余談ですが、童形天皇の装束についての記述は、女性天皇の記述とセットになっている事が多いです。
源師房「土右記」の長元九年(1036)の礼服御覧の記述では、男、童、女の帝の御装束を唐櫃から出して現物を検めています。
つまり、この時点では、女帝の出現は童形天皇と同様にイレギュラーな形であっても、想定の範囲内であり、具体的な準備もなされ、装束が保管されていたことになります。(女帝の宝冠は欠損の可能性が記されてはいますが)
翻って、一部の人が頑なに女性天皇を認めないせいで、具体的な準備もままならない、現代……。
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100135445/6?ln=ja…(土右記/国書DB)