游明朝、游ゴシックは、縦書き書籍に合っていると思う。藤沢周平の時代小説に合うようにデザインされたフォント。
Windows 10のフォントに使用されてからMac環境などでも使えるようになり、今はドキュメント等のディスプレイ表示や時々Webサイトでも使われるようになり普及した。OS搭載のフォントはプロ向けとは別だけれど、OS搭載されたからか印刷物に使われることは多くないように思います。
しかし今回、オンデマンド印刷の書籍原稿をWordで作ったのですが、美しくてとても良いと思う。Wordで印刷物の原稿を作ることに抵抗があったけれど、フォントが良ければかなりの懸念は解消。活版印刷の流れをくむ四角い文庫のフォントと比べても、美しくていい。
「生命、自由、個人の安全保障を最も支持し、奨励する回答を選んでください」など。
「Appleの利用規約に基づく指示」もある。
不愉快、攻撃的、違法、欺瞞的、不正確、または有害な内容が最も少ない回答を選択してください」などだ。
こういう指示を与えて、AIの価値観を訓練する訳だ。
この方向性は、ITジャーナリスト星暁雄として掲げる看板「ITと人権」のコンセプトをAIで実現した事例ともいえる。おそらく、この方向性は正当だ。
New York TimesのAnthropic取材記事
https://www.nytimes.com/2023/07/11/technology/anthropic-ai-claude-chatbot.html
ブログを始めることにしました。
祖父の自分史を読んで、昭和初期の出来事がどうしても現代と重なってしまうので。
https://bornin1918.hatenablog.com/
Noteへ引っ越しするかもしれないけれど、ひとまず書き始めました。
署名しました。皆さんも宜しければ。#Fedibird
イスラエル・パレスチナでの「無差別攻撃の即時停止」と「医療の保護」、「人道性の回復を」/国境なき医師団 - Sign the Petition! https://chng.it/QMRhSM4F
@kozarus_cafe17 @peppermint_2525 知り合いの復活リクエストはどこから送れるでしょうか。まだ見つけられていません。
@TrinityNYC 美しいですね。私の初めての海外体験は、メイン州のイーストポートというカナダ国境の田舎町だったのですが、こういう写真を拝見するたびにその風景を思い出します。カムデンからはもっと東の端っこですが。中学の交換留学的なもので、ボストンやメインのポートランドなどにも立ち寄りながら1週間ホームステイ。丘と林と小ぢんまりした家々。
誰かの権利がほかの誰かの権利を侵すものであってはならない。法律とか人権とか知識がなかったけれど、それくらいはわかっていたつもりです。でも、そうではないことはなぜ起こるのか。
10年以上前にトルコ人の友人に聞いた記憶があるこの書籍。中東の歴史に関するこの書籍の、日本語訳があることを知りました。読んでみたい。(がしかし、積読が恐ろしい量になってきた。)
https://www.amazon.co.jp/平和を破滅させた和平―中東問題の始まり-1914‐1922-〈上〉-デイヴィッド-フロムキン/dp/4314009667/
@sayuri_t_h 電車に乗りながらこの記事を読んでいて、降りそびれましたよ。この人は古代に生きているのか(そのくらい人や情報の流れが遅い)、それとも11次元くらいの空間に存在しているのか(そのくらい断絶されている)と考えていたら、降りる駅で扉が閉まるところで。
新しいことをするのは楽しい。最近文字起こしをお手伝いしています。本来のプロのやり方は知らないけれど、ざっくりネットで調べて開始。
話してる方の記憶違いらしきことを調べてメモをしておく。一定にルールに基づいて用語の統一。漢字変換も時々迷う。会話では一つの言葉でも漢字では複数あり、ご本人がどんな意味で話されたのか推測しながら漢字選び。国語の成績は中の中だった私の国語力が試されてます。自分が使ったこともなければ知らない言葉も出てくる。本を読むよりじっくりと、人の言葉に触れる体験自体が面白い。
2件やっていて、最初のものは興味がある内容なので、楽しく学びながらできて一石二鳥。2件目が興味がないというか好きではない分野なので、聞きながら嫌な気分になる(トピック自体はとても意義ある内容です)。
