演習の授業でAiAを読んでいる。今日発表した学生が、ハーパーが南極に行くシーンを現実の南極に行っていると解釈をしていて、あれ?と思って確認してもリアルの南極だと言う。私はハーパーの精神疾患からくる幻覚と思っていたので、じゃあリアルか幻覚かもグループディスカッションで考えましょうということにした。
話し合いの様子やその後の各グループの意見発表を聞いていてハタと腑に落ちた。つまり、ハーパーの南極行きを幻覚と考えるのなら、プライアーが天使と遭遇したり燃える預言書を授かったりというのは幻覚とは考えないのかという問題なのだ。それはとても本質を突いた指摘だと思う。天使と出会ったり預言を聞いたり、幽霊や先祖と遭遇したり、イマジナリーフレンドと南極に行ったりと、現実の世界から乖離した場面がたくさん出てくる中で、観客/読者が何をリアルと思って何を幻覚とするのかは、つまり作中のどういう要素を重要視するかという問いなのだと思う。そしてそのことはエイズ禍の混乱で優先されたもの捨て置かれたものの判断にも繋がるような気がして、だからハーパーの南極の場面も、(どのように上演するかはまた別の問いとして)ちゃんとリアルなのだと受け止めなければなと。面白い視点をもらったなぁとほくほくして帰宅。

ゲイの登場人物が軒並み「おねえ」っぽい演技になってたの、いいのかなぁとは思いながら見た。難しいのは、この作品はベタな恋愛物語を確信犯的にやってるように思うからで、その意味でステレオタイプ的なものって単純に悪いとは言い切れない気がして。でも、コミカルなシーンになった時にあれ?と思うことは多く、笑いを作る上で踏み越えていいラインがあいまいになってる気はしたので、この演技は良しとしない方がいいのかもしれない。
俳優は正直ピンキリ。下手なのはもうしょうがないし下手な人ばっかりとも言わないけど、さすがに演技プランが共演者とちぐはぐなのでは?と感じる人はいた。ヘンリーとマーガレットで特にかみ合わなさを感じた。エリック役の福士さんは好演でした。
あとまぁ、これはイギリス版もそうだったっぽいので仕方ないのかもしれないけど、この話、美男子ばっか揃えないかんのですかね?こう少女漫画のようなキラキラキャスト感ってこの戯曲が求めるもののような気がしつつ、でもそういう華じゃないのが見たいんだよなぁと。これはそもそもの戯曲に感じる好みかもしれません。

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『インヘリタンス』東京芸術劇場
面白かったけどいろいろ言いたいところが残る上演という感じ。致命的にダメなわけではないけど、細部の手の届いてなさは単なる未熟さではなく知識や理解が及んでいないからではないかと考えてしまう。そういう意味では新国のAiAの印象に近い。でも演出自体はオリジナルとの違いをちゃんと作れているのかなとも思う。(私は戯曲既読、ロンドン公演見れずですが、当時の写真や批評を見る限りでは)
やっぱ面白い戯曲だなと思った。ゲイ男性のみにフォーカスするところは全面的に乗れない部分もないではないんだけど(これは今回の上演とは別で、戯曲の話として)エイズの経験をどう現代で考えるかって部分のアクチュアリティは本当に上手い。ゲイとしての生の継承が家や場所(ウォルターのお屋敷だけじゃなくエリックの祖父母のアパートとかも)をモチーフに展開する部分は上演で見てクリアになった部分も大きい。
エリックが友人たちと政治の話をするシーンが好きで、政治や選挙が彼らの日常の一部としてちゃんとあるのが良いなと思う。ので、今回の上演でそこにたどたどしさが残るのは一番残念だった。
初日だし大長編だしとは思うけど、台詞嚙みすぎよ…。飛んだか?とヒヤッとする場面さえあったし…。

外地の三人姉妹の感想、わかりやすく酔っぱらって書いてるなと思うんですが、口調がちょっときもいですね私…。

コンプソンズ『岸辺のベストアルバム!!』
千秋楽に当日券滑り込みで行ったんだけど見れて良かった。面白かったです。
幼稚園の息子が同級生で同じ名前、しかも自分たちも「夏」「秋」「冬」とそれぞれ季節が名前に入っていると意気投合したママ友たちが10年後歌舞伎町で奇妙な再会をし、ところでどうもその息子たちのうちの一人が14歳で殺人事件を起こした少年Aらしく、一方そのころその歌舞伎町で新しくできたホストクラブの店長と姫が新宿に巣くう魔物の話を語りだして…?みたいな導入から始まるファンタジー的な話なんですが、がっつりストーリー性のあるドラマをサブカル要素てんこ盛りのコメディにしてやり通すエネルギーと脚本の達者さが良かった。ザ・ポストモダンなテイストだと思うんです。第三舞台とか遊民社(NODAMAPパロディは実際に出てきてましたが笑)とか80年代小劇場のそれで。だから特にメタフィクション的なナラティブの作り方なんかは決して新しいというわけではないんだけど、きちんと令和のセンスにアップデートしてて(誉め言葉にはならないかもしれないけど誉め言葉として言うんですが)鴻上さんが今新作書くとしたらきっとこういう感じという印象。そういう意味では往年の小劇場というのか、戯曲の力と役者の勢いで見せてる快作でした。

