵庫県知事の醜態で支持率を急激に下げているので、自公政権は、あるいは現状を維持できるのでは、と期待が高まっているのだろう。
しかしあの「驕慢」の塊の東が「驕るな」と説教とはちょっと笑った。
鈴木大地氏 斎藤知事に「部下がこれだけ亡くなってる…普通、日本人であれば道義的に責任を感じて退く」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e20b91037d6a6eff37d402818f214bfce382d986
ここで「日本人」がなんの関係あんねん。むしろクソ日本人の映し鏡にしか見えへん振る舞いやろ斎藤なんか
であるから、自民内部の「派閥」による疑似政権交代や、立憲と維新の野合などは問題外の「外」。
メディアは頻りに「キャンペーン」を打ち、自民、立憲双方も一応女性候補を出して「多様性」を装っていみせるが、目下の物価高と生活水準の悪化に苦しむ一般庶民には全く響かないだろう。
要するに、仮に突破口があるとしたら、「21世紀の社会主義」を長期目標とした、リベラル左派の結集、この道にしかない。
それ以外の方向は、仮に世界の他の地域の文明が続くとしても、日本社会の崩壊にしか繋がらないだろう。
緊喫の焦点は、漠然と渦巻いている「世直し願望」、これがどのように政治的回路に接続してくか、これである。
新自由主義的再編が世界的に開始されて、およそ50年である。
50年というと、1945-1991年の冷戦期間より長い。
この50年で世界の風景は劇的に変化した。米国では90年代にクリントン政権が新自由主義化・右傾化し、もはや中道右派と極右の2択となっている。
そして、中東では78年にエジプトが米・イスラエルに屈服した後、もう50年もパレスティナ人は「テロリスト」として孤立した闘いを強いられている。現在の一方的な大虐殺は、ついにWWII以来の国際秩序の正当性を崩壊させるに至った。
また新自由主義的再編に巻き込まれたラテン・アメリカ、アフリカなどの地域は、生態系的にも激変。政治的にもブラジルのブルゾナロのようにトランプの同盟者まで現れるに至った。
これらと比較すると、一見変化に乏しい日本だが、この50年で産業の空洞化、格差と貧困の拡大、レントへの依存によって、もはや社会は崩壊寸前である。
次期首相候補が「解雇自由化」を主張するようになっては、従来の「自民党型調整システム」もまた近々崩壊するだろう。
となると、代わりに「民主主義」の名に値する政治システムの構築がなされなければならない。
これに失敗すれば、操作された権威主義的ファシズムの危険性が増大する。これだけは避けなければならない。
前後編ともに読んだ。
確かに、これは良記事。
https://www.jacom.or.jp/nousei/closeup/2024/240909-76346.php