表題作の「ジョゼと虎と魚たち」は、表題作になるだけあって、とても良かった。
たぶん、これ、泥の中に落ちてるビー玉の話で、汚泥の中にあってもビー玉の本来的な輝きは毀損されるものではありませんし、泥の中に沈んでも輝いてるビー玉がその中にあるということには変わりありませんし。
刹那の美しさを描いたものなのですが、その美しさに耽溺できないとうか。わたしが耽溺できないのか、作者が許してくれないのかは、分かんないんですけど。刹那に美しいものは、刹那だから美しく。
輝ける一瞬、その一瞬があればそれでいいのかという問題で。
「良くないよ!全然良くないよ!」と喚きたいのを押し殺して、苦虫を噛んだ思いで「良かった」というほかないような、そんな感じでしたね、わたしにとっては。

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田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』読了。
短編集。良かったけど、居心地は悪い。
日に焼けた古い畳のにおいがする。引越しで退去する直前の、カーテンもなく西日の差し入るがらんどうの部屋で、うっすらと甘苦い感傷を取り出して舌に乗せるような。
古いシールを剥がして粘着剤が残り、指で擦って取ろうとしたら上手くいかず、黒ずんだ汚れが薄く引き伸ばされて、ベタつくような。
なんかね、そういうシール跡の汚れが少しばかり心に貼り付くような、そんな感じだったの。
んであと、単純に、いわゆる「女」の話をされると疎外感を抱くんだよね、わたしは。
少し時間の経ったお刺身、脂が乗ってねっとり甘いけど、いささか生臭い。

縄文土器ってさ、底が小さくて(尖ってたりして)、上の方に重心があってさ、使いにくそうだよね。

あした出勤になったんやが、台風は、まあ大丈夫かな。
(最近、こっちは晴れてるのに福岡のほうで大雨が降って、雨規制で電車が止まりがち)

鶏頭花溽暑の夏の残り火を燃やすも尽きずなお燃え盛る

外来種の侵入、セイタカアワダチソウに関しては非常にエモさを感じているので、罪悪感チョットアル。
見知った風景がセイタカアワダチソウに蹂躙されてる幼少期の記憶が快楽で。
入植した惑星でヒトが滅んで、あたり一面に蔓延ったセイタカアワダチソウが明るい星あかりに照らされて、ですね!

侵入生物、琉球朝顔もいいですよね(よくない)。
うちの近所では葛と覇権を争って、ともにわっさわっさ、もりもりと繁って聳えており、11月の半ばぐらいまで暗い青紫の花を夜になっても精力的に咲かしており、「うひゃー、侵略されてるう!」という悦びを日々わたしに与えております。

日常と、穏やかな終末が並存してる感じがいいんだと思う。世界はだんだん終わっていくね。
チェーン店の並んでいる、物理的には遠い街にまで繋がっている、ロードサイドの閉塞感とかも。

新しく買った鞄が荷物に対して小さかったですね。俺はいつも目算を誤る。
荷物を減らすか、鞄を買い直すかなんですが、鞄を買い直しに行きましょうね。
親には荷物を減らせと言われています。

僕の住んでるところは書店ゼロ件ですな

大根 さんがブースト

ポッカサッポロのレモネード買うと売り上げの一部が小児がん支援に寄付されるとのことだけど、ポッカサッポロが使っているレモンはイスラエル産だから買えないな…。

清水俊史『ブッダという男』読了。
面白かったし、とても分かりやすかった。説明が親切で明朗!
これを読んでもブッダという人がどういう人だったのかは分からないのですが、どういう考えを持っていたんだろうかというのは分かります。

はじめにに“これまでの専門書や一般書の多くが、歴史のブッダを探索しているはすが、彼が二五〇〇年前に生きたインド人であったという事実を疎かにして、現代を生きる理想的人格として復元してしまうという過ちを犯してしまっている”とありまして、本文に“ブッダは、無から仏教を発明したわけではない。当時のインドの諸宗教の前提を受け継ぎ、それを批判し乗り越えるかたちで仏教は生まれた”とあります。

前半では、ブッダは古代インドの価値観の中に身を置いた存在だったと解き、後半で、仏教と諸宗教を分かつもの、ブッダの独自性を紐解いていきます。
諸宗教と比較しながら論が進むので、古代のインドの考え方のさわりに触れられるのも、楽しかったです。

わたし達の理想を投影した「神話のブッダ」について決して否定的ではないのが、良かった。長い歴史の中で、求められていたのは「神話のブッダ」なのだから、と。
んで、経典は解釈で左右されるの例で出てきた、戦中・戦後の浄土宗の偉い人は、言ってることがデタラメやった。

中村哲先生に生き方については、次男の方のくだりが迫力があるんですよね。
息子の生死よりも優先するものがあった。自分にできることのほうを選択した。

覚悟がガン決まりで、だからなんつーの、中村先生の生き方に倣えとか、倣いたいとか、あんまり言えないところがあるっつうか。
ただまあ、爪のほんのひとかけらの灯火ぐらいは、あやかれる人間でいたいよね。

api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_do

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『砂の本』読了。
集英社文庫版には「砂の本」「汚辱の世界史」と短編集が2編収録。「砂の本」は淡白で、「汚辱の世界史」は脂ぎった感じなのですが、どちらもわたしには味わう舌がありませんでした。文字の表面を撫でるだけで、分かんなかった。
終わりもなければ、始まりもなく、霧のように茫洋としていて、砂を噛むような読み心地。
作者の中のものを紙に写していて、説明をしてるんだから読めば分かるだろ、分かんなかったらそれでいいよ、って感じだった。

“詩人は頌歌を奉呈した。それを彼は、荘重に、確信をこめて、草稿に一瞥もくれずに朗誦した。王は、うなずきつつ嘉納を示した。一同は、戸口につめかけた者にいたるまで、一語も解せぬにもかかわらず、王の身ぶりに倣った”
(『砂の本』「鏡と仮面」より)

今日は、蒸し風呂みたいな熱気と湿気の中を歩いて、電車賃使っただけだったな

サンダルの修理頼もうと出かけたら、雨規制で足止めくらって、にっちもさっちもいかん。

福岡市のマンホール。「フ」の字を九つ組み合わせた市章が刻まれている。

あじびは天神に近いし、金・土は20:00までやってるので、ついでに寄るか!という使い方ができるのが、とてもありがたいですよね。

『福岡アジア美術館開館25周年記念 ベストコレクションⅡ―しなやかな抵抗』に行った。
あじびの収蔵品展。現代アートはキャプション読まないと分からない。
アジアの現代史をテーマにした作品が多く、あんまりそこに長く留まれないような感じだったのですが、偽史的な語りが入ってる作品がちらほらあって面白かったです。

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『ホキ美術館所蔵名品展』に行った。
ホキ美術館は、写実絵画を蒐集している美術館なのですが、絵が写真に近ければ近いほど「わあ、すごい!」ってなるのは、何でなんでしょうね。
んで、人物画は若い女の絵ばかりで、食傷しました。写実的なのに名前を剥ぎ取られてんのが、あかんかったんかなあ?

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