で、その流れってわけでもないんですが、今日はムニ『ことばにない』前編の上映会へ。
小劇場系としては私の知る限り初かも?というレズビアンがテーマの作品。もっと早くにこういう作品が生まれていてもおかしくなかったのに、と感じてしまうけれど、まさに今まで生まれてこなかったところが日本演劇の闇だと思う。
気持ちいいほどのAiAオマージュで(元演劇部という設定だし作品名を台詞に入れるみたいなはっきりしたレファレンスが作中あってもいいかなとは思った。好みかもだけど)、The Inheritanceにしても、あの骨太な長編ファンタジーに託してセクシュアリティを語りたいという欲望みたいなものが作家にはあるのかもしれない。でも、AiAのようなスケールの壮大さというよりは、もっと身近な私小説的な部分にフォーカスがあって、そこにThe Inheritanceと近いものを感じたし、日本演劇的とも思った。
書きたいものが強く伝わる良作で、でも全体的な技術面が追い付いていないという印象。超若手の劇団に求めすぎなのはわかってるけど、色んな部分に惜しさを感じてしまった。でも、じゃあ今良い役者良い演出を揃えたらいいかってことでもなくて、この座組全員が育った時にまた観てみたいなと思った。
全然何も書いてない間にAngels in Americaを読み終わり、さらにThe Inheritanceも読み終わりました。エイズテーマ超長編二作。でも長いからこそ、なのか、どちらもめちゃくちゃ読みやすかった。英語や語彙がわかりやすいってだけじゃなくて、エンタメ性というのか、引き込む力があるんですよね。
#オンライン英語圏戯曲読書会
病気は人を差別しないけれど、人は人を差別するしそのために人が死ぬのだ、ということは、後半のロイとベリーズのやりとりや治験薬を手に入れる流れとかとも合わせてもう少し考えたい。
しかし、新国立は本当にこれをやれるのだろうかという不安が読み進めるたびに、そして公式の告知やプレスを見るたびにふくらんでいくんですが。通しのチケット買いましたけども、ねぇ。
Angels in America, Part1, Tony Kushner
現代演劇の戯曲としては最長の作品の一つでは?全4回にわたって読んでいますが、そのパート1。物語の背景や人物相関図を提示するような作りではあるものの、エンターテイメント性が高くて全然退屈しない。参加者の一人から、戯曲として読みやすかったというコメントもあったのだけど、確かに過不足なく情報が書かれていて場面転換が多いわりにすんなりと舞台がイメージできる。
印象に残る人物はロイ・コーン。誤解されるかもしれないけどこの戯曲で私の一番好きなキャラクターで、作品を見返す度になぜこの人はこんな言動をするのかと考えるのだけど、エイズを宣告された時にロイが自分は同性愛者ではないと啖呵を切るロジックが今回ようやく理解ができたかもしれない。理解と言ってもそのロジック自体の整合性ではなく、それに続く医者の、それでもエイズに感染した事実を確認する冷静な言葉の意味が腑に落ちたからだと思う。
エイズとコロナをパラレルに理解することには慎重にあるべきだと思うのだけど、しかし私自身の経験の中でウイルスが容易に人を殺すという事実を実感させたのはパンデミックが最初でもあるので、どうしてもそこを経由して考えてしまう。
したため『擬娩』
妊娠の経験をシュミレーションするという実際の儀礼をモチーフに4人の俳優がその過程を見せる。徹底して身体的・動物的な感覚の語りで構成されていて、だからこそ男性の俳優もその経験を自分のものとして想像し演じることがやりやすくなっていると思う。逆に言えば、文化的・社会的な言説は終盤まで抑制されていて、途中少し物足りなく思っていたら、ラストの儀式の場面(黒魔術的な)で妊娠をめぐる社会的な抑圧への呪いがあふれ出てきて、そこにカタルシスがあった。
とはいえ、リプロダクティブヘルツライツをめぐる日本の状況を思えば、作品の大部分を身体性に徹して妊娠にアプローチすることがどこまで有効か、とは少し考えてしまう(作品が悪いのではなく今の政治が悪いのだけど)。医療技術的にはある程度解決できる身体的な苦痛が、法制度や経済的な理由で簡単にはかなわないということが多々ある現状を思うと(例えば経口避妊薬のOTC化が問題になるところとか)やっぱり社会的な価値観の部分をまず問わなければ、という思いが個人的にはあるけど、これは好みの問題かも。
だからこそ、主君への忠義のために家族を殺してしまう「押上植木屋」「郡司兵衛内」で、岡田さんがはっきりと「歌舞伎ってよくわからん」ということを登場人物に言わせているのが、現代に沿わない価値観はここだよなとめちゃくちゃ納得できた。歌舞伎だけではなく古典の現代版上演で理解しがたいのは性差別や人種といった今の社会で話題になる問題よりも、王制とか武士道/騎士道とか儀礼とかじゃない?と個人的によく感じていたので、このメタ的な言及は面白かった。