チェーホフの四大戯曲を全部翻案してくれるのかしらとほのかに期待を抱きつつ。
ソン・ギウン&多田淳之介の翻案で気づかされるのは、チェーホフの作品ってどれも田舎の(しかしながら一部の人々には魅力を感じさせる)土地に行かざるを得なかった人の話なんですね。当時のモスクワと地方との関係もそういうものだったのかな、と翻案からさかのぼって想像できる。

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『外地の三人姉妹』
めちゃくちゃ良かった。初演の評判を聞いていたし『かもめ/カルメギ』もとても面白かったから期待していたけど余裕でそれを上回るクオリティで。
日韓関係の政治的なテーマの描き方の素晴らしさはもちろん、チェーホフの原作の理解がめちゃくちゃクリアになるのが翻案として傑作だなと思う。
私、チェーホフ作品でしっくりこないことがたまにあって、その理由の一つは舞台設定が遠く感じてしまうことなんですよね。三人姉妹も、モスクワへの憧憬とか軍人の登場人物の多さとかが、自分の理解の範疇に上手く降りてこない感じがあるんですね。それが、翻案による設定変更によって見事に筋が通ると言うか、こう読めばよかったのか!って発見があった。
中でも三幕の火事の場面ってずっとよくわかんなかったんです。ただの事故以上に意味が取れなくて、というかもしかすると原作でもただの事故としてしか描いてないのかもしれないけど。でも、今回は火事自体は物語上は事故だとしても、それによって朝鮮人への差別が浮かび上がったり、軍人たちの精神的な圧迫感や戦況の悪化を匂わすドラマツルギー上のとても良い仕掛けになっている。ここは原作よりも良いなと思ってしまった笑。

なんか、めっちゃこういうことをしゃべりたいんだよな。留学中の方が(コロナで人に会えないってのもあって)積極的におしゃべりしましょと絡みに行ってたけど、なまじ帰国して忙しくなった分しゃべってる時間は長くなったけど自分の考えを離す機会は減ったのかも。

東京の演劇、留学行く前は、退屈だなと思う時ももちろんあったけど、無理って思うことはごく限られた作品だけだったと思う。私の見方も変わったのだろうし、東京の演劇シーンも変わったのかもしれない。(作品の中身だけの話ではないけれど、やっぱりコロナ禍を経ての変化はこの一年とても感じた。)
あと、もしかして東京だけの話かもしれない?とはちょっと思っている。他の地域の作品を観れているわけではないのでこれこそ感覚的な判断だけれど、まぁここはもう個人の感想です、で済ませてください…。
最初の投稿の「自分の中で結構これはまずいんじゃないか」っていうのは、私の感覚がやばいかもって感じているって話です。まぁ開き直ってますが。

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もちろん作品での表現は何やったって自由ですよ。でも私の留学中くらいから日本の演劇界でもPCとかハラスメント防止とか、あるいは社会問題への関心配慮があることをみんな表に出すようになって、それなのに?ってやっぱり思うんですよ。私はどちらかというと作家と作品は別と考えている人間で、だから自分でも矛盾していると思うけど、あなたの想像する世界の中に世の中のことそんなに入ってこない?ってやっぱり思っちゃう。意識的に切り離しているのかもしれないけど、だとすればその社会と関係を持たなくなってしまった作品をなんで私が(作家にしたら個人的な関係もなく世の中の一人でしかない私が)観なきゃいけないんだと思ってしまう。そういう作品に特別の説得力を感じられないな、と思いながら一年近く経った。
ただ、理由や根拠みたいなものを求めるようになってしまったのはイギリス演劇に慣れたからだなとは思う。イギリスの作品を理屈っぽいなと思うこともないではないし、ロジックがないからこそ日本の演劇が面白くなった側面もあるとは思う。だから出羽守にはなるまいというのは一番気を付けてる。でも、このまま東京の演劇に慣れたとしてまた楽しめるようにはなるかもしれないけど、だからといってイギリス演劇はダメだなという評価にはならないと思うんですよね…。

