琉球民族の方々の信仰については私でなく恩師の専門なのでなんとも口をききにくいところなんだけれど、
昨日読んでいた本にも「帝国主義化の過程で、植民地である琉球や朝鮮を無宗教とする説が生まれた」という一文があったな、とふと思い出した
実際にはユタ信仰、聞得大君、中山世譜の天地開闢神話とかあってそれらは現代まで存続しているんだけれど
(なお当時に大和民族側には宗教があったと思われていたのか、というと実はそんなことはなく、当時の認識は「宗教≒キリスト教(プロテスタント)」であり、宗教がある=文明国、宗教(キリスト教)は国家主義の道具として有用、みたいな位置付けで、「自分たちには宗教がない」という強烈な白人社会へのコンプレックスと、「そんな俺たちに統治されている奴らに宗教=文明があるはずがない」みたいな入れ子の差別意識からそういう説が広められている)
訂正
いかに信仰がただ国を纏めるための道具としてしか見られていなかったか
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いかに信仰が「国のために有用か、害悪か」という点でしか見られていなかったか