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加害者がある時「被害者」になることはよくある。

沖縄県の被害をどれだけ訴えても聞く耳すらない日本人に、「日本でもPFAS被害あるんですよ」と沖縄側から訴え共感してもらうのとは違い、加害者である日本人側から「日本人全てが被害者」と訴えるのは沖縄県の被害の矮小化にしかならない。

沖縄人をヘイトから守る条例を、と訴えれば日本人移住者が含まれる「県民」を用いた条例の制定に奔走し、沖縄人を透明にする事に成功した日本人。

日本の戦争責任を問えば「沖縄人も積極的に戦争に協力した」と日本人としてまとめ加害を平等に負担させようとする。異を唱えれば日本の軍人も被害者だ論まで作り出す。この理論では日本中全ての人が「被害者」となり、主犯を透明にできる。

日本人はある時は沖縄人と共に被害者ぶり、加害の責任を指摘されると権力勾配を考慮せず沖縄人の加害性を指摘し対等に加害責任を負うよう迫り沖縄人に罪悪感を植え付ける。

とにかく沖縄人と同じポジションを取りにくる日本人は右も左も関係なく存在する。

DNAを根拠に同じ「日本人」と主張するならなぜ研究と称し骨を盗み未だ返還しないのでしょう。差別をするために違いを強調し、今では歴史や加害性を隠すために「同じ」と繰り返す。

全ての責任を取らない限りこの境界線は消させない。

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