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これはただの愚痴なんですが、帰国していわゆる東京の小劇場の若手、中堅と言われる世代の作品を観て、意味がよくわかんなくて帰ってくるということが観劇したうちの7割くらいの作品で起こっていて、自分の中で結構これはまずいんじゃないかと感じていたりする。でも、「愚痴」と書くように、そこにはちょっと開き直りもある。特定の劇団、アーティストがまるっとダメというわけでもなくて、同じ人の作品でもAの作品は楽しめて、Bはダメみたいなことも良くある。
一つはっきり原因が説明できるのは、いろいろなレベルでのナイーブさを私が受け付けなくなってること。本当に政治に興味ないんだろうかと思わざるを得ないぐらい、作中に社会性のあるワードが出てないことに苛立ってしまう。テーマどころではなく、言葉の一言レベルで出てこなくて、フィクションにしたって本当に作り手の頭の中にしかない世界じゃないかと思ってしまう。良く書けるなとさえ思う。
もう一つは、理由や背景がわからない演技や演出がとても多いこと。感覚的に動いた・話した、と言ってしまえばそれまでだけど、その直感的な選択にあなたの(政治的な)価値判断がないとはいえないでしょう、とは思う。単刀直入に言えば、身体障害にリファレンスがあるとしか思えない動きって帰国して何度か見た。

全然感想を残せてなくてあれなのですが、読書会はちゃんと続いてます。なので、読んだ作品の一覧だけでも。(前回のリスト fedibird.com/@navyblue85/10965 
fedibird.com/@navyblue85/10965 の続き)

Eclipsed, Danai Gurira
Angels in America, Tony Kushner
The Inheritance, Matthew Lopez
The Motive and the Cue, Jack Thorne
Death of England, Roy Williams
Death of England: Delroy, Roy Williams
Ink, James Graham

[参照]

スウィングキャスト回でしたが、満足して帰ってきました。でもアフタートーク聞いた後だと富樫役は本キャストでも見たかったかも。
アフタートークは杉原さん木ノ下さんに本キャストの岡野さん坂口さん。スウィングキャストの試みのお話でしたが、実験的で興味深い。ダブルキャストやアンダースタディとはどう違うのか気になってたんですが、キャスト固定で再演が重なる作品では新しいメンバーがいい刺激になるようだし、あとメンター的な若手俳優の教育的な側面もあるようなのが面白かった。(スウィングの俳優さんは義経弁慶以外の5役のフォローをするのだけどスウィングキャスト版の役柄として富樫と常陸坊海尊を中心に稽古されているみたいで俳優さん同士の交流も密だったらしい。)ウェストエンドとか商業演劇のアンダースタディは結構システマティックにやっていると思うけど、これはある意味で日本的な劇団制度の中で成立するような試みを思いつかれたのかなと思う。コロナ禍を経て代役問題が直面する中で良い制度を考える上でとても良い実験だったと感じました。

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木ノ下歌舞伎 勧進帳
再演を重ねている作品ですが今回が初見。面白かったです。私の歌舞伎での初勧進帳は、富樫が実は山伏たちの正体を察した上であのやりとりをしているという富樫と弁慶の頭脳戦という解釈のもので(一緒に行った友人にこれはオーソドックスな解釈ではないという話は聞きました)勧進帳はそういう話だと思い込んでおり、だから今回の富樫の友達いなさそうなぼっちっぽい感じが新鮮に感じた。逆に歌舞伎の本流の解釈も気になったり。
頭脳戦解釈でいたので、国籍やジェンダーのボーダーラインという解釈はあまり思いつかなくてそれも面白かった。でも、勧進帳のボーダーは比喩としてとるなら国境や難民かなと思うし、偽装してそれを乗り越えるという物語にあまり詰め込みすぎない方がともちょっと思う。
義経の高山のえみさんのたたずまいが良かった。私の席からはちょうど目元が笠で隠れて口元だけが見えて、何を考えているかはっきりとはわからないんだけど、でも良い部下を持って満たされているような表情というのか。弁慶のリー5世さんも、いかつさとインテリジェンスと愛らしさが備わっていて魅力的。あと、番卒と義経の部下が表裏の関係のように見せてるのがとても気に入りました。ダンス的な部分でもここが綺麗。

あと、最近観たものだと捩子ぴじん『ストリーム』も良かった。コロナ禍の捩子さんの私生活を淡々と語るパフォーマンス。コロナという背景があって、結婚やお子さんが生まれたりというかなり大きなイベントがあって、でも語りは流れるように滑らかで穏やか。
コロナ禍を描いた作品って実は意外と出会ってなくて、私が単に見逃してるわけではなくてそもそも数がないと思ってる。イギリスでもほとんど見なかったし、日本でもたぶん少ない?それも、D.ヘアのようなガチガチに政治的メッセージを込めた作品ではなくて、毎日の生活という部分にフォーカスをあてたものは初めて見た。
私はコロナ禍で過ごした3年弱くらいをめちゃくちゃきつい時間だったと思っていて、何事もなかったみたいな生活モードに戻っていることにいまだに頭がバグりそうになるんですね。でも、囚われたままでは生活が回らないので普通なふりをするんですけど、ずっと「こうじゃなかったのでは」みたいなのが過ってる。留学と重なったことも大きいかも。そういう上手く吐き出せないけど抱えている思いを描いてくれた作品だと思って、今のタイミングで観れてとても良かったです。

