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Lucy & Friends
Lucy McCormickの新作。過去作と違って今回はキャバレーショー的な作品でした。パンデミックで予算もないし共演者は作品を降りるし…しょうがないからソロパフォーマンスやるのでついてはお客さんには私と友達になって作品を手伝って欲しい!みたいな導入。もちろんそんな微笑ましいわけはなくw
ポールダンス(?)ありポルノありシングアロングあり猫ちゃん(?)あり、一方で観客にナレーションを読ませたり小道具持ってこさせたり、大変のびのびとしたパフォーマンスw もちろん過激な場面も少なからずあるのだけど、マコーミックの客いじりの技術と持ち前の人懐こさがしっかりまとめ上げてる。マコーミックのユーモアで私が好きなのは、急発進急ブレーキ的な間の取り方と、(たぶん専門的に学んだと思われる)フェミクィアイシューのランティングの勢いとロジカルさ。ナラティブのしっかりしたPost Popularの方が作風の好みではあれど、今作もここは十分堪能できました。

Liz Kingsman: One Woman Show
初演から各紙大絶賛ではあったのですが個人的にはいまいち…。Fleabagのパロディと言われているように、Kingsman自身(というキャラクター)の仕事やプライベートのエピソードを自伝的パフォーマンスの形式で語っていく一人芝居。上演の記録映像を撮るという設定が一つ乗っかってメタシアターの要素も入れている。ただカメラの存在やスタッフ役の導入のために、表現としてはスタンダップのフォーマットに徹したFleabagよりも安易に見えてしまったし、作中のエピソードもいわゆる「嫌な女」像を強調するタイプのジョークが多くて冷めてしまう。
何より、演出やジョークも含めて露骨にPhoebe Waller-Bridgeを意識させる部分が多く、その物語的にも作品コンテクスト的にも女が女を妬むのを面白いとする感じが、Fleabagが描いたフェミニズムの良さをダメにしてる感じがして苦手でした。
あと、機材トラブルに悩まされるという設定はウエストエンド公演ではかなり無理がある気も。こればかりはソーホーで観たかったなぁと思いました。とはいえ、各紙レビューの絶賛っぷりがすごくて、ここまで食い違うと、私何か見落としてるかな汗という不安もちょっとあります…。

Betty! A Sort of Musical
いろいろあったサラ・フランコムの演出復帰作なんですが、これはたぶん脚本が良くない。女性として初の英国議会下院議長となったベティ・ブースロイドをテーマにしたミュージカルを作る市民劇団の稽古場が舞台。マキシン・ピーク演じるトキシックな演出家、メレディスを中心にドタバタありつつ作品を作っていくのだけど、ブースロイドはあくまでモチーフに過ぎず、物語の中心は劇団員たちで稽古場が舞台の軸。でも人間関係が掘り下げられるかと言えばそうでもなく、ミュージカルシーンはそれはそれで伝記物としてある程度のまとまりはあり、なんだかテーマがぼんやりしたままの一幕。
トラブルの末、二幕ではメレディスがブースロイド役を演じることになるのだけど、ブースロイドのキャラクターを固めず、メレディスの嫌な演出家のキャラクターを切り替えないまま役に入るので、これではブースロイドが嫌な奴に見えてしまう。
面白いなって思う部分も少なくなかったけど、製作チームは手堅いなと思っていたし伝記物ミュージカルを期待していたこともあって、全体的に消化不良な作品。観に行けてよかったとは思うのだけど。
楽曲は、How to Win Against History のSeiriol Daviesでした。

カーテンコールでのマクバーニーの挨拶で「演劇関係者は今すごく大変な状況に陥っているんです、でも我々にとって演劇とはライフであって、演劇/劇場とはコミュニティですよねみなさん!(訳は大意も大意です為念)」というようなことを言っていて、謝れとは思わないんですが、演劇の力みたいなレトリックをこういう時に使うの?ともやっとしてしまいました。というか、事前に来たメールとかも含め、リハーサル公演になったこと自体もわりとポジティブな言葉で表現をしていて(特別な公演になるだろうとか)、こうなんというか、神経が図太いのだなぁと…。

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Drive Your Plow Over the Bones of the Dead

コンプリシテ新作の初日なんですがおそらく稽古が間に合わなかったようで、一幕は通常通り上演(でもプロンプターは有り。しかも舞台美術にモニターが反射しているという最悪コンディション)休憩後の二幕は公開リハーサル形式でという特殊な公演になってました。これプリマス公演中はもう直せなさそう。次のツアー都市からはどうにかなるか。

開演前に演出のマクバーニーからの挨拶があり(遅れの事情の具体的な説明は特になかったと思う)、二幕はマクバーニーが舞台脇について演出指示を出しながらの上演。珍しさからの好奇心はそそられるものの、あまりに未完成で作品としての面白さはわかりません。

色々と事情があるのだろうとは思うのですが延期の判断の方が良かったのではと思うし、こういう形式になるなら事前アナウンスが欲しかった(一応当日夕方にマクバーニーのナレーション付上演になるというメールは来た)。作品とリハーサルとではやはりこちらの観るモードも変わるし。

