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なんとなくぼんやりと、チトーが十二国記の王(不老不死の独裁者)だったら良かったねと、なんとなく、なんとなく思った。

一週間ちょっとのこととは言え、冷蔵庫がないのはつらいなあ。
肉・魚はダメでしょ。牛乳もダメでしょ。もやしと豆腐もダメでしょ。葉物野菜とヨーグルトも厳しいでしょ。冷凍おうどんも早く食べてしまわなきゃ。

久方ぶりにえらい口内炎ができてしまって、きつい

今日は啓蟄らしいんですけど、寒いですね。雨もじゃんじゃか。

自分に何もなさ過ぎて、妬ましさと情けなさですぐに心が荒れがち

新しい冷蔵庫は1週間後に来ます

これを素直にいい話に思えないのは、民間委託経営なのでちゃんと資格を持った司書さんを雇ってくださってるのか心配なのと、フレキシブルな木箱式の書架が地震の時に怖いのとで。
積み上げ式の本棚はすぐ止めて欲しい。登る子は登っちゃうし。
realpublicestate.jp/post/libra

文庫本の装幀画が、モネの朝靄の風景画なのですが、そんな感じで芒洋としていて光を眺めているような文章です。
これこれこういうことがあった。私はその時これこれこう思った。とセットになってる文章なので、わりあいにするするっと読めます。

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生母を早くに亡くし、正妻との折り合いが悪く、父親を父と呼ばない異母兄である長兄の、形骸だけ保ってて壊れてる感じが最高です。主人公は屈折するだけで壊れることもできてない。
仲が悪いわけではないのですが、お前はあの妾の子ではないよ、と意味不明な呪いをかけてくるんですよね、お兄ちゃん。
主人公の家は孔雀を飼っていたことがあるのですが、空襲で燃えます。後に、父親に廃嫡されることに成功したお兄ちゃんですが(でも勤め先は父親の会社なんだよ、怖いね)、雨漏りのする家の庭先で孔雀を飼っていて、逃げてと逃げられない父親の色濃い影を感じて、グッときますね、滾りますね!

作中で主人公は幾度となく、自分は父親と母親とは違う人間だ、ぼくはぼくだと主張します。それは反抗であったり精神的な支柱であったり諦観であったりするのですが。
最後、主人公は「ぼくはぼくだ」という自己認識すら手放します。
主人公の母親は、己の境遇を源氏物語と重ね合わせること(それと、士族の出であるという矜持)によって、辛うじて自己を保っています。主人公はそれを、文学への逃避だと見做しています。
しかし革命に挫折した主人公は(父親の扶養の下)、文学を研究する道へ進むもうと、最終章で思うに至るのです。

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辻井喬『彷徨の季節の中で』読了。
一言で言えば、青春の蹉跌、家父長制の家に反発し学生運動に打ち込むも挫折する話。幼少期から思い出を綴っていく、著者のデビュー作にして自伝的私小説。

挫折の仕方がバキッと音を立てて折れる感じではなく、カスっと手応えなく折れる感じで、そういう弱い我しか張れない主人公の話です。
主人公は妾の子として生まれ、妾を囲うような父親を憎み、妾に囲われるような母親を疎み、そのような父母の子として生まれた自分を不潔だと厭います。
父親に反抗しようとして仕切れず、その死を願いながらも父親が急な病に陥れば夜中に医者の門を叩きます。
父親は囲った妾の家の女中に手を出し、それに母親は気付いているという、地獄のような有様なのですが、読み心地は意外と爽やかです。それは、主人公が地獄の渦中にありながら、自分の立ち位置を当事者に置かず傍観者に置いているからでしょう。そういう屈折の仕方です。

サミットについて、あの宮澤喜一からアドバイスをもらう、村山富市。
これ、宮澤さんの萌えエピソードだと思う。
(薬師寺克行編『村山富市回顧録』より)

3月3日、村山富市生誕100周年
トンちゃん、100歳のお誕生日おめでとう!!

やっぱこのショッピングモールの沿革、じわじわくるなあ。なんで続いてるんだろう?
ja.wikipedia.org/wiki/グランモール

僕は教養に乏しいからね、いろんなことをみんなに教えてもらいたいね。
親の本棚がなかったし、進学した学校は「ここに文化があると思うな」と先生が言ってたしね(文化祭がなかった)。

クリスマスケーキ買った時にもらった割引券がお財布の中に入ってるから、忘れないうちに使わなくっちゃ。

ペカペカに良か天気やけど、寒い!

おうちに帰るなり、買い換えたばかりの冷蔵庫が壊れたことを知らされる。夏じゃなくて、良かったね。

星のように水仙が咲いている

寒い🥶。明日のお散歩は中止にしよう。

桜って、卒業式の頃にはまだ咲いてないし、入学式の頃には散っているしで、概念寄りの花だよね。

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