An Octoroon後半
面白かった。異化効果の入れ込み方がすごく好みで、演劇的な要素の見せ方と人種問題の批判との絡ませ方が素晴らしいなと思った。シーン3で、ブレヒト的すぎるかも…と投げやりな感じでぼやきだす作者のト書きとか最高に好き笑。
ただ、だからこそ「どう上演するの?」って問題は会でも話題になったところ。ホワイトフェイスで主要キャラクターを一人二役、みたいなことって文字の上で読むうえでは面白いけれど、実際の上演では観客が冷めることなくその無茶苦茶さを楽しめるのかなとか。
あと、女性キャラクターがこうした異化効果演出に関わらないところも指摘があった。ジェンダー差でドラマとメタのコントラストを生むためとも言えるし、翻案としてのアップデートが出来てないとも言えるし。
黒人問題にクリティカルな作品は現状どうしても日本での上演が難しいのだけど(英米間のトランスファーでさえ時に限界があるとも思う)、だからこそ改めて戯曲を読むというのは大事なアプローチだよなと思う。
ほとんど思い付きの解釈だけれど、ジョージとマクロスキーが一人二役でホワイトフェイスで演じられていて、しかもそれを演じるのが作者自身のキャラクターを演じる役者とも同じ。こうした仕掛けの前提がある中で、この二人が殴り合いのけんかをするという場面って、ひとりの人格のうちに大きな分裂があること印象付けるというか、言い換えれば黒人差別が矛盾の上でしか成り立たないということをパフォーマンスで見せることができるのかなと思った。