あとこれ一幕観る限りサスペンス要素がある作品なんですが、二幕が断片的になったことでそこが台無しに。原作ものなので、さすがにそれは元の作者に気の毒だったな。

マストドンに書いてる感想の方が長いな…。引っ越しどうしようかなぁ。マスクの一件以前からツイッターしんどいなと感じてはいたので、いずれはとは思ってるんですが、まだ情報収集面では全然あっちのが便利ではあるのよね。

ごく個人的な感想としては、作品の登場人物の苦労とは比べ物にならないけれど、長期の精神疾患持ちとして自分の経験に重なる部分も多かった。自分の体調のことや病気について話さなくてはいけない時、それが自分の能力や仕事の出来とどのように結び付けられて受け取られてしまうのか本当に疑心暗鬼になるんですよ。とはいえ、病気のことを言わないわけにもいかないし。

クリスと審査官の、
ちゃんと体が動かせるじゃないですか→薬を飲めば動けるんです→薬を飲めば大丈夫なんですね
というやりとりが、自分の身にも置き換えられるせいもあってじわじわとこたえたな…。

あと、前面に押し出されてるわけではないけれど、やっぱりこの作品はメンタルヘルスの話もセットになっていて、クリスも審査官の妻のジュードも精神的に苦痛やプレッシャーをずっと抱えているということがちゃんと描かれてると思う。

配信あるしネタバレになるかと思ってツイッターでは書くのを控えたのですが。審査の基準をめぐっての議論が軸になる一幕の終わりで主人公が審査官の首を絞めるというザ・クリフハンガーな事件が起こって休憩、後半はその後始末をどうしようという大騒ぎでドタバタコメディチックという展開で、前半後半でちょっと印象のギャップがあります。

two handerのまま通した方がすっきりはしたかもと思いつつ、個人的には二幕の台詞の方が刺さるものが多かった。審査官もその障碍者の妻も自助自立しか頭にないような人達なのに夫婦関係の相互依存の理想を語るのもこの二人だったり。あと、このカンパニーだからこそできるシーンだと思ったのは、世界を救うために何人なら弱者が犠牲になってもいいと思うかという乱暴な問いに、一人もそうあってはいけないと言う主人公が、では世界を救うために一人の金持ちの白人男性が犠牲になるとすれば?という問いには即答できないところ。

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演出のソフトリー・ゲイルさんのインタビューで作品背景が語られていますが、コロナ禍の中で今こそ扱うべきテーマとして作られた作品がこれなんです。
bigissue.com/culture/theatre/p

あと、音声ガイドや手話通訳の作品への取り込み方がめっちゃ面白いです。観に来た人たちがフェアに同じように作品を楽しめるよう設計されているのが素晴らしいなと思います。

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Don't. Make. Tea.
Birds of Paradiseの新作のオンライン配信。福祉制度の改悪のためにベネフィット(すみませんこの例での定訳がわからないので片仮名のまま)を打ち切られてしまった主人公が自立支援の審査を受けるという筋立て。働く能力があるのか否か、支援を受けるに値するかを一度のインタビューで判断されてしまう残酷さ。言うまでもなく国の福祉はネオリベ的価値観で回っていて「柔軟に」審査対象の意欲や能力を評価していく。体の痛みをおしての活動は「可能」、皮肉を言えば「ユーモアがある」、障碍のために辞めざるを得なかった仕事への思いは「モチベーション」として読み替えられてしまう。

じゃあどうするか、のこの先がドラマでありフィクションで、そこはきちんとコメディで笑えるんですが。でも少しネタバレをするなら、この状況はドラマの中でも何も解決はしません。自身の尊厳を徹底的に損なうことでしかベネフィットが得られないというグロテスクな結論が本当にしんどい作品です。

Don't Make Tea どん詰まりとしか言えない結論に本当に気持ちが落ち込むけど、でも面白かった。また落ち着いて感想をまとめてツイッターと並行してアップします。

作品と関係あるようでないようでな感想としては、ロバート・アイクのThe Doctorのあのキャスティング指示の評価にずっと迷っていたのだけど、やっぱダメなんじゃないかなぁと。俳優のマイノリティ性だけを引っ張ってくるような(そして「どの」属性かは明示しない)演出指示は、やっぱりマジョリティだから書けるもののように思える。

さっきウェブサイトを流し見てて気づいたのだけど、例えば今作で健常者の設定のラルフのキャスティングコール。
'We are looking for a male-identifying performer who could be non-disabled or have an invisible impairment for this role.'
My Left/Right Footでも観た彼らの演劇の哲学が、私にはやっぱりしっくりくる。