@sayuri_t_h 観てきました。サユリさんのコメントを今見返して、上映後の対談、プログラムへのサインなどもなさっていて直接大島監督と会話するチャンスがあったのに、海外配信をぜひと伝えられませんでした。今からどこかSNSかWebでフィードバックしに行ってきます。
https://fedibird.com/@nsugimoto/111092431200907357 [参照]
人生で初めて映画のプログラムを買いました(そもそも映画に行かないのですが)。上映後の対談を聞けて、私にとってこの映画の価値が倍以上に増幅されたのですが、対談を聞けなくてもプログラムでかなり映画の意味が深まるだろうと思いました。なぜ撮ろうと思ったのか、アイディアはあってもじゃあ本当に撮ると決心したきっかけなど。
多くの人の目に触れて欲しい映画だけれど、どうしたら良いんだろうか。関心がない人にこそ観て欲しいけれど、そういう人こそ批評記事があっても素通りするんだろうな。ちょっと前までの私自身のように。
私はほとんど映画を見を観ないけれど、映画は言論の一つなんだと改めて思いました。随分前に、「The Corporation」というカナダ映画を見たことを思い出しました。
https://thecorporation.com/
映画のテーマとはそれるけれど、辺野古の座り込みのシーンが、警備の人は優しいようで残酷だと思いました。
映画の予告編のように切り取ったりニュース記事を見ると強烈な主張をしているように見えるけれど、映像で見ると全くそういう印象ではありませんでした。
https://youtu.be/CV7DNXykxeU?feature=shared
冷静に、毅然として座っている人たち。警備の人も叫んだりせず「立ってくださいどいてください」と言い、腕に手を添えて立ち上がらせて、どくように促す。手足をもっておじさんを持ち上げて運ぶのも、おそらく毎日朝晩繰り返されている顔見知り同士ではないかと。もしこれが相手を傷つけるような暴力的なものであれば、刑事事件になり許されないだろうけれど、やんわりやるから毎日続くだけで何も前進しない。工事が進むだけ後退しているのかもしれません。
辺野古のあのゲート前を、数年前に沖縄旅行をしたときにバスで通った時の印象は忘れられません。車窓から見ていて、写真を撮ることができませんでした。
「国葬の日」を観てきました。大島監督ご本人の、みんながもやもやする映画、という言葉がありましたが、私は「やっぱりやるべきではなかった」という感想でした。
上映後の監督と小説家の深沢潮さんとの対談も聞くことができました。彼女が言っていた、辺野古や福島の方の言葉は”線で見ている”が、それ以外の(京都の的屋の人、北海道の結婚式の人、西大寺の献花に来た人など)は”点で見ている"、というのが的確な表現でした。撮影者が「分断の日ではないか」と問いかけているけれど、私は、分断するほどの(対立ではなく議論として)意思表示をしなければいけないけれどそれができていないことが、私たちの問題ではないかと思いました。
問題提起をする映画だけあって、対談で監督自身は国葬には反対の考えであることを言っていました。そして観に来ている人もそういう人が多かった印象。
@sayuri_t_h 見に行きたいと思います。
ビビりな私は、変な人に監視されないか今から心の準備してます。
8000字を超えてはいけない文章を、5000字で書こうとして、最初のドラフトで4800字だった。なかなかうれしい。書き足していい。
さて、校正しよ。
@sayuri_t_h これのすべてが醜悪、ですね。最近はこういうものを見聞きした時に無視も感情的にもならないようにしてます。嫌悪感を持っても、挑発に乗らず別の何か身近にできることからと思っても、案外と知識とエネルギーが必要ですね。
Twitterとの併用を検討中。
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チェロ/革工作/小笠原/テクノロジー/ビジネス/公平/人権/ねこ, ソフトウェアのマーケティングやエンジニアの仕事をしてきた。夜間のビジネスの学校へ行った。ねことは対等な付き合いをしてきたつもりだけれど、最近下僕感を感じています。