岡田さんは当パンの中で自分は原典の翻訳をしたのだ、と書かれているのだけど、確かに「翻案」というよりもその言葉が近い印象を受けた。素人ながら、台詞の言葉も歌舞伎の様式の諸要素も、ほぼ一対一対応に愚直に置き換えたのではないかと思う。大向こうまで舞台に取り込んでいたのがすごく面白くて、この慣習も含めて歌舞伎なのだなと思いつつ、歌舞伎の観客と今劇場で観ている観客の連続性をないものとするかのような大胆さにも驚いた。でも、あの大向こうさんを見世物的に眺める感覚は、歌舞伎座に行くのは数年に一度、くらいの人間には結構リアルで、自分の観劇体験を改めて振り返ったりも。
木下歌舞伎『桜姫東文書』
予習のために原典のあらすじを確認したとき、転生女体化ものの創作BLでめっちゃありそうなストーリー、と思ったのだけど、実際木下さんと岡田さんのトークイベントの中でも21年の歌舞伎座公演でもオタクが萌えたと言われていて笑ってしまったw
古典の翻案において、現代においては保守的差別的とされる設定やプロットをどうアップデートするかは重要な焦点の一つで、当パンでも木下さんがジェンダーや障害に少し言及してたりする。でも、上演としてはそのプロットに批判的な言及がある風でもなくて、私はそれが良かったと思った。つまり、(お二人のインタビューの言葉を借りれば)「アンモラル」な部分を、エンタメ的に消費/消化してしまうところって今の私たちにもあって(BLつながりで言うなら例えば同意のない性行為から関係が始まる創作は結構多い)、そういう不謹慎さを過去のものとして突き放すよりも、その感覚を理解できてしまうとするところに今回の翻案の意義があったように思う。性や障害、家父長制みたいなテーマにおける差別に関するモラル/倫理観が、少なくとも今の日本の社会の感覚では劇的に変わったとも思えないし、その意味で歌舞伎原作を現在と切り離す解釈は逆に無責任かもしれないとさえ思う。
Danai Gurira, Eclipsed
第二次リベリア内戦下で兵士たちの性奴隷として生きる女性たちを描いた中編戯曲。2016年のオビー賞受賞作でした。
個人的に一番面白かったのは文体。大部分の登場人物の台詞がリベリア英語で書かれており(訛りをそのまま文字に起こしていて、RPで書いて「リベリア訛り」のようなト書きがついている形式ではない)、対してト書きはいわゆる米語で書かれている。この劇世界(登場人物同士の会話)とト書き(作者から観客/読者への文章)の切り分け方のクリアさは、意外と他の作品では見ないと思う。それは、突き詰めるとリベリアの抑圧された女性の表象と作者を切り分けるものでもあって、それを無責任さととるか作者という特権的な立場に対する誠実さととるか評価は分かれるかもしれないけど、私は後者ととった。「英語」というある意味普遍的でかつ地域性の強い言語だからできる文体でもあると思う。
ついト書きを意識してみちゃうと会で話したら面白がられてしまった。えっみんな気にならないのかぁ、と自分の戯曲フェチ?に気づくのも楽しい。
An Octoroon後半
面白かった。異化効果の入れ込み方がすごく好みで、演劇的な要素の見せ方と人種問題の批判との絡ませ方が素晴らしいなと思った。シーン3で、ブレヒト的すぎるかも…と投げやりな感じでぼやきだす作者のト書きとか最高に好き笑。
ただ、だからこそ「どう上演するの?」って問題は会でも話題になったところ。ホワイトフェイスで主要キャラクターを一人二役、みたいなことって文字の上で読むうえでは面白いけれど、実際の上演では観客が冷めることなくその無茶苦茶さを楽しめるのかなとか。
あと、女性キャラクターがこうした異化効果演出に関わらないところも指摘があった。ジェンダー差でドラマとメタのコントラストを生むためとも言えるし、翻案としてのアップデートが出来てないとも言えるし。
黒人問題にクリティカルな作品は現状どうしても日本での上演が難しいのだけど(英米間のトランスファーでさえ時に限界があるとも思う)、だからこそ改めて戯曲を読むというのは大事なアプローチだよなと思う。
青年団『日本文学盛衰史』
初演も観ているのだけど、今回は良くも悪くも明治~大正期の東京の文豪の…、というスペシフィックな話という風な理解が深くなって「文学とは」みたいな普遍性は弱く感じた。その見え方の変化は特に再演によるものではなく、留学の成果という個人的な要因かも。
