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こぼね さんがブースト

金泰栄教授が在日コリアンの自助グループを作ったそうです。
在日コリアンで興味のある方は、連絡先を知りたい方は私までDM ください

asahi.com/articles/ASR234JYJR1

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加害者がある時「被害者」になることはよくある。

沖縄県の被害をどれだけ訴えても聞く耳すらない日本人に、「日本でもPFAS被害あるんですよ」と沖縄側から訴え共感してもらうのとは違い、加害者である日本人側から「日本人全てが被害者」と訴えるのは沖縄県の被害の矮小化にしかならない。

沖縄人をヘイトから守る条例を、と訴えれば日本人移住者が含まれる「県民」を用いた条例の制定に奔走し、沖縄人を透明にする事に成功した日本人。

日本の戦争責任を問えば「沖縄人も積極的に戦争に協力した」と日本人としてまとめ加害を平等に負担させようとする。異を唱えれば日本の軍人も被害者だ論まで作り出す。この理論では日本中全ての人が「被害者」となり、主犯を透明にできる。

日本人はある時は沖縄人と共に被害者ぶり、加害の責任を指摘されると権力勾配を考慮せず沖縄人の加害性を指摘し対等に加害責任を負うよう迫り沖縄人に罪悪感を植え付ける。

とにかく沖縄人と同じポジションを取りにくる日本人は右も左も関係なく存在する。

DNAを根拠に同じ「日本人」と主張するならなぜ研究と称し骨を盗み未だ返還しないのでしょう。差別をするために違いを強調し、今では歴史や加害性を隠すために「同じ」と繰り返す。

全ての責任を取らない限りこの境界線は消させない。

なお、こちらには様々な差別や性被害・虐待などの話が内容に含まれます。
(単語のみなどで具体的な話はあまりありませんが)お読みになる際は、ご無理のないようお願いいたします。

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お坊さんの皆様に混ざって(神主なのに)書かせて頂きました、
大学生のためのLGBTQ+ライフブックVol.4『お坊さんたちのライフストーリーズ』が発行されました。

「神主の人生ってこんな感じなんだな〜」とは多分ならない内容になりましたが、よろしくお願いいたします。
PDF版もあります。

ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-14

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こちら賛同しました。
「グエットさんが有罪とされることで、技能実習生だけでなく孤立出産し死産した全ての女性が刑事罰の対象にされかねません。そのようなことは絶対にあってはなりません。私たちはグエットさんを無罪とすることを求めます。そして、彼女や同じような境遇に置かれた他の人々に対する社会福祉的支援と保護を強く訴えます。」
! 」 change.org/p/孤立死産したベトナム人技能実習生グ

こぼね さんがブースト

ウェブサイトの画像は、それがないと情報が欠落する画像であれば alt(代替テキスト)を設定し、装飾目的の画像であれば alt は空でよい、とされています。

私も長い間この考え方に「なるほどね!」と了解していました。

でも最近、「『装飾目的の画像』にも『情報』があるよね……?」と思うようになったんです。

装飾を取り払った時に伝わるのは“必要最低限の情報”でしかなくて、それで充分だ、とするのは、たとえば音声読み上げによってサイトを利用しているひとたちに対して「あなた方には必要最低限の情報のみ提供する(それで充分だろう)」という態度なのではないか、って。

装飾目的の画像も、あるのとないのとでは視覚的印象が全然違います。だから挿入されているんですよね。色やモチーフによって与えられる印象のために。
音声読み上げでサイトを利用するひとたちには、最初からその装飾が“必要ない”ことにされてしまっていて、装飾が存在することすら知らされていない。

それって情報が欠落しているってことなのでは?