Birds of Paradise の配信に向けて夕飯とおつまみ用意。

ヨーロッパの観客が現代のイランについて「知る」とはどういうことなのか、インターネットやウィキペディアはコロニアリズムへの批判なくして使えるのか。でも同時に、そうした批判も越えた異文化同士の出会いもきっとあるはずだという願いのようなものもあって、その希望の一つとして劇場という場を作ろうとしているのだと思う。
若干理論先行な感じはあるし、観客との絡みももう少し厚かましく踏み込んでいいのではとも思うのだけど、ポリティカルシアターの意欲作でとても良かったです。
ちなみに、イランのスターの話はマーダーミステリーとして物語の消費やネット上の情報の欠陥の問題として語られていくんですが、これと微妙にオーバーラップする形でイラン/カナダ人のミュージシャン/アクティビスト?の自伝的パフォーマンスのパートがあって、「物語」としては実はこちらがメインかも。
あと、テキストの共同執筆にクリス・ソープが入っててびっくりした。パスポート2冊ある人…(やな覚え方)。

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Things Hidden Since the Foundation of the World
Javaad Alipoorのテクノロジートリロジーの3作目。WhatsApp インスタグラムに続いて、今作はウィキペディアをモチーフに、90年代に亡命先のドイツで殺されたイランのポップスターの物語を取り上げる。
3部作のどれも観客に実際にアプリを使わせるようなインタラクティブな形でモチーフを作品に取り入れるのが特徴的。でもアリプール自身はITに対してとても懐疑的で、その理由が技術的、メディア論的な事柄だけではなく、明確に今の政治社会問題を理由に技術をテクノロジーを疑っているのが面白い。

とりあえずツイートのコピペ。500文字って結構長いな。

前半のびのび見過ぎてさすがにわけわからんくなり、後半はロックオンした人物だけを執拗に追うことにしたんですが、これは果たして想定されてる鑑賞方法か…?とちょっと考えてしまった。でもギリシャ悲劇のモチーフをたどらないと雰囲気だけで終わってしまう気も。
観に来てるお客さんの多くはたぶんギリシャ悲劇を観に来てるわけじゃなくイマーシブシアターという体験を楽しんでるんだろうなとも思うし、演劇云々とか考えずこういうものと思った方がいいのかもだけど。でもdreamthinkspeakとか観てると、イマーシブの傑作はやっぱこれじゃないよなと思う。
あと、自由に観て良いとか観客にゆだねるとか、良し悪しは観る人次第なコンセプトが(イマーシブや参加型でなくても)そもそもあまり私は評価できないんだよなってのはある。搾取とまでは言わないけど、観客の経験の良いとこどりをするようでずるいなと思ってしまうんですよね。

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The Burnt City 一度は観とこうと思ってオファーチケットを取ったPunch Drunkですが、まぁ一度でいいかな…。つまらなくはなかったし華やかで楽しい感じは観光にはいいかもですが、演劇パフォーマンス作品としてはやっぱり物足りず、正規の値段では薦めないです。
トロイア戦争の主要人物を軸にしたノンバーバルパフォーマンスで構成されていて、退廃した街の美術を動き回るキャラクターに合わせて観客も移動する。自由に観て回れるというのが売りの一つでそういう設計になっているものの、それを鵜吞みにして自由に観て回ると詰みます。
キャラクターごとのプロットは結構しっかりリニアに組み立てられてて一人を固定して追わないと断片的過ぎる(なのでそれらが互いに交錯するのは確かに見事なのですが)。反面、ついていくキャラクターを選ぶ(エピソード分岐的な)場面がかなり多く、しかも見失うぐらい移動が早い。

私のスーパーバイザーの一人はベルファスト⇔バーミンガムで通勤をしていたのでまぁ行けるんだろうなとは思ったけど、今年の各地空港のカオスっぷりを見てると、国内線だからとか言ってないで今すぐ出発するんだ!と思ってしまって…。
シェイクスピア(と俳優)と北アイルランド問題のテーマに絞って一時間の作品として観たかったかも。ベルファストの訛りでリチャード三世練習してるのとかはすごく面白かったんだよな。

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Not Now David Irelandの短編二人芝居。ベルファストを舞台に、RADAのオーディションを控えるマシューがリチャード三世の課題を練習しているところにおじのレイが口を出してきて…というつかみはすごく面白くて、全体的にも悪くはないけど、ちょいちょい引っかかるところも。
北アイルランド問題とセクシュアリティ(戯曲読み返すと男性性コンプレックスと言う方が正しいかも)の2つのテーマで前後半が割れていた気がする。個人的には、両者を関連付けるのかなと期待があったのだけど、それぞれの登場人物の個別の問題として終わってしまった感じ。別にこれでもだめじゃないんだけど、テーマの扱いとしてはちょっとマッチョだなとは思う。
あと、父親の葬式の設定どうなったんだ?とか、RADAのオーディションに当日ベルファストから向かうのはひやひやするなとか細かい設定が地味に気になったり。惜しいところが多い作品かも。

御多分に漏れずのツイッターからのお引越しユーザーです。
どう使っていけばいいのか探り探りですが、ひとまず消えたら困る芝居の感想は両方にツイート/トゥートするようにしておこうかなと思います。

Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。