各場それぞれの時期の作家たちを取り巻く状況の細かな描写と大振りと勢いの時事ネタのコントラストが割とはっきり見えて面白かった(作品の構造を知ってた有利さもあるか)。逆に四場後半は(戦後文学から大江、村上の言及を経たとしても)そんな普遍的な話につながる?と浮いていたような印象。明治の作家の考える文学や国語の問題は宇宙にまで飛ぶだろうかと、それを普遍なものとするならもう何段階か語りが要るだろうと、西洋かぶれ的には思ってしまったというか。
言ってしまえば、そういう日本文学史観はちょっと古いよねってことでもあるんだけど、オリザさんの作品の保守的な部分って、どこまで確信犯的に書いているのか測りにくいところもあって(それも含めての確信犯だと思うけど)だから批判しにくいよなーってのはよく思う笑。
とはいえ、とても面白かった。青年団作品の中では突出して賑やかなのも好きなところ。
遅れに遅れて、2022年舞台作品個人的ベスト5(順不同)。
Jerusalem (Jez Butterworth, Ian Rickson, Apollo)
Medea (Liz Lochhead, Michael Boyd, Edinburgh International Festival)
Tanz (Florentina Holzinger, BAC)
Lullaby for Scavengers (Kim Noble, Soho)
Not One of These People (Martin Crimp, Christian Lapointe, Royal Court)
あと、2021年ですがナショナルシアターのThe Normal Heartの再演がとてもよかったということは改めて書いておきたい。劇場が完全再開しきってない時期の作品で言っとかないと埋もれてしまいそうなので。
Jerusalem (Jez Butterworth)
Europe (David Graig)
Translations (Brian Friel)
Beat the Devil (David Hare)
Home, I'm Darling (Laura Wade)
King Charles III (Mike Bartlett)
Leopoldstadt (Tom Stoppard)
An Octoroon (Branden Jacobs-Jenkins)
ear for eye (debbie tucker green)
Straight White Men (Young Jean Lee)
Love and Information (Caryl Churchill)
Making Noise Quietly (Robert Holman)
Romans in Britain (Howard Brenton)
Our Country's Good (Timberlake Wertenbaker)
Equus (Peter Shaffer)
Iphigenia in Splott (Gary Owen) (Shedinburghのオンライン配信を見る会)
East is East (Ayub Kahn Din)
The Normal Heart (Larry Kramer)
A Very Very Very Dark Matter (Martin McDonagh)
2021年1月から、友人とマイペースにクローズドなオンライン読書会を続けています。(面子的にイギリスがメインではありますが)英語圏の主に翻訳の出ていない戯曲を読もうという企画で、それなりに数を読んできたし一度リストをまとめておこうと思いました。振り返るとなかなか面白い作品の並びなのでは?と自画自賛です笑。
クローズドな会なので具体的なディスカッションの内容は書きませんが、やりっぱなしももったいないなと思っているので、私の感想くらいは今後は簡単に記録できれば。
ハッシュタグがあると読み返すのに便利そうなのでとりあえず→ #オンライン英語圏戯曲読書会
今年もイギリスでお正月過ごしてたらなーと思ったヨネダのネタ。
あと、流れで参加したポストトークも面白かった。自身の作品製作を'scripting courage'と表現するのがなるほどと思ったし、後半は観客と今のアーツカウンシルの現状についての意見交換的になっててそれも興味深かった。
おそらく関係者の方の話で、10年くらい前にイングランド北部の小劇場が予算削減で廃止に追い込まれ、その地域のアーティストが活動の場を求めてロンドンに移ったのに、それが今になって地方活性化のために北部へ移れという方針転換となっているのがとても理不尽だと。
マコーミック、NTの嵐が丘で主演して、来年もグローブ座のタイタスに出演で、メジャー路線での活躍が華々しいですが、個人での作品もこれからもめちゃくちゃ期待です。
とりあえずのアカウント。同じユーザーIDとアイコンでツイッターにいます。