私もまだぐるぐる考えている途中で、具体的にどうしていこう、みたいな答えも出てないんですけど。

こぼね さんがブースト

三上氏(東京都出身)は映画鑑賞後の舞台挨拶で、「沖縄の人にこそ観てもらい、現状に怒りを感じて欲しい」と発言したらしい。(Fbより)

ゴール設定が沖縄の声をヤマトに伝える事になっているが、伝わらない事が問題ではない。何を伝えても言動を変えようとしない植民地主義の問題。

沖縄の人が怒っていないように見えるのは学習性無力感であり、それを与え続けている日本人の責任は一体どこへ。

植民者の責任は軍事化に反対するだけで果たせるものではないですよ。軍事面だけでなく観光、文化、言語、経済といったあらゆる植民地政策に反対してこそ、です。反基地運動しかしないなら、それは植民者である事の隠れ蓑と言われても仕方ない。

反基地運動は、日本人移住者が自分が住みやすい「沖縄」にするためだけでしかなく、それこそまさに植民者と言うのです。

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マンスプに近い概念として、

『マイノリティ当事者からしたらかなり低い認識レベルの持論を「一理ある意見」なんなら「その狭い世界に染まりきってるあなた達には思い付くことの出来ないラディカルな意見」としてマジョリティが堂々と議論を吹っ掛ける言動』

に名付けが必要だな。

シスジェンダーやヘテロセクシュアル、あるいはマンスプやホワイトフラジリティ(レイシャルマジョリティとしての白人が人種差別に向き合えない脆弱さ)のようにマジョリティの存在様式やマジョリティ性に強く関連する言動の無徴性を引き剥がして中心主義を解体するための手段としての名付けが。

こぼね さんがブースト

@UbuHanabusa すなわち、この範囲の中に、日本以外の言語や文化(つまり日本語やいわゆる日本文化以外のもの)がミックスされている方、すなわち日本語的に言われる帰国生徒やサードカルチャーキッズも、厳密な意味では、私たちのアンケートの対象からは排除されてはいません。

さらに大前提として、「〜と認識している人」とあるように、様々な要素のミックスの程度については、他者からあるいは社会的な何かしらの客観的指標に基づいて区分される軸によって定義されているのではなく、あくまでも自分がそうだと認識している、という書き方になっています。
そのため、もし自分は、日本以外の言語や文化のルーツを持っていると認識している人であれば、このアンケートの対象からは厳密には排除されないような文言となっているかなと思います。

しかしここまで書いてももしかすると私が誤読している可能性もありますので、的外れなご意見でしたら大変申し訳ありません。

こぼね さんがブースト

@UbuHanabusa

今回のアンケートの定義において対象となるか曖昧な表現となってしまっているのは、おそらく④この範囲全てがいわゆる日本ルーツしかないが文化的言語にミックスルーツの方かなと思われます。

こういった方々は、むしろ言語や文化に特化した文脈から、「サードカルチャーキッズ」や「帰国子女(生徒)」などといった別のカテゴリーの中で、文化的言語的に(も)ミックスの人々として、しっかりと研究が蓄積されてきている領域かなと思います(それぞれの研究蓄積を私が十分に把握できているわけではないので申し訳ありません)

私が「曖昧な」と書いたのは、なるべく多くのケースの方を包含するために、わざと定義を多義的・曖昧化させている部分もあります。

すなわち、私たちのアンケートの定義では
「誰か一人でも"日本人"以外の民族的・人種的ルーツがある」ではなく、
「日本人」という言葉を使わずに、
「誰か一人でも日本以外の民族的・人種的ルーツがある」と定義しています。

すなわち、人種的とされると「日本人」と想定され得ますが、「民族的・人種的」と並列しているように
民族的に「日本以外の」と理解すれば、
そこには、いわゆるエスニシティの要素として、「血脈」ではなく、文化や言語がそこに当然包含されてくるかなと思われます。

こぼね さんがブースト

@UbuHanabusa こちら重要なご指摘を頂き誠に有難うございます。
私はこのアンケートを運営しております、下地ローレンス吉孝と申します。

ここで頂いたご指摘を私自身がまだ十分に理解しているわけではないかもしれず、的外れな意見でしたら大変申し訳ありません。

まず、このアンケートの対象は以下の通りです。

「複数の民族・人種にルーツがある人々」とは、親、もしくは祖父母、もしくは曽祖父母のうち誰か一人でも日本以外の民族的・人種的ルーツがあると認識している人々を指します(沖縄等の島々やアイヌなどのルーツも含みます)。