で、その流れってわけでもないんですが、今日はムニ『ことばにない』前編の上映会へ。
小劇場系としては私の知る限り初かも?というレズビアンがテーマの作品。もっと早くにこういう作品が生まれていてもおかしくなかったのに、と感じてしまうけれど、まさに今まで生まれてこなかったところが日本演劇の闇だと思う。
気持ちいいほどのAiAオマージュで(元演劇部という設定だし作品名を台詞に入れるみたいなはっきりしたレファレンスが作中あってもいいかなとは思った。好みかもだけど)、The Inheritanceにしても、あの骨太な長編ファンタジーに託してセクシュアリティを語りたいという欲望みたいなものが作家にはあるのかもしれない。でも、AiAのようなスケールの壮大さというよりは、もっと身近な私小説的な部分にフォーカスがあって、そこにThe Inheritanceと近いものを感じたし、日本演劇的とも思った。
書きたいものが強く伝わる良作で、でも全体的な技術面が追い付いていないという印象。超若手の劇団に求めすぎなのはわかってるけど、色んな部分に惜しさを感じてしまった。でも、じゃあ今良い役者良い演出を揃えたらいいかってことでもなくて、この座組全員が育った時にまた観てみたいなと思った。

全然何も書いてない間にAngels in Americaを読み終わり、さらにThe Inheritanceも読み終わりました。エイズテーマ超長編二作。でも長いからこそ、なのか、どちらもめちゃくちゃ読みやすかった。英語や語彙がわかりやすいってだけじゃなくて、エンタメ性というのか、引き込む力があるんですよね。

病気は人を差別しないけれど、人は人を差別するしそのために人が死ぬのだ、ということは、後半のロイとベリーズのやりとりや治験薬を手に入れる流れとかとも合わせてもう少し考えたい。

しかし、新国立は本当にこれをやれるのだろうかという不安が読み進めるたびに、そして公式の告知やプレスを見るたびにふくらんでいくんですが。通しのチケット買いましたけども、ねぇ。

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Angels in America, Part1, Tony Kushner

現代演劇の戯曲としては最長の作品の一つでは?全4回にわたって読んでいますが、そのパート1。物語の背景や人物相関図を提示するような作りではあるものの、エンターテイメント性が高くて全然退屈しない。参加者の一人から、戯曲として読みやすかったというコメントもあったのだけど、確かに過不足なく情報が書かれていて場面転換が多いわりにすんなりと舞台がイメージできる。
印象に残る人物はロイ・コーン。誤解されるかもしれないけどこの戯曲で私の一番好きなキャラクターで、作品を見返す度になぜこの人はこんな言動をするのかと考えるのだけど、エイズを宣告された時にロイが自分は同性愛者ではないと啖呵を切るロジックが今回ようやく理解ができたかもしれない。理解と言ってもそのロジック自体の整合性ではなく、それに続く医者の、それでもエイズに感染した事実を確認する冷静な言葉の意味が腑に落ちたからだと思う。
エイズとコロナをパラレルに理解することには慎重にあるべきだと思うのだけど、しかし私自身の経験の中でウイルスが容易に人を殺すという事実を実感させたのはパンデミックが最初でもあるので、どうしてもそこを経由して考えてしまう。

したため『擬娩』
妊娠の経験をシュミレーションするという実際の儀礼をモチーフに4人の俳優がその過程を見せる。徹底して身体的・動物的な感覚の語りで構成されていて、だからこそ男性の俳優もその経験を自分のものとして想像し演じることがやりやすくなっていると思う。逆に言えば、文化的・社会的な言説は終盤まで抑制されていて、途中少し物足りなく思っていたら、ラストの儀式の場面(黒魔術的な)で妊娠をめぐる社会的な抑圧への呪いがあふれ出てきて、そこにカタルシスがあった。
とはいえ、リプロダクティブヘルツライツをめぐる日本の状況を思えば、作品の大部分を身体性に徹して妊娠にアプローチすることがどこまで有効か、とは少し考えてしまう(作品が悪いのではなく今の政治が悪いのだけど)。医療技術的にはある程度解決できる身体的な苦痛が、法制度や経済的な理由で簡単にはかなわないということが多々ある現状を思うと(例えば経口避妊薬のOTC化が問題になるところとか)やっぱり社会的な価値観の部分をまず問わなければ、という思いが個人的にはあるけど、これは好みの問題かも。

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