「国葬の日」を観てきました。大島監督ご本人の、みんながもやもやする映画、という言葉がありましたが、私は「やっぱりやるべきではなかった」という感想でした。
上映後の監督と小説家の深沢潮さんとの対談も聞くことができました。彼女が言っていた、辺野古や福島の方の言葉は”線で見ている”が、それ以外の(京都の的屋の人、北海道の結婚式の人、西大寺の献花に来た人など)は”点で見ている"、というのが的確な表現でした。撮影者が「分断の日ではないか」と問いかけているけれど、私は、分断するほどの(対立ではなく議論として)意思表示をしなければいけないけれどそれができていないことが、私たちの問題ではないかと思いました。
問題提起をする映画だけあって、対談で監督自身は国葬には反対の考えであることを言っていました。そして観に来ている人もそういう人が多かった印象。
人生で初めて映画のプログラムを買いました(そもそも映画に行かないのですが)。上映後の対談を聞けて、私にとってこの映画の価値が倍以上に増幅されたのですが、対談を聞けなくてもプログラムでかなり映画の意味が深まるだろうと思いました。なぜ撮ろうと思ったのか、アイディアはあってもじゃあ本当に撮ると決心したきっかけなど。
多くの人の目に触れて欲しい映画だけれど、どうしたら良いんだろうか。関心がない人にこそ観て欲しいけれど、そういう人こそ批評記事があっても素通りするんだろうな。ちょっと前までの私自身のように。
私はほとんど映画を見を観ないけれど、映画は言論の一つなんだと改めて思いました。随分前に、「The Corporation」というカナダ映画を見たことを思い出しました。
https://thecorporation.com/