ここでの定義からすれば、「この範囲で誰か一人でも日本のルーツがある人」ではなく、「この範囲で誰か一人でも日本以外のルーツがある人」を指している対象ため、実は全ての構成が日本以外のルーツの方の場合でも対象となっております。

そのため、ご指摘のあるうち、
①複数の国籍や人種・民族にルーツを持つ人
②両親共に"外国人"の人
③日本に人種・民族的ルーツがないが日本の市民として暮らしている人
この三つのケースの人々も、今回のアンケートではむしろ対象となっております(排除する定義にはなっておりません)

こぼね さんがブースト

「ミックス」というアイデンティティについて私の意見を一応表明しておきます。
日本の「ミックス」コミュニティには、両親の国籍や人種が異なるいわゆる"ハーフ"の人だけでなく、複数の国籍や人種・民族にルーツを持つ人や、あるいは両親共に"外国人"の人、日本に人種・民族的なルーツがないが日本の市民として暮らしている人、複数の文化的・言語的なルーツを持つ人などがすでに存在していることを私は実感していて(私自身がそうですし)、「ミックス」が決して血統主義的なアイデンティティではないと私は思っています。
実は昨年そうした多様な「ミックス」に関する論文を書いてまして、4月頃に出版される予定です(オンラインで読めるようになるのは6月頃だと思います)。
ヨーロッパと日本にルーツを持つ人、日中韓に民族的ルーツを持つ人、両親共に外国人(韓国人)の在日コリアンである人など、多様な「ミックス」当事者の語りから日本の人種概念の解体を目指し、日本における「ミックス」コミュニティの実践を探ろうとするものです。詳細はまた出版後に投稿するので、ご興味のある方はぜひご笑覧ください。
取り急ぎ

動画を観るのがめっちゃ苦手なので(映画館の映画はなんとか観れる)大河は観てない(観れない)んですが、

> 「今からみたらインチキで理解に苦しむけど、科学的な知見のない当時の人達はそういうのを信じていたんだよねえ。政敵や恋敵を呪ったり、すぐ祟られてると思い込んだり、それが平安時代なんだよねえ」という、現代人が好奇と蔑みで作り上げたド偏見

この偏見払拭できている現代のひと多分すんごい少ないし、今ある神道や仏教もこの延長線上にあると思われているよなあ、と思います。

前に宗教差別を指摘した方も、現代の神道祭式を「平安時代の祭祀を再現したもの」と思い込んでいて、
そして神主は民俗学系博物館の展示品、もしくはそれを使ったパフォーマーだと思われていて、いやいやいやいやいやいや…となった

こぼね さんがブースト

余談ですが、童形天皇の装束についての記述は、女性天皇の記述とセットになっている事が多いです。
源師房「土右記」の長元九年(1036)の礼服御覧の記述では、男、童、女の帝の御装束を唐櫃から出して現物を検めています。
つまり、この時点では、女帝の出現は童形天皇と同様にイレギュラーな形であっても、想定の範囲内であり、具体的な準備もなされ、装束が保管されていたことになります。(女帝の宝冠は欠損の可能性が記されてはいますが)

翻って、一部の人が頑なに女性天皇を認めないせいで、具体的な準備もままならない、現代……。
kokusho.nijl.ac.jp/biblio/1001

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こぼね さんがブースト

久し振りにブログ更新しました。
Twitterでもぼやいてるような感想ですが、
若宮に無理にみづら結わせてるのしんどいです。とか、
また法衣袈裟はなおざりですか。とか、
宗教への偏見いい加減にしろ。とか、
そういう愚痴になります。ほぼ褒めてませんというか無理な部分だけ我慢できずに吐露しちゃってるかんじですが……。

一応『童形天皇は冕冠を着けない』というあたりの根拠を「西宮記」や「土右記」から引いてきています。

【大河、見てますが】(一寸海溝日記)
t.co/39IRIA